瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

北杜夫『マンボウ響躁曲』(09)

渥美清タヒチ旅行(4)
 この辺り、北杜夫マンボウ南太平洋をゆく」を見るに、10月31日付「赤いマント(293)」に抜いた『マンボウ響躁曲』単行本236頁18行め~236頁2行め、昭和51年(1976)4月11日の朝7時半に「空港」すなわちファアア国際空港に着いた北氏一行は「ひとまずトラヴェロッジ・ホテルへ行き、それからすぐ」に「左まわりで」タヒチ「島を一周」する「ドライブ」に「出かけ」ます。
 前回述べたように、トラヴェロッジ・ホテルが現在の「InterContinental : Resort Tahiti」だとしたら、空港から「左まわり」に進んですぐ、1kmほどのところです。そして「ゴーギャン博物館」を見て、12月11日付(04)に引用しましたが、空港で出迎えてくれた観光局の志谷さんに変貌振りを聞かされていたパペーテに入ります。単行本238頁5~16行め、

 更にパペーテに近づくと、道路が広くなった。あまつさえ、間にグリーン・ベルトのあるそれ/ぞれ二車線という堂々たる道になってきた。
 その間、昔と違っていたのは、椰子林の中に放牧されている牛や馬がめっきり少なくなってい/ること(別の場所に牧場ができたとも聞いたが)、鉄の玉遊びペタンクがはやっていてあちこちでや/っていたこと、スクーターが減ってバイクが多くなったことなどである。
 パペーテの町へはいると、本当に私は呆然とした。道路は車でぎっしり、前はなかった信号が/でき、近代的ビルが立並んでいて、かつての一種けだるいようなひなびた町の有様ががらりと一/変していたことであった。
「もうぼくにはぜんぜんわからない。昔の店がどこにあるのかもわからない」
 と、私はぼやいた。


 空港からパペーテまでは 5km 程ですが、北氏の乗ったレンタ・カーは遠回りして、「一周」が「百二十キロ」のタヒチ島タヒチ・ヌイ)を「左まわりで」ほぼ一周して入っております。――或いは、渥美氏の一行は、空港からまづ右回りで「大きな町」パペーテに入って一泊して、翌日もやはり北氏一行とは逆回りの右回りでタヒチ島タヒチ・ヌイ)をほぼ一周して、トラヴェロッジ・ホテルに入ったのではないでしょうか。だから「翌日、車でずいぶん走って」到着したように、倍賞氏は感じたのではないか、と。実は(左回りで行けば)すぐそこだったのですけれども。
 トラヴェロッジ・ホテルの宿泊費ですが、4月12日に一泊したボラボラ島のホテルで新婚旅行の日本人に旅行代を聞いたところに、単行本241頁9~12行め、

 ちなみにタヒチのトラヴェロッジの宿泊賃はツインで四千百五十フラン、シングルで三千六百/フラン、ボラボラ・ホテルが朝夕食つきでツイン八千フラン、これに比べてトンガのデイトライ/ン・ホテルは十トンが・ドルである。
 タヒチは昔からノー・チップ制であった。‥‥


 為替レートは10月28日付「赤いマント(290)」に引いた『南太平洋ひるね旅』「後記」の(一九七六年附記)にもありましたが、本書にも単行本237頁16行め、ゴーギャン博物館の売店で販売されている「切手九枚」について「百フラン(一パシフィック・フランは三・七円)。」とありました。そうするとトラヴェロッジ・ホテルのツインは1泊15355円、シングルは1泊13320円、ついでにボラボラ・ホテルは1泊29600円、デイトライン・ホテルは1泊4500円です。当時の物価は今の6割くらいと見て置けば良さそうです。
 12月12日付(05)に触れた、4月14日の昼、パペーテの昔『南太平洋ひるね旅』の旅で小エビのカレーを食べた店(実は違う店)を訪ねる場面、244頁2行め「ホテルから五百フランはらって、タクシーでわざわざ」とありますが、1850円と云うことになります。(以下続稿)