・中村四郎さんの話(2)
昨日の続き。
【2】臨終間際の姉が夢枕に立った(19頁14行め~22頁4行め)
19頁15行め~20頁1行め、
どうも、わたしの一族は、大なり小なり、なんとなく、幽界との交通に適応した素質をもって/【19】いるようでございます。‥‥
と前置きして、3行め「人の死ぬときの念力の強さ」すなわち、1行め「いわゆる虫のしらせ」について語っている。5~11行め、
いちばんはじめに、わたしにとって忘れられない事件……それは、姉の死にまつわる話なので/すが……。
姉はたか子といって、美しい少女でした。が、十四歳で、敗血症のために、医者の誤診もあっ/て、手おくれとなり、一週間病床にあって、あっけなくも死んでしまいました。
はじめは、チフスかとまちがわれるほどの高熱になやまされて、しきりにアイスクリームが食/べたいといっておりましたが、大正十二年の秋のこととて、当時としては、アイスクリームな/ど、おいそれと手に入れることはできません。わたしは当時七歳で小学校の一年生でした。
大正12年(1923)秋に「七歳で小学校の一年生」あるのは、前回の最後に示した【1】の記述に基づく生年の推定、大正5年(1916)をさらに4月から8月までに限定させる根拠になる訳である。
さて、見出しにある「姉」に「夢枕に立」たれた人は、16行め「千葉市」在住の「姉の小学校の女の先生で並木先生という人」で、21頁2行め「結婚して、学校の方はとうの昔、おやめになっ」ていた。3行め「お知らせもしていな」い「並木先生」が中村家に現れたのは、6~9行め、先生の言に拠ると、
「たかちゃんが、あけがたの夢にあらわれて、私の病気より弟の腕の怪我の方が大へんだから、/先生、行って、母に教えて下さい……といったかと思うと、すーっと消えてしまったのですけ/ど、あんまりはっきりとした夢なので、何か起こったのではないかと心配になって、すぐ汽車で/東京に来てみたわけなのです」
と云う次第なのであった。13行め「姉の臨終さわぎにおどろいて」中村氏の怪我に構う余裕のない両親や、20頁14行め「親戚の人」や「近所の人」ではなく、遠方の、自分の病気のことも知らない恩師に伝言を頼んだ、と云うことらしい。21頁15行め「そこで、さっそく、叔父がわたしを病院につれて行き、レントゲンで診てもら」ったところ、骨折はしていなかったものの、骨に16行め「九割近くヒビがはいっていたことがわか」る。そして22頁1~3行め、
姉はその夜死にました。
四十度以上の高熱で、うわごとをいっていた姉は、別室に寝ていた弟の腕の怪我を知ってい/て、心配していたのでした。
と云う、本当だとしたら4行め「テレパシー」の存在を信じざるを得なくなるのだけれども、残念ながら(?)私にはこんな体験はないし、周囲にもいない(いや、いないこともないのだけれども信じられない)ので、まぁ、ほんまかしらんと思うばかりである。(以下続稿)