瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

北杜夫『マンボウ響躁曲』(8)

 12月14日付(7)の続き。――書庫から出してもらって借りていた倍賞千恵子『お兄ちゃん』の返却期限が来たため、一旦返却して日を改めてまた借りようと思っていました。手許になくても続けて15日に投稿するつもりで粗方準備を済ませ、念のため必要と思われる箇所の複写も取ってあったのですが、いざ整えて行くと複写していない箇所を見て置く必要(と云うほどではないのだけれども)が生じて、15日の仕事の帰りに借りようと、予約を入れるべく図書館HPで検索してみるに、ヒットしません。
 私の借りた本はその昔書架に並んでいた頃、盛んに貸し出されていたらしく薄汚れているだけでなく、取れ掛かった頁があったのです。今は天地や小口の汚れを目視し、それから頁を一通り捲って見ると云ったことを大抵の図書館でやっておりますが、破損した当時は返却時の本の状態のチェックなど大してしていなかったのでしょう。そこで返却時に破損がある旨を申告したのです。その修理のため一旦除籍にしたか、状態が悪いから永久に除籍することにしたのか、いづれにせよ近所の図書館では借りられなくなっていたのです*1。そこで仕方なく、勤め先近くの図書館に予約を入れて、同じ初版ですが手許にあります。ついでに、やはり単行本・文庫版ともに返却してしまった『マンボウ響躁曲』の単行本も借りて置きました。
渥美清タヒチ旅行(3)
 それでは倍賞千恵子『お兄ちゃん』第6章「渥美さんの目に魅せられて」の4節め、166~174頁「タヒチでのお墓参り」を見て置きましょう。
 166頁2行め~167頁1行め、

タヒチに行きませんか、渥美さんといっしょに」
 渥美さんの当時のマネージャー高島さん(高島幸夫さん)から誘われたことがあり/ました。
 確かコマーシャルのような仕事だったと思います。渥美さんは、コマーシャル/出演に関してはずいぶんわがままな条件を要求していたようで、その話も、タヒ/チで十日間遊んでいてくれればいい、邪魔しないように撮影隊がカメラを回すと/いう申し込みだったと思います。
 俳優は二人プラス蛾次郎さん。
 それに、山田さん、高羽さん、寛ちゃん(故中村寛さん。山田組の録音技師を長くつとめた)でした。


 高島幸夫は『男はつらいよ』等、渥美清主演映画に「企画」として名を連ねていました。「山田さん」はもちろん『男はつらいよ』の監督山田洋次(1931.9.13生)、「高羽さん」は多くの山田洋次監督作品でカメラマンを務めた高羽哲夫(1926.8.31~1995.10.31)。高羽氏死去のことは第1章「永遠の別れ/江戸川の土手にこみあげてくるもの」の3節め、27頁7行め~32頁「私の人生の中で一番悲しいできごと」の冒頭部(27頁8行め~29頁9行め)に記述されており、27頁9行めには「高羽さん(高羽哲夫さん。山田監督の第三作目『馬鹿まるだし』よりすべての作品の撮影監督をつとめた)」とあります。高羽氏と中村氏、そして山田氏が「撮影隊」に含まれていたのか、それとも渥美清倍賞千恵子、そして佐藤蛾次郎(1944.8.9生)と同じように「遊んで」いたのかは分かりません。いえ、12月13日付(6)に引いた「週刊新潮」の記事での佐藤氏の証言では「渥美さんが全員の旅費を出してくれました」とのことで、仕事だったことにはなっていないのです。
 167頁2~7行め、

 どこで、どんなふうに飛行機を乗り継いで行ったのか、よく憶えていません。/島の飛行場に着陸して、その晩は大きな町の立派なホテルに泊まり、翌日、車で/ずいぶん走って、美しいリゾート地に着きました。
 
 ホテルは、南洋ふうの丸太の壁にバナナのような熱帯植物の葉で屋根をふいた/一軒建て。一軒一軒海の上に張り出していて、お互いの部屋がかんたんな桟橋で/つながっています。


 「島の飛行場」はファアア国際空港でしょう。フランス領ポリネシアの首都パペーテの西に隣接するファアアにあります。但しタヒチ島北西岸のパペーテと、西に隣接するファアア、東に隣接するピラウそしてアリューまでは切れ目なく続く一つの町と云うべきです。
 翌日移動した「美しいリゾート地」ですが、これは北杜夫マンボウ南太平洋をゆく」に拠れば「トラヴェロッジ・ホテル」です。但し現在、タヒチに「Toravelodge」なる宿泊施設は存在しないようなのですが、検索すると「Travelodge Papeete, Tahiti」と云う図面がヒットします。これはオーストラリアの建築家 Peter Muller(1927.7.3生)の設計で、 Wikipedia 英語版の同氏の項目を見るに、

・1979
Peter Muller house, Unawatuna Beach via Galle, Sri Lanka, begun 1977.
Travelodge Condominium Apartments, Papette, Tahiti

とあります。但しこれでは北氏や渥美清の一行が宿泊したのより後のことになってしまいますが、同じ場所にあった、ピーター・ミュラー設計の施設に改められる前の「Travelodge Condominium Apartments」に泊まったのでしょうか。現在の「InterContinental : Resort Tahiti」で、ファアアの西端、ファアア国際空港の南1kmほどのところにあります。すなわち「ずいぶん走って」と云う倍賞氏の記憶に相違します。しかし「一軒一軒海の上に張り出していて」と云う造りは合致します。――この辺り、ネット上ではなかなか辿りづらいので、当時のガイドブックを参照出来れば、と思うのですけれども。(以下続稿)

*1:先刻検索して見るとヒットしました。