瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(306)

宮田登の赤マント(3)江戸東京フォーラム③

 それでは小木新造 編『江戸東京を読む』の細目を確認して置きましょう。
 「一般財団法人住総研」HP「江戸東京住まい方フォーラム記録」にて何回めのフォーラムでの報告だったか、そして同じHPの「研究論文集・実践研究報告集アーカイブ」の1987年度「住宅建築研究所報」No.14(1988年・財団法人新住宅普及会住宅建築研究所)247~265頁、「江戸東京,生活空間の研究(梗概)」に見えるかどうかを添えて置きます。ついでに「江戸東京,生活空間の研究(梗概)」の構成を示すべく「〈目次〉」を引いて置きましょう。247頁左2~17行め、

序 研究の目的と意義
1.都市比較からみた江戸東京
 1-1 柔らかな都市構造
 1-2 都市下層社会の形成と変容
2.近代化する東京の都市基盤
 2-1 東京の市街地の形成過程
 2-2 明治期の道路(街路)・路次の幅員基準
3.近代東京の街と建築
 3-1 博覧会と盛り場の明治
 3-2 明治後期の繁華街の建築-勧工場
 3-3 考現学の考古学
4.新しい視座からの江戸
 4-1 江戸の構成と構造
 4-2 水の都・深川
5.江戸の建築技術
 5-1 近代の源流を求めて


 小木新造「序 研究の目的と意義」は「江戸東京フォーラム」の、1986年(研究会)第1回「江戸東京フォーラム委員会の進め方と話題提供」小木 新造(歴史民俗博物館)を踏まえているようで、昨日見た『江戸東京を読む』の小木新造「はじめに」に対応しております。
 さて、『江戸東京を読む』の構成ですが、〇〇九~一六四頁「都市の構造」と、一六五~二九四頁「都市の文化」の2部に分かれています。
 本文は1頁19行、1行53字。レイアウトは12月17日付(304)に示した小木新造「はじめに」に同じ。さらに本文が終わったところから2段組にして「発表後の討論」が附されております。これについては宮田氏の文章を取り上げる際に詳しく見て置くこととしましょう。
〇〇九頁(頁付なし)「都市の構造」の扉。
・〇一一~〇二四頁「柔らかい都市構造」陣内秀信
 1986年 第3回「やわらかい都市構造」陣内 秀信(法政大学工学部)
 247頁右14行め~248頁右16行め「1-1 柔らかな都市構造」陣内 秀信
・〇二五~〇四四頁「江戸の都市計画」鈴木理生
 1989年 第28回「江戸の都市計画-江戸前島を中心として-」鈴木 理生(区立京橋図書館
・〇四五~〇六二頁「江戸の部分と全体」加藤 貴
 1987年 第9回「江戸の構成と構造」加藤 貴(北区教育委員会
 259頁左8行め~261頁右17行め「4-1 江戸の構成と構造」加藤  貴
・〇六三~〇六二頁「絵画史料に見る江戸の町家」波多野 純
 1988年 第17回「絵画史料にみる江戸の町」波多野 純(日本工業大工学部)
・〇八五~一〇二頁「江戸の建築技術」西 和夫
 1987年 第11回「江戸の建築技術」西 和夫(神奈川大工学部)
 263頁右41行め~265頁左6行め「5-1 近代の源流を求めて」西  和夫
・一〇三~一二四頁「都市下層民居住地の変容を追って」内田雄造
 1986年 第2回「都市下層社会の形成と変容」内田 雄造(東洋大学工学部)
 248頁右17行め~249頁右31行め「1-2 都市下層社会の形成と変容」内田 雄造
・一二五~一四六頁「都市センターとしての丸の内の変遷」岡本哲志
 1988年 第22回「丸の内の変遷とそこに働くサラリーマンの職と住」岡本 哲志(岡本都市建築研)
・一四七~一六四頁「ロング・レンジの土地・住宅史」長谷川徳之輔
 1987年 第8回「東京の土地・住宅史」長谷川 徳之輔(建設経済研究所)
 249頁右33行め~252頁左1行め「2-1 東京の市街地の形成過程」長谷川徳之輔
一六五頁(頁付なし)「都市の文化」の扉。
・一六七~一八四頁浅草寺の境内・門前世界」竹内 誠
 1988年 第23回「浅草寺の境内・門前世界」竹内 誠(東京学芸大学
・一八五~二〇〇頁「水の都・深川成立史」吉原健一郎
 1987年 第10回「水の都・深川成立史」吉原 健一郎(成城大文芸学部)
 261頁右18行め~263頁右40行め「4-2 水の都・深川」吉原健一郎
・二〇一~二二〇頁「江戸の武家屋敷について」北原糸子
 1989年 第29回「江戸の武家屋敷について」北原 糸子
・二二一~二四〇頁「江戸の被差別・東京の被差別」大串夏身
 1989年 第30回「江戸の被差別・東京の被差別-もうひとつの江戸・東京-」大串 夏身(都立中央図書館
・二四二一~二五六頁天皇巡幸と「帝都」としての東京」吉見俊哉
 1990年 第43回「天皇巡幸と「帝都」としての東京」吉見 俊哉(東大新聞研究所)
・二五七一~二七六頁考現学の考古学」佐藤健二
 1986年 第4回「考現学の考古学」佐藤 健二(法政大社会学部)
 257頁左~259頁左6行め「3-3 考現学の考古学」佐藤 健二
・二七七一~二九四頁「都市の語り出す物語」宮田 登
 1989年 第27回「都市の語り出す物語」宮田 登(筑波大歴史人類)
二九五頁「あとがき」の裏(頁付なし)に、「収録筆者」16名が収録順に、さらに「座談会参加者」7名の、計23名の生年と肩書(所属)が列挙されております。前回上げた「江戸東京,生活空間の研究(梗概)」の「〈研究組織〉」の28名と比較するに、「収録筆者」の鈴木理生と北原糸子は見えておりません。「座談会参加者」は50音順で石田頼房・井上 勲・奥田道大・鳥越けい子・初田 亨・前田尚美・渡辺俊一ですが「〈研究組織〉」には前田氏の名はありませんでした。なお肩書が「江戸東京住まい方フォーラム記録」と「江戸東京,生活空間の研究(梗概)」と『江戸東京を読む』で、違っている人も少なからずおりますが細かくなるので割愛します。
 「江戸東京,生活空間の研究(梗概)」にあって『江戸東京を読む』にないのは、
・1986年 第5回「明治期の道路(街区)・路地の幅員基準について」石田 頼房(都立大都市センター)
 252頁左2行め~253頁右29行め「2-2 明治期の道路(街路)・路次の幅員基準」石田 頼房
・1987年 第6回「博覧会と盛り場の明治」吉見 俊哉(東京大学文学部)
 253頁右31行め~255頁左19行め「3-1 博覧会と盛り場の明治」吉見 俊哉
・1987年 第7回「明治期の繁華街の建築」初田 亨(工学院大学
 255頁左20行め~256頁右「3-2 明治後期の繁華街の建築 ―― 勧工場」初田  亨
の3つで、吉見氏は別の話題で『江戸東京を読む』に執筆者として参加しておりますが、石田氏と初田氏は「座談会参加者」として加わっているのみです。(以下続稿)