瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(285)

五木寛之の赤マント(13)
 昨日で切り上げるつもりだったのだがもう1点、今日(10月22日)重い本を借りて帰って来た成果(?)を追加して置く。
 10月21日付(283)に引いた、「日刊ゲンダイ」連載「流されゆく日々」に回想される梶山季之との会話に出て来た南大門小学校だが、ネットで検索していると、五木寛之は南大門小学校で梶山季之の3年後輩だった、と云う記述を目にする。この年齢差(学年差)の註記は10月17日付(279)に引いた橋本健午梶山季之の「<略年譜>」には見えない。確かに梶山氏は昭和4年度生だから、昭和7年度生の五木氏の3学年上なのだけれども、こう具体的な数字とともに示されると、五木氏本人は認めていない(らしい)のに、五木氏が南大門小学校に通っていたことが本当らしくなってしまう。
 梶山氏の朝鮮関係の小説は、今世紀に入ってから次の2冊が出ている。その解説に朝鮮時代の梶山氏について記述して、そのついでに五木氏にも触れていないかと思って、借りて来た。
岩波現代文庫 文芸 123『族譜・李朝残影』2007年8月17日 第1刷発行・定価800円・232頁

族譜・李朝残影 (岩波現代文庫)

族譜・李朝残影 (岩波現代文庫)

 225~232頁、渡邊一民「解説」は、225頁5~7行め「‥‥。彼は一九三〇年にソウルで生まれ、敗戦により朝鮮から引揚げてきた植民/地二世である。そのため梶山の文学的出発は、朝鮮を主題とする小説によりおこなわれた。/本書は、その梶山季之の朝鮮小説を代表する、初期の三篇を収めている。」とあって、以下は作品の解説になっていて、それ以上、背景となった作家の経歴に触れるところがない。なお「三篇」とある通り、表題作の他に「性欲のある風景」が収録されている。
川村湊 編『李朝残影――梶山季之朝鮮小説集2002年10月25日 第1刷発行・定価4000円・インパクト出版会・363頁・A5判上製本 こちらは312~362頁、編者・川村湊解説梶山季之「朝鮮小説」の世界」に拠れば、360頁13行め「文学的・小説的価値」のある、360頁4~5行め「梶山/季之の「朝鮮小説」として後世に遺すに足りる作品」を網羅したものである。
 さて、この川村氏の「解説」の319頁9行め~323頁6行め「3」章に、生誕から一家が日本に引き揚げるまでの経歴が紹介されているが、320頁1~8行めに、

 一九三六年、南大門公立国民学校(小学校)に入学し/た。京城の南大門近くにあった名門小学校で、総督府の/役人の子弟、裁判官、鉄道官舎に住む日本人の上層階層/の子供たちが多く通っていた学校だった。後に広島高等/師範学校の校門前で再会し、『天邪鬼』という同人誌を/いっしょにやり、『買っちくんねえ』という創作集を共/同で出した坂田稔は、南大門小学校の一年から六年まで/の同級生だった。三年後輩に五木(松延)寛之がいた。

と、五木氏のことに、学年の違いと五木氏の当時の苗字も添えて触れてある。
 「解説」の最後の段落、362頁3~9行めに、3行め「本書の編集、解説の執筆に際し」て5行め「参考、参照した」資料を挙げているが、その筆頭に3行め「『積乱雲』の詳細な年譜、資料」を挙げている。この本は312頁3行め~314頁18行め「1」章にも、313頁3~4行めに「(梶山美那江編『梶山季之――その軌跡と周辺 積乱雲』一九九八年二月、季/節社。以後、単行本としての『積乱雲』は、これを指す)」との註記があって、以後度々参照されている。
 そこで、この「詳細な年譜」も確認することにした。
・梶山美那江 編『積乱雲 梶山季之――その軌跡と周辺一九九八年二月一日 初版発行・定価4500円・季節社・1053頁・A5判上製本

 扉に次いでアート紙の白黒口絵肖像写真、下部右詰で「昭和46年暮 写真提供/新潮社」とある。1頁(頁付なし)には中央にやや大きく「本書は、梶山季之二十三回忌を記念し、出版するものである。」とあって、その左に下寄せで「――一九六九年、梶山の発案で設立した株式会社季節社が/  二十八年後の今日無事命脈を保っていることに感謝しつつ――」と添える。2~3頁(頁付なし)陳舜臣梶山季之兄二十三回忌に寄せて」、5~11頁(頁付なし)「目次」、12頁(頁付なし)「▲註▼」は、13頁(頁付なし)扉「第Ⅰ部 仕事の年譜・年譜の行間」の裏にあるべきもので、14~264頁の上下2段の表の「■上段「仕事の年譜」」と「■下段「年譜の行間」」の凡例。表の最後、264頁左の枠外、下寄せでやや大きく「梶山美那江 編」とある。
 14頁下段6~8行め「昭和11年」条に、

 京城南大門公立国民学校(小学校)に入学。三級下に五/木寛之がいる。

とある。第Ⅰ部(12~321頁)には他に、267~288頁「梶 山 季 之 刊 行 作 品 全 リ ス ト」や夫人のインタビューなどが載るが、305~315頁上段、高橋呉郎「人と作品――梶山季之」に、306頁上段7~8行め、

 十一年、京城、南大門小学校に入学。日本人家庭の子女が通/う名門校だった。後輩に五木寛之がいる。‥‥

とあることにも一応注意して置こう。315頁上段19行めに、下寄せで「※『影の凶器』(「大衆文学館」講談社刊)より転載」とある。

 この講談社大衆文学館文庫コレクションは『積乱雲』刊行の1年ほど前のものである。(以下続稿)

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 『梶山季之朝鮮小説集』は、先週、職場から術後の最終確認のため病院に行く途中で図書館に立ち寄って借り、ホームや電車の中で解説をざっと眺め、表題作や「族譜」は長いので短篇「さらば京城」を選んで読んだのだが、不覚にも車内で目を潤ませてしまった。改札を出たら雨が降っていた。8月来世話になっている担当医に診てもらい、鼻も綺麗に通り傷ももう問題ないとのことであった。手術を勧めてくれた掛り付け医に手紙を書いて報告し、今後はまづ掛り付け医に相談して、その上で何かあればこちらに来ることになる、とのこと。いろいろ聞きたいことがあったのだが、忙しそうにしているので気後れがして、結局何も聞かなかった。例えば、鼻洗浄をいつまで続ければ良いのか、など。手術後、入口に近い辺りに短く剪り揃えられたものが僅かにあるばかりだった鼻毛も、手術前の 1/4 か 1/5 くらいではあるが、生えて来た。いや、もう花粉の時期まで鼻洗浄は続けようと思っている。
 それから、歩くと疲れるようになった。昨年までは幾ら歩いても疲れなかったのだが、しかしマスクが外せない今、大汗掻いて歩き回る機会なぞ考えられないから、この辺りで無駄に元気な筋肉を落としてしまうのも、或いは良かったのかも知れぬ。筋力は自転車の遠乗りで維持しつつ、将来仮にマスクなしで過ごせるようなことになったら、そのときまた、大手を振って歩こうと思う。