・五木寛之の赤マント(13)
昨日で切り上げるつもりだったのだがもう1点、今日(10月22日)重い本を借りて帰って来た成果(?)を追加して置く。
10月21日付(283)に引いた、「日刊ゲンダイ」連載「流されゆく日々」に回想される梶山季之との会話に出て来た南大門小学校だが、ネットで検索していると、五木寛之は南大門小学校で梶山季之の3年後輩だった、と云う記述を目にする。この年齢差(学年差)の註記は10月17日付(279)に引いた橋本健午『梶山季之』の「<略年譜>」には見えない。確かに梶山氏は昭和4年度生だから、昭和7年度生の五木氏の3学年上なのだけれども、こう具体的な数字とともに示されると、五木氏本人は認めていない(らしい)のに、五木氏が南大門小学校に通っていたことが本当らしくなってしまう。
梶山氏の朝鮮関係の小説は、今世紀に入ってから次の2冊が出ている。その解説に朝鮮時代の梶山氏について記述して、そのついでに五木氏にも触れていないかと思って、借りて来た。
・岩波現代文庫 文芸 123『族譜・李朝残影』2007年8月17日 第1刷発行・定価800円・232頁
- 作者:梶山 季之
- 発売日: 2007/08/17
- メディア: 文庫
・川村湊 編『李朝残影――梶山季之朝鮮小説集』2002年10月25日 第1刷発行・定価4000円・インパクト出版会・363頁・A5判上製本
- 作者:梶山 季之
- メディア: 単行本
さて、この川村氏の「解説」の319頁9行め~323頁6行め「3」章に、生誕から一家が日本に引き揚げるまでの経歴が紹介されているが、320頁1~8行めに、
一九三六年、南大門公立国民学校(小学校)に入学し/た。京城の南大門近くにあった名門小学校で、総督府の/役人の子弟、裁判官、鉄道官舎に住む日本人の上層階層/の子供たちが多く通っていた学校だった。後に広島高等/師範学校の校門前で再会し、『天邪鬼』という同人誌を/いっしょにやり、『買っちくんねえ』という創作集を共/同で出した坂田稔は、南大門小学校の一年から六年まで/の同級生だった。三年後輩に五木(松延)寛之がいた。
と、五木氏のことに、学年の違いと五木氏の当時の苗字も添えて触れてある。
「解説」の最後の段落、362頁3~9行めに、3行め「本書の編集、解説の執筆に際し」て5行め「参考、参照した」資料を挙げているが、その筆頭に3行め「『積乱雲』の詳細な年譜、資料」を挙げている。この本は312頁3行め~314頁18行め「1」章にも、313頁3~4行めに「(梶山美那江編『梶山季之――その軌跡と周辺 積乱雲』一九九八年二月、季/節社。以後、単行本としての『積乱雲』は、これを指す)」との註記があって、以後度々参照されている。
そこで、この「詳細な年譜」も確認することにした。
・梶山美那江 編『積乱雲 梶山季之――その軌跡と周辺』一九九八年二月一日 初版発行・定価4500円・季節社・1053頁・A5判上製本
14頁下段6~8行め「昭和11年」条に、
とある。第Ⅰ部(12~321頁)には他に、267~288頁「梶 山 季 之 刊 行 作 品 全 リ ス ト」や夫人のインタビューなどが載るが、305~315頁上段、高橋呉郎「人と作品――梶山季之」に、306頁上段7~8行め、
とあることにも一応注意して置こう。315頁上段19行めに、下寄せで「※『影の凶器』(「大衆文学館」講談社刊)より転載」とある。
- 作者:梶山 季之
- メディア: 文庫
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『梶山季之朝鮮小説集』は、先週、職場から術後の最終確認のため病院に行く途中で図書館に立ち寄って借り、ホームや電車の中で解説をざっと眺め、表題作や「族譜」は長いので短篇「さらば京城」を選んで読んだのだが、不覚にも車内で目を潤ませてしまった。改札を出たら雨が降っていた。8月来世話になっている担当医に診てもらい、鼻も綺麗に通り傷ももう問題ないとのことであった。手術を勧めてくれた掛り付け医に手紙を書いて報告し、今後はまづ掛り付け医に相談して、その上で何かあればこちらに来ることになる、とのこと。いろいろ聞きたいことがあったのだが、忙しそうにしているので気後れがして、結局何も聞かなかった。例えば、鼻洗浄をいつまで続ければ良いのか、など。手術後、入口に近い辺りに短く剪り揃えられたものが僅かにあるばかりだった鼻毛も、手術前の 1/4 か 1/5 くらいではあるが、生えて来た。いや、もう花粉の時期まで鼻洗浄は続けようと思っている。
それから、歩くと疲れるようになった。昨年までは幾ら歩いても疲れなかったのだが、しかしマスクが外せない今、大汗掻いて歩き回る機会なぞ考えられないから、この辺りで無駄に元気な筋肉を落としてしまうのも、或いは良かったのかも知れぬ。筋力は自転車の遠乗りで維持しつつ、将来仮にマスクなしで過ごせるようなことになったら、そのときまた、大手を振って歩こうと思う。