瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小沢昭一『わた史発掘』(3)

 本書が雑誌連載を元にしていることは、読み進めるうちに察せられるのだが、「その十二 道塚篇」の冒頭「反省録」の節の頭に、①単行本172頁3~8行め、②文春文庫184頁3~8行め、③岩波現代文庫194頁3~8行め、改行位置は①「/」②「|」③「\」で示した。

話の特集』の編集長の矢崎泰久氏を高校生たちが囲んで、読書論を展開するというテレ\ビ番組|が先/日あったそうな。
 実は私は見逃したので、また聞きだから、本当のところはつかんでいないのだけれども、\その|高校/生たちがみんな『話の特集』を読んでいて、それぞれが意見を述べたそうな。
 その時、『話の特集』に連載していた小生の「わた史発掘」も爼上*1にのぼり、「自分のこと\ばか|り言/っていて、僕等にカンケイない」と断じた若者がいたという。

とあってはっきりする*2
 もちろん「あとがき」には明確な説明がある。冒頭、①単行本357頁2~5行め、②文春文庫384頁2~6行め、③岩波現代文庫417頁2~6行め、

 べつにそれほど特異でもない平々凡々たる「わた史」を、私は二年間にわたって掘り返し\てみ|た。
 もともと忘れっぽいタチであるうえに、なにしろ、昨日より今日に追われて、日めくりカ\レン|ダー/式に、一日一日を捨てるように暮して*3来たドロナワ続きの戦後三十年だったから、\他人さ|まの力を借/りることなしに、自分史を辿ることは出来なかった。


 この「他人さまの力」と云うのは、母と生地を訪ねたり、近所に住んでいた人や学校時代の友人を訪ねたりして、対談して記憶を確かめたり引き出したり、新たな事実を知ったりしていることで、もちろん、最後、①単行本359頁18行め~360頁3行め、②文春文庫387頁1~4行め、③岩波現代文庫420頁5~8行め、

 この稿は、雑誌『話の特集』に、一九七六年一月号から一九七七年の十二月号まで、二年\間に|わた/【①359】って連載されたものであるが、今回少し手を入れた。連載中は、『話の特集』の井\上保さん|に本当に/お世話になった。芸能座の公演を重なった時期はシンドカッタが、井上さ\んがはげまし|てくれて、な/んとか書き終えた。心から御礼を申し上げます。

との謝辞があるように、編集の助力も大きい。井上氏が小沢氏の「発掘」に同行していたことは、「その六 小学校篇」で、①88頁②96頁③96頁「小学校の小同窓会をひらい」て、同級生4人に「少年小沢昭一について、当時を想い出して腹蔵なく語って」もらったときには「きっと居ても立ってもいられなくなるだろうと予見し」て「退場し」てしまうのだが、このとき「話のきき出し役を『話の特集』の井上保氏にたのみ、」この座談会を取り仕切らせていることからも察せられる。対談には登場しないが、その録音や文字起し等一切、井上氏が担当していたのであろう。
 井上保(1944~1994)は話の特集社の編集者で当時30代前半、晩年に何冊か本を出している。
小藤田千栄子・井上保 編『タップ&ダンス中野ブラザーズ1992年・話の特集
・『映画、さまざまな光』1992年・話の特集

映画、さまざまな光

映画、さまざまな光

・『「日曜娯楽版」時代――ニッポン・ラジオ・デイズ1992年・晶文社・『モーヴ色の肖像』1993年・現代書館
モーヴ色の肖像

モーヴ色の肖像

・『ピンクの三角形――ゲイ・リベレーションと文学の潮流1994年・現代書館 3月15日付「奥野健男『北杜夫の文学世界』(5)」に、奥野氏が評論に対談を挟む宮脇俊三の「編集者的発想」を褒めていたけれども、文章に度々対談を織り込んで「わた史」を組み立てて行く本書は、その先蹤と言えるかも知れない。
 それはともかく、「あとがき」は①360頁5行め②387頁6行め③420頁10行め「一九七八年一月」付で、連載終了後、直ちに書籍化に向けた作業を開始したのであろう。(以下続稿)

*1:ルビ②「そじよう」、③「俎上」ルビ「そじょう」。

*2:章の冒頭を点検して行くに、「その十三」に季節、「その十八」に時事、「その十九」に旅先公演に触れている。

*3:②③「暮らして」。