瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(305)

宮田登の赤マント(2)江戸東京フォーラム②
 中々宮田氏の赤マントに関する記述に及びませんが、私はいつ、どのような機会に、何を材料にして発言(もしくは記述)しているのか、確認しないことには研究資料として使うのに躊躇を覚えるタチなので、――余りそう云った確認をせずに(出来ずに)使ってしまって、後で後悔したこともしばしばですが、江戸東京フォーラムの『江戸東京を読む』が編まれた頃までの事情は分かる範囲で確認して置きたいのです。
 「一般財団法人住総研」HP「江戸東京住まい方フォーラム記録」には、昭和61年(1986)以降、最後となってしまった平成22年(2010)の第185回まで、回数と論題、報告者(肩書)が年ごとの表に列挙されています。
 それから、同じHPの「研究論文集・実践研究報告集アーカイブ」の1987年度「住宅建築研究所報」No.14(1988年・財団法人新住宅普及会住宅建築研究所)247~265頁、江戸東京フォーラム 代表 小木新造「江戸東京,生活空間の研究(梗概)」に第11回までの梗概が纏めてあります。247頁左1~17行め「〈目次〉」に続いて、247頁左18行め~右12行め、小木新造「序 研究の目的と意義」は、前回見た『江戸東京を読む』の小木新造「はじめに」の原型と云うべきものです。後半を抜いて置きましょう。左37行め~右12行め、

 本研究のために,昭和61年7月から開催された江戸東/【247左】京フォーラムの目的は,江戸から今日までの都市形成発/展と,文化変容の過程を一貫した視座から捉え,その連/続性や非連続性と,江戸東京の都市としての特性を学際/的に研究するところにある。
 このフォーラムの趣旨に賛同し,真撃な研究活動を続/けてきた学者は現在30名に達し,会は,日ごとに活性化/している。本報告梗概に記載された10名の研究は,研究/発表の雰囲気をできるだけ忠実に再現すべく,その要旨/をまとめたもので,これに続く活発な論議の展開は,紙/数の関係で割愛されている。今後更に,研究領域の展望/を図りつつ回を重ね,これらの論議を含めた形での発表/により大方の批判を仰ぎたいと考えている。


 これについては、1988年度「住宅総合研究財団研究年報」No.15(1989年・財団法人住宅総合研究財団)399~407頁、研究運営委員会「住宅建築研究所報№14(前号)掲載研究 評」に、より明確な説明があります。なお、この「評」と云うのは前置き(399頁3~4行め)に、

住宅総合研究財団では、毎年の助成研究の報告書について、研究運営委員会全員で合評を行っている。/ここに掲載するのは、昨年度の所報(№14)所載の研究に対する合評結果要約である。

とあるように「合評結果」ですが「要約」で、誰の発言かが分かるようにはなっていません。
 25本中13番め、403頁右5~29行めに、

研究№8613
江戸東京、生活空間の研究
                    小 木 新 造
 この論文は,本研究所を場として毎月行われている「江/戸東京フォーラム」に,昭和61年7月から1年間口頭発/表された研究10編をまとめたものである。
 近世から近代,現代に至る江戸東京の都市成長は,世/界史的視点から見ても興味ある研究対象であろう。広範/な分野から多くの研究が重ねられているが,それぞれで/行われている江戸東京に関する追求の成果や新しい研究/の進展を,パースペクティブに見ることが出来ればよい/と考えてこのフォーラムが組み立てられた。社会・経済/・芸術・工学の広い分野でこの主題に関心のある研究者/が,既に30名以上参加している。発足1年目の報告がこ/の梗概としてまとめられたが,その内容は多彩であり,/各発表者の報告内容は資料と併せると相当に長い論文に/もなるものである。しかも,発表後に参加者からの質疑/や討論もあり,相互に啓発的な成果が得られるもので/あった。残念なことに,報告された本論は紙面の都合上,/簡単な要約にすぎない。いずれ機会を得て,改めて公刊/すべきものと思われる。ここでは江戸東京フォーラム開/催内容の紹介にとどまっているが,都市の住生活,地域/社会,都市の文化史など,今後の研究を展望するに資す/るものがある。ますます学際的な討論の必要性を痛感さ/せる効果は,梗概であっても読みとることが出来よう。


とあります。番号の意味は「研究NO.の先頭二桁は、採択年(西暦年の下二桁)を示す」。
 この、初期の、非公開の研究会から公開研究フォーラムに切り替わった頃の「30名」の顔触れですが、「江戸東京,生活空間の研究(梗概)」の最後、265頁左7~36行めに、28名が列挙されております。

 
研究組織
 
主査 小木 新造 国立歴史民俗博物館教授
委員 石田 頼房 東京都立大学都市研究センター教授
   井上  勲 学習院大学文学部助教
   井上 赫郎 首都圏総合計画研究所計画室長
   内田 雄造 東洋大学工学部助教
   大串 夏身 東京都立中央図書館司書
   岡本 哲志 岡本哲志都市建築研究所所長
   奥田 道大 立教大学社会学部教授
   加藤  貴 早稲田大学大学院文学研究科研究生
   川本 三郎 評論家
   佐藤 健二 法政大学社会学部講師
   陣内 秀信 法政大学工学部助教
   竹内  誠 東京学芸大学教育学部教授
   玉井 哲雄 千葉大学工学部助教
   鳥越けい子 法政大学社会学部講師
   西  和夫 神奈川大学工学部教授
   長谷川徳之輔 (財)建設経済研究所常務理事
   波多野 純 日本工業大学工学部助教
   初田  亨 工学院大学工学部講師
   藤森 照信 東京大学生産技術研究所助教
   ヘンリー・スミス カリフォルニア大学バークレー/校準教授
   松平  誠 立教大学社会学部教授
   松平 康夫 東京都公文書館主事
   宮田  登 筑波大学歴史・人類学系教授
   村松貞次郎 法政大学工学部教授
   吉原健一郎 成域大学文芸学部助教
   吉見 俊哉 東京大学新聞研究所助手
   渡辺 俊一 建設省建築研究所第6研究部部長


 後の2名は誰なのでしょうか。今や最も若い人で既に60代前半、助手や講師だった人たちも偉くなっております。その一方、当時偉かった人の中には小木氏、宮田氏を始めとして鬼籍に入った人も少なくありません。
 さて、ここに宮田氏の名が見えておるのですがこの時点ではまだ報告を担当しておりません。すなわち、この梗概と『江戸東京を読む』の間に開催された江戸東京フォーラムにて、宮田氏は赤マントに触れた報告をしているのです。(以下続稿)