瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

北杜夫『マンボウ響躁曲』(7)

渥美清タヒチ旅行(2)
 昨日の続きで、倍賞千恵子(1941.6.29生)が渥美清(1928.3.10~1996.8.4)の回想を中心にその半生を語った『お兄ちゃん』がどのような本であるのかを、まづ見て置きましょう*1
倍賞千恵子『お兄ちゃん』平成9年8月15日〔初版〕・定価1429円・廣済堂出版・254頁・四六判上製本

お兄ちゃん

お兄ちゃん

 黄土色の見返し(遊紙)があって布目のエンボスの扉、次いでアート紙の口絵、赤や黄色の草花が咲く、上の余白に「お兄ちゃん/わたしの はなし/  聞いてくれる」と縦書き、1行分空けて殆ど読めない「倍賞千恵子」のサイン。裏は白紙。
 1~3頁(頁付なし)「お兄ちゃん、ありがとう」は、末尾(3頁11行め)に「(一九九六年八月十三日、「渥美さんとお別れする会」での「お別れの言葉」)」とあります。4頁(頁付なし)は下部中央に小さく「カバー画・峰岸 達」。
 5~11頁(頁付なし)「目   次」。
 13頁(頁付なし)第1章の扉、灰色地。上部やや左寄りに「第1章」数字は大きく白抜き、上下はゴシック体。その左にやや横長の斜体で、まづ明朝体で大きく「永遠の別れ」脇にゴシック体で小さく「江戸川の土手にこみあげてくるもの」。14頁から本文。1頁14行、1行36字。32頁まで。
 33頁「第2章 滝野川から『下町の太陽』へ」の扉、本文34~74頁。
 75頁「第3章 「フーテンの寅」の呼吸」の扉、本文76~94頁。
 95頁「第4章 すごい人たちとの役づくりに/心をはぐくんだ日々」の扉、本文96~120頁。
 121頁「第5章 監督・共演者たちの/切れ味と存在感」の扉、本文122~143頁。
 145頁「第6章 渥美さんの目に魅せられて」の扉、本文146~178頁。
 179頁「第7章 「人間であって女」を演じたい」の扉、本文180~194頁。
 195頁「第8章 星空と牧場と飛行場/北海道のあたたかい人たち」の扉、本文196~219頁。
 221頁「第9章 平静をよそおって/仕事をつづけた渥美さん」の扉、本文222~237頁。
 239頁「第10章 私のたった一人のお兄ちゃん」の扉、本文240~248頁。
 249~254頁「あとがき」は「平成九年七月」付。
 奥付、裏は白紙。
 由来は「あとがき」に述べてあります。すなわち、冒頭、249頁2~5行め、

 渥美さんが亡くなって、早くも一年が過ぎようとしています。
 昨年、多くの方から渥美さんについての本を出して欲しいと、依頼されました。
 でもとてもそんな気持ちにはなれず、人に話すことなんてないし、そんなこと/できないよと、お断りし続けました。


 しかし「お別れの会」や地方のコンサートや講演を経て、平成9年(1997)2月に心境が変化し、252頁3~7行め、

 わたしが渥美さんのことを話すことが、実際にはなにもできなかった看病の代/わりになるんじゃないか、渥美さんともっともっと話しておきたかったことの確/認ができるかもしれない、そう思えてきたのです。
 
 今回『お兄ちゃん』を出版するにあたり、いろいろなことを思い出し、あわせ/て、わたし自身のことも考え直すといった作業が続きました。

と云うことになり、口絵にあったような、253頁9~10行め、

「お兄ちゃん、わたしの話、聞いてくれる」。そうお兄ちゃんに話している妹がい/ます。

と云う心積りで話したのが本書なのです。254頁1~4行め、

 今回のわたしのお話の中で、わたしの記憶違いで間違った表現をしている箇所/があるかもしれません。でも記憶というものは、人それぞれに違っていることが/あるそうです。
 そんなふうに受けとめていただき、お許しいただければ幸いです。


 倍賞氏が思い出を辿りながら話した内容を、編集者が一応の確認をしながら纏め上げて行ったのでしょうけれども、ここにわざわざ記憶違いについて断っているように、余り厳密な考証はしていないようです。
 最後、254頁5~8行めの謝辞には、5~6行め「朝間義隆監督、松竹の松本行央氏、廣済堂出/版の上田 啓氏、私事ながら事務所の安東義史氏、木田由美子氏」の名が列挙されています。上田氏の名は奥付に「〈編集担当〉 上田 啓」と見えます。松本氏は同じく奥付に「著 者 倍賞千恵子」の次にある、「企画プロデュース 松竹㈱映像渉外室」の担当者でしょうか。(以下続稿)

*1:投稿当初「『お兄ちゃん』から、タヒチ旅行の記述を見て」としていたが、そこまで進まなかったので改めた。それから「昨日の続き」と書いているけれども、昨日の記事は数日前に準備したので、何日か空けている間に常体で書いていたことを忘れて敬体で書き始めてしまった。しかし、2015年9月12日付「山本禾太郎『小笛事件』(5)」の冒頭その他に述べたように、気分を尊重して敢えて統一しないことにしているので、そのままにして置きます。