昨日の続きで、大宅壮一の評論「「赤マント」社會學」に言及している民俗学者について見て置きましょう。2人めですが順序からするとこちらを先に取り上げるべきでした。
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・宮田登の赤マント(1)江戸東京フォーラム①
私は妖怪に然して興味がないので、宮田登(1936.10.14〜2000.2.10)の著述には余り接しておりません。
それから、どうしても民俗学者の、あってないような曖昧な根拠で決め付けて行く論述に引っ掛かって、読み進められないのです。
今のところ私は、宮田氏が赤マント流言に触れた文章を2つ、確認しております。尤も、この2つはフォーラムでのレクチャー(研究報告)と、その一部を書き改めて別の文章の1節に組み込んだもので、同根かつ節の題も「阿部定と赤マント」で一致しております。
まづ、フォーラムの研究報告の方を見て置きましょう。
・小木新造 編『江戸東京を読む』一九九一年九月三〇日 初版第一刷発行・定価二、八一六円・筑摩書房・二九五頁・A5判並製本
〇〇三頁、まづ子持線(16.6cm)があってその左、上に詰めて行書体太字で大きく「はじめに」。なお、以下の諸氏の論題、漢字は明朝体で仮名が行書体になっています。少し空けて2行め「小木新造 「江戸東京フォーラム」世話人」と、明朝体でやや大きい名前の下に小さく、小木氏にのみ肩書きが添えてあります。3行めは読みを小さく、横転したローマ字で「Shinzo Ogi」と上詰めで添える。1~3行めの下、下寄せで楕円(3.5×2.5cm)の顔写真、その左、4~10行めに下詰めで極小さく紹介文。2行分空けて本文。体裁は同じで紹介文は各氏5~6行、長くて8行。
次いで、字下げなしで◆を十字型に5つ並べた記号があって(この記号は再現出来ないので仮に「◆」とする)その下にゴシック体で節の見出し。行空けなしで明朝体の本文。各節の最後に1行分空白。
〇〇三頁11行め「◆江戸東京、都市の連続性」との見出しがあって、12~18行め、
好むと好まざるとにかかわらず、二十一世紀の地球上の全人類は、都市及び都市化社会から何らかの影響を受けるで/あろうという予測がある。
そうした予測を背景に、日本における都市問題の重要な鍵を握る東京を、歴史的に連続している江戸と東京という一/貫した視野に立って考え、しかも江戸東京研究にかかわる各分野の研究者が一堂に会して、自由な雰囲気で研究しよう/という趣旨ではじめられたのが、「江戸東京フォーラム」である。
「江戸東京フォーラム」のねらいの第一は、江戸東京の都市としての連続性を明確にして、その意義を明らかにし、同/時に、断ち切られた面の特徴をも把握するところにある。【〇〇三】
小木氏はこの「江戸東京フォーラム」の世話人、すなわち代表でした。
ところで、冒頭の一文に紹介される「予測」はコロナウィルス下の世界に当て嵌まるもののように思われます。
それはともかく、〇〇四頁17行め~、2節め「◆一極集中は江戸に始まる」と、〇〇六頁17行め~〇〇七頁18行め、3節め「◆明治は江戸を一掃したか?」は、この「ねらいの第一」についての概説です。そして〇〇八頁1~12行め、4節め「◆学際研究をめざして」に「第二のねらい」そして1行分空けて13~18行めに本書の編集について述べています。〇〇八頁は全文を抜いて置きましょう。
◆学際研究をめざして
「江戸東京フォーラム」の第二のねらいは、江戸東京研究を単に一分野、たとえば歴史学研究者だけの集合体とするの/ではなく、学際的研究を稔*1りあるものにするところにある。
現在、「江戸東京フォーラム」に集う研究者は、建築家あり建築史家あり、近世史・近代史研究者あり、社会学者あり、/また都市計画研究者、文学研究者、民俗学者、書誌学者等々と、その専門を異にする。
これまでは、月一回それぞれ専門の立場からテーマを選定して、一時間半程度のレクチャーと一時間半程度の討論を/重ね、約四年が経過した。それぞれの発表の方法自体、演繹法あり、帰納法ありで、結論が同じ場合でも、その論証過/程の相違から受ける学問的刺激は大なるものがある。
ことに専門領域を同じくする者のみによる研究会では、とかく見落としがちな問題意識や、思いもよらない発想を耳/にすることがあり、学際研究の意義を改めて認識させられることもしばしばである。
また、発表者の問題意識をさらに深めて発展させるため、時に応じてゲストの発表をお願いすることもある。そのこ/とによってメンバー相互の研究発表では得られない学恩に恵まれることが多い。
「江戸東京フォーラム」は、住宅総合研究財団の研究助成をうけて発足した研究グループであり、やがて財団の自主研/究の一つとして位置づけられ、今日に至っている。本書は、「江戸東京フォーラム」で発表された研究報告であるが、/一般書としても、わかりやすく、読みやすく工夫をしたつもりである。ことに、本書の特色である研究発表後の討論に/も一定のスペースを割いているが、それは本書を手にする人が、共に研究会に参加していただいている雰囲気を、と願/ってのことである。
いずれにしても多くの方々のご批判、ご叱正を賜われば、これにすぎる喜びはない。
本書の成り立ちは二九五頁「あとがき」にも述べてあります、筆者名はなく、最後、1行分空けて9行め、1字下げで「一九九一年八月十五日」とあるだけです。2~8行めを抜いて置きましょう。
本書は、住宅総合研究財団の研究活動「江戸東京フォーラム」の記録をもととしている。この財団は、故清水康雄氏/(当時の清水建設社長)の出捐によって設立されたものと聞く。創業以来百八十年余、建設を通じて江戸・東京とともに/歩んできた清水家ゆかりの財団が、本研究に深い理解を示されたことに心から敬意を表したい。
本書の刊行にあたっては、財団理事、大坪昭氏の絶大な協力をいただいた。また、会員への連絡から記録の整理まで、/ひとかたならぬお世話をいただいた鈴木孝子氏にあらためてお礼を申し上げたい。
最後に、本作りからいえば大変面倒な作業を伴うにもかかわらず、快く刊行の労をとってくださった筑摩書房の井崎/正敏氏と熊沢敏之氏のご好意に感謝したい。
清水康雄(1901.2~1966.9)は清水建設の社長(1940~1966)で清水宗家五代目当主。「財団法人住宅総合研究財団」は現在の「一般財団法人住総研」です。「一般財団法人住総研」HPの「住総研の概要 > 沿革(住総研の歴史)」には、その冒頭、
●当財団は、故清水康雄(当時清水建設社長)の発起により、昭和23年(1948年)に東京都の認可により「財団法人 新住宅普及会」として設立され、「財団法人住宅総合研究財団」と名称変更の後、平成23年(2011年)7月1日「一般財団法人住総研」として、内閣府より認可されました。
とあります。
同じ「住総研」HPの「江戸東京住まい方フォーラム記録」を見るに、昭和61年(1986)に研究会として発足し、昭和62年(1987)の第8回までが研究会、第9回から公開研究フォーラムになっております。平成10年(1998)の第131回からは一般公開フォーラムとなって、司会を立てて複数の研究者が討議する形式が多くなり、それに伴って開催数も少なくなり、平成22年(2010)の第185回を以て終了しました。いえ、「■フォーラム開催のお知らせ」に拠れば平成23年(2011)3月13日開催予定の第186回「江戸東京野菜で、地域まるごとまちおこし」が東日本大震災のために中止になって、そのままになってしまったようです。――いつ「江戸東京住まい方フォーラム」と改称されたのかは、まだ確認しておりません。(以下続稿)
*1:ルビ「みの」。