瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

平野威馬雄『お化けについてのマジメな話』考証(03)

 一昨日からの続き。
・中村四郎さんの話(3)
 さて、ここまでは問題はないのであるが、ここから親の年齢が出て来ると忽ち怪しくなって来る。但し前回、中村氏の生年を確定させたことで、平野氏の記述の混乱について、一応訂正案を示すことが出来たように思う。以下、確認して置こう。
【3】正装して現われた父の霊(22頁5行め~24頁9行め)
 この話、書き出しが奇怪である。22頁6~9行め、

 つぎは、大正十二年の十一月の末、秋のおわりのころの出来事でした。
 そのころ、家は、東京の中野坂上にありました。
 わたしの父は、昭和七年の七月三十一日に、六十八歳で死にました。脳溢血で、いわゆる中風/の状態のまま、七年も寝たきりでした。


 最後まで読んで行っても、大正12年(1923)には戻らない。昭和7年(1932)7月31日に、中村氏の父が死んだ日の出来事に、終始している。
 そうすると、初めの1行(22頁6行め)は、「大正十二年の秋」と云う姉の死について述べた【2】の、締め括りの文句だったのではないだろうか。――平野氏は、これらの話を録音したか、それとも速記やメモに拠ったのか、とにかく、元は何と言っていたか分からないが「つぎに」と聞き違えて、うっかり【3】の冒頭に置いてしまったのではなかろうか。
 大正12年当時の中村家が「東京」の何処だったのか、昭和7年当時は「中野坂上」で間違いないようだ。続きを見て行こう。22頁10~15行め、

 家が貧しかったので、私は中学校へも行けず、義兄の家に、写真製版の仕事の見習いに弟子入/りしていました。十五歳のときからです。
 その日は、朝から、やたらに家にかえりたくて、かえりたくてたまらなかったのです。日曜日/ではあるし、姉には母の家にかえるといって、出かけました。
 早稲田の姉の家から都電で新宿に出て、にぎやかな伊勢丹の横の映画館の前で、映画にはいろ/うか、どうしようかと。しばらく、看板をみあげていました。【22】


 確かに、昭和7年7月31日は日曜日である。前回見たように中村氏が大正12年に小学校1年生とすると、昭和4年(1929)に尋常小学校を卒業、旧制中学校には進学出来なかったものの高等小学校に進んで、昭和6年(1931)3月に卒業、その直後、満15歳になる頃から義兄の家に弟子入りしたことになる。
 さて、中村氏の父は文久三年(1863)か文久四年=元治元年(1864)生である。中村氏が生れた大正5年(1916)には満52歳か53歳だった。
 映画よりも先に家に一旦帰ろうと思った中村氏は、23頁2行め「堀の内行のバスにのり」家に帰ると、丁度父が息を引き取るところであった。ところで「正装して現われた」とは12~16行め、

 臨終をしらせる電報でかけつけてきた深川の叔母さんは、
「けさ、きちんと、つむぎのキモノをきて、糸まきの下駄をはいて、すーっと家の中に入ってき/た兄さん(死んだ父)の姿をはっきり見たので……」
 と、いいました。
 父は七代目の江戸ッ子でした。‥‥

と云う、叔母の夢ではなく現実(?)の目撃談に拠る。
【4】死んでも律儀だった母の魂(24頁10行め~26頁15行め)
 書き出し、24頁11~14行め、

 そのころは、杉並区堀之内のお祖師様の近くに住んでおりまして、私の母は昭和十三年一月二/十四日、八十三歳で亡くなりました。私の四十二歳の時でした。風邪がもとで四日間病床にあっ/ただけで、亡くなったのです。風邪がこじれて喘息になり、心臓をやられてなくなったのです。
 亡くなる三日前に、私が見舞いにいきますと、


 堀之内に住んでいたのが中村氏なのか母なのか、或いはともに堀之内に住んでいたのか、とにかく同居はしていないらしい。
 昭和13年(1938)1月に満83歳では安政元年(1854)生になってしまい、夫よりも10歳年上、中村氏を62歳で産んだことになってしまう。すなわち、ここも恐らくテープ起こしに際しての聞き違えで、中村氏の年齢からして昭和33年(1958)であろう。そうすると明治7年(1874)生*1と云うことになり、中村氏を産んだときに満42歳くらいである。
 係累の記述としては、25頁5行め「姉やその他の親戚」、9行め「愛子という‥‥千住で一人で住んでいる母の妹」、26頁13行め「棺をかついでくれた青年たちは、兄の会社の人々で」1行め「新倉さんと、高多さんと鈴木さんと館島さん」が見える。「兄」は【3】に登場した義兄であろうか。どうも、中村氏の母は、この「兄」とその妻である「姉」と同居していたようである。(以下続稿)

*1:明治8年(1875)1月の可能性もある。なお、厳密に云うと、1月では中村氏の誕生日はまだ来ていないので満41歳。或いは、7月(しちがつ)の聞き違えの可能性もあろうか。