瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

北杜夫『マンボウ響躁曲』(6)

渥美清タヒチ旅行(1)
 「マンボウ南太平洋をゆく」には、タヒチで「男はつらいよ」の撮影部隊に遭遇したとの記述がある。
 北氏がタヒチに到着した日の夜のことだがら昭和51年(1976)4月11日、場所は北氏の一行が投宿したトラヴェロッジ・ホテルである。
 単行本239頁2~6行め(文庫版241頁1~5行め)、

 夜、八時半からホテルの庭でショーが始まる。御存知の激しい腰ふりのダンスである。その他/にいかにも振付師がこしらえたらしい新しいダンスがいくらか。
「寅さん」の撮影部隊がきていて、某女優が一緒に腰をふったり、ライトをつけて踊りを撮影し/たりするため、外人観光客の顰蹙*1を買っていた。私たちが見ても目ざわりで、恥ずかしかった。/踊りもおもしろくなく、嫌になって途中で部屋へ戻る。


 しかしながら、「松竹シネマクラシックス」HP「松竹映画『男はつらいよ』公式サイト」にある、「『男はつらいよ』ロケーション」を見ても、タヒチで撮影があったことは見えていないのである。
 それではこれは何だったのかと云うと、「週刊新潮」2019年6月20日号掲載の「「男はつらいよ」メンバーをタヒチ旅行に招待した渥美清の知られざる素顔」 に取り上げられている、プライベート旅行なのである。
 Twitter でも検索して見た。


 このときのプライベートフィルム(佐藤蛾次郎所蔵)が2015年9月13日放映のBSフジ「われらのヒーロー伝説 渥美清」及び2016年1月28日放映の読売テレビダウンタウンDX」で紹介されている。
 この映像は、残念ながら(?)某動画サイト等にも上がっていないようだ。
 そこで、と云っては変だが、「デイリー新潮」掲載の、「週刊新潮」の記事を見て置こう。

‥‥。佐藤氏によると、「寅さんシリーズの20作目のころ」というから、77年(昭和52年)前後であろう。
「渥美さんから突然、タヒチへ行こうと誘われたんです。山田洋次監督とさくらさん(倍賞千恵子)、カメラマンも一緒でした。1週間ほどリゾートでのんびりして、ご飯を食べたり騒いだり。渥美さんが全員の旅費を出してくれました」
 実はこのタヒチ旅行、倍賞の著作『お兄ちゃん』で、少しだけ触れられている。
〈ご飯を本館のダイニングでいっしょに食べるだけで、あとは一日、自由行動。魚釣りをしたり、舟で観光したり、夜は土地の踊りを見物したりしました〉
 倍賞は海で水着になって泳いでいたという。一行を誘った当の渥美は、
〈いっさい何もせず、顔に日焼け止めのオイル、首に赤ん坊のアセモ用のシッカロールを真っ白に塗って、パジャマ姿で一日中日陰に置いた椅子に深々と体を埋めています〉
 なかなかに珍しい、プライベートの姿だ。‥‥


 この旅行時期だが、北杜夫が目撃していたことで、昭和50年(1975)12月27日公開の第16作、樫山文枝(1941.8.13生)がヒロインの「男はつらいよ 葛飾立志篇」と、昭和51年(1976)7月24日公開の第17作、太地喜和子(1943.12.2~1992.10.13)がヒロインの「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」の間、昭和51年4月の前半であったことが明らかとなった。
 この旅行については「週刊新潮」の記事にあるように倍賞千恵子『お兄ちゃん』に1節を立てて記述がある他、北氏も別の著述で触れていることが分かった。次回はこれらについて確認して置くこととしよう。(以下続稿)

*1:ルビ「ひんしゆく」。