瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

北杜夫『マンボウ酔族館』(1)

 昨日の続きで、12月13日付「北杜夫『マンボウ響躁曲』(06)」の最後に予告した、渥美清たち所謂「山田組」のタヒチ旅行について述べた北杜夫の「別の著述」について、確認して置きましょう。
北杜夫マンボウ酔族館 パートⅥ』1999年5月25日初版第1刷・定価1200円・実業之日本社・294頁・四六判並製本

 6冊刊行された『マンボウ酔族館』の最後の1冊。
 カバー表紙は示した通り、標題は濃い灰色。イラストの北氏は左手に大きな虫眼鏡を持ち、右手に持って洋酒の瓶のラベルを見ている。右手の人差指と中指の間に火の付いた煙草を挟んでいる。
 カバー背表紙、上部に濃い灰色で、カタカナはPOP体、漢字は丸ゴシック体の標題、その下に橙色の短冊形に丸ゴシック体の白抜きで「パートⅥ」、中央やや下に黒の明朝体で「北 杜夫」。最下部に横並びでやや縦長のゴシック体で版元名(カバー表紙下部の版元名の縮小)。
 カバー裏表紙、左上にバーコード2つ「9784408533582/1920095012001」その右に「ISBN4-408-53358-0/C0095 ¥1200E/定価(本体1200円+税) 実業之日本社」。中央にナルトが乗った醤油ラーメンの上に箸を渡し、右に胡椒の瓶、左にビール瓶、その前に泡のないビールの入った硝子コップ。
 カバー折返しは白地で文字はない。
 見返し(遊紙)は緩く褶曲したような横縞のある青緑色の用紙。次いで豆絞り様の透かしの入った白い扉に深緑色で、上部にカバー表紙の著者名と標題を縮小して入れ、そのすぐ下にカバー裏表紙の中央にカラーで入っていたイラストをやはり深緑色の単色で入れ、下部にカバー表紙と同じ版元名をやはり縮小して入れている。
 1~3頁(頁付なし)「目次」、1頁は扉で2~3頁は2段組、1段に14篇で合計56篇。
 4頁(頁付なし)は下部中央に2行「装画/百瀬智宏」「装幀/安藤勝博」。
 5頁から本文、まづ6行取り4字下げでやや大きく題。1頁18行、1行42字。294頁まで。
 2度の南太平洋旅行について回想しているのは56番め、290~294頁「ゴーガンの息子」である。
 白紙が1頁あって、その裏、下部中央にやや小さく「初出誌「週刊小説」」次いで1字下げで「1995年5月26日号から1995年/9月1日号まで連載 および、97年/1月24日から98年11月13日号まで/連載」とある。
 恐らく連載順に収録されていると思われるので「ゴーガンの息子」は「週刊小説」1998年11月13日号掲載と云うことになる。昭和36年(1961)12月から昭和37年(1962)1月の『南太平洋ひるね旅』の旅からは約27年、昭和51年(1976)4月の「マンボウ南太平洋をゆく」の旅からは22年半ほど後の回想と云うことになる。
 北氏は10月25日付「赤いマント(287)」に見たように、死去するまで実業之日本社の小説誌「月刊ジェイ・ノベル」にエッセイ「マンボウ夢草紙」を連載していたが、このエッセイの連載は「月刊ジェイ・ノベル」の前身である「週刊小説*1」から続いていた。いづれ何時から連載を持っていたのか確認して見たい。
 次いで横組みの奥付。
 その裏から「〈実業之日本社の文芸書〉」の1頁8点の目録が3頁ある。24点の中に北氏の本は含まれていない。(以下続稿)

*1:1巻1号(昭和47年2月11日号)~30巻23号(通巻930号・2001年12月28日号)昭和53年(1978)3月までが週刊、以後隔週刊。昭和57年(1982)までは臨時増刊号も出ていた。