瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

奥野健男『北杜夫の文学世界』(5)

 昨日は「あとがき」に見える本書編集の切っ掛け、著者の奥野氏、対象である北氏、そして編集者の宮脇氏の3人の関係について見て終わってしまったが、今回は「あとがき」の後半から、具体的な内容に関する記述を見て置こう。①169頁②201頁8行め~①170頁②202頁6行め、

 この本は、ぼくが今まで方々に書いてきた北杜夫に関する文章を集めたものだが、ならべて読/むといかにも重複が多い。特に解説や書評の類は、仕切り直しばかりしていて、新しい論述は後/半にしかない。ということは、北杜夫を論じる度に、どうしても読者に知って欲しい予備知識を/書かずには論を展開できないという、北杜夫文学のやさしそうで難かしい、誤解されやすい不思/議な性格に起因するのかも知れない。
 そういう理由で、ぼくは出版を躊躇していたのだが、「原っぱの文学」「初期作品」「幽霊」論/など、ぼくの中のモチーフを一応文章にしたこと、北杜夫の好意で、ながい〝しゃべり下し〟対/談をしたこと、そして『北杜夫全集』全十五巻が今年の秋に完結したことなどの要因がかさなり、/ここいらで一応のまとめを呈出すべきではないかと、ようやく北杜夫宮脇俊三への約束を履行/する決意をした。【①169②201】
 そういうわけでこの本は、北杜夫の好意と、宮脇俊三の編集者的発想によってたすけられた、/いわば三人の合作というかたちになった。特に北杜夫との対談を、ぼくのそれぞれの評論の後に/挿入するという、今までの評論集にない発想のもとに編集された宮脇俊三の努力に感謝したい。/彼の編集と北との対談により、重複の多いその時々の文章が活かされ、まるでこの本は自分の野/暮ったい作家論ではないような、読んでいてぼくもたのしくなるしゃれた本に生れかわった。お/そらく、ぼくの本の中でいちばん面白い本ではないだろうか。


 この「あとがき」は「一九七七年師走」付だから、「掲載書誌紙一覧」に「新稿」とあるものは「今年」は昭和52年(1977)に準備されたものであろう。
 本文すなわち「評論」部分に既にして「重複が多い」のに、「対談」でも同じ話題が繰り返されるからさらに「重複の多い」印象を与えそうなものだが、会話形式で挟まれると気にならないのである。いや、評論の「重複の多」さも気にならない。対談が、如何にも少年時代に親しかった者同士の遠慮のなさで、しかも北氏は東京市赤坂区、奥野氏は東京市渋谷区の、2km ほどしか離れていない場所で育っており、その点でも波長が合っていてすらすらと「たのしく」読めるのである。
 こうした世代・地域の共通項は巻頭の「原っぱの文学」にも次のように述べてある。①②10頁13行め~11頁5行め、

〝原っぱ〟が都会育ちの少年、特に戦前の東京の山の手育ちの子供たちにとって、どんなになつ/かしい場所であったか、かけがえのない故郷、自己形成空間であったかについては、ぼくは既に/「文学における原風景」という評論で、北杜夫などの作品を通じ詳述したことがあるので、ここ/では繰返さない。ただ島尾敏雄安岡章太郎吉行淳之介三浦朱門三島由紀夫山口瞳、辻/【10】邦生、山川方夫加賀乙彦吉村昭ら、ほぼ同じ世代の大都会生れの文学者たちと離していると、/幼少年時代の共通の思い出は、「少年倶楽部」と〝原っぱ〟に落着く。そして、ぼくたちの文学/は〝原っぱ〟文学とでも名付けるよりほかはないなということになる。小学校や中学校の校庭な/どではなく、餓鬼大将が支配する〝原っぱ〟にこそ、自己形成空間を、芸術や文学を支える原風/景を見出しているということは、興味部会ことと言わねばならぬ。

『文学における原風景』については「あとがき」にも、①169頁②201頁1~4行め、

 そういうぼくが、北杜夫文学の根底は何かと探ったのが、共通体験としての〝原っぱ〟の文学/である。そしてぼくの「文学における原風景」は、北杜夫と共有する〝原っぱ〟体験をもとにし/てつくられたぼくなりの文学の原理論であり、文明批評である。そこには北杜夫文学の影が大き/く反映している。

とある。――「そういう」とは、前の①168頁②200頁4行めに始まる段落、冒頭部のみ前回引いたが、中学時代そして流行作家への歩みを見守り続けてきたことを指している。
 この点は「原っぱの文学」の対談の方に、より生き生きと語り合われているのだが、これについては次回(部分的に)取り上げることとしよう。(以下続稿)