瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

越中の思ひ出(4)

 題とは相違して信越国境の思ひ出みたいな按配だが、越中旅行の途次の体験なので題はそのままにして置く。
 昨日の続き。
 さて、南小谷駅で2輛編成の気動車の、確か、1輛めの窓際に乗って発車を待っていると、新たに松本方面からの列車が到着したらしく、ぞろぞろと人がやって来るのだが、その数が尋常ではないのである。まだ空席のあった車内を忽ち鮨詰め状態にしてしまった。私の掛けていたボックスシートも、窓際で進行方向を向いた私以外の3席は全てこの連中で占められてしまった。
 地味で真面目そうな、詰まらなさそうな、大学生らしい連中で、サークルの夏合宿か何からしい。しかし、この分だともう1輛も同じように満員になっているはずで、人数が尋常ではない。そして、別に風景を眺めるでもなく、私のいるボックスシートでは、上級生もしくはOBらしき男性が、1年生らしき女性に人生がどうたらと云う課題を書かせているらしかった。話を聞いていると、どこの大学か、何宗系なのかは分からなかったが、とにかく仏教系のサークルらしい。
 私は姫川やその支流を渡る鉄橋やトンネルなどをメモしながら、彼らの話を聞くともなしに聞いていたのだが、平岩だったか、小滝だったか、とにかく山に挟まれた渓谷の駅に着いたとき、例によって私は、5月27日付(2)に述べたように乗降人数をチェックするべく身構えていたのだが、その駅のホームには2人だけ、ヤンキーぽい若い男が2人、立っていたのである。午後一番の列車で糸魚川に出て夜まで遊んで、余り遅くない最終列車で帰って来ようと云う計画だったのだろう。そこにこの列車が滑り込んできたのだが、その混み具合に気付いたときの彼らの表情、まさに茫然自失、黙って超満員の車輌をぼんやり見詰めるばかりだったのである。乗り込もうともせず立ち尽くして、そのまま列車を見送っていたのだが、このとき、私の心に彼ら Buddhist たちを憎む心が生じたのである。ヤンキー2人は、こんなに混んだ大糸線の列車を見たことがなかったに違いない。せいぜい朝、通学の高校生で多少混むくらいで、それでも乗れないなんてことはないはずである。いや、都会の通勤電車の経験があれば、彼らだって無理矢理乗り込んだだろう。押せば1人や2人、何とかなるのである。しかしその経験のない彼らは、全く、1歩も、動くことが出来なかった。日に数往復しかないから、これを逃せば夕方まで糸魚川行はない。これで彼らの楽しい今日の計画は台無しである。それに、これでは途中駅で下車するつもりの乗客がいたとして、下りることが出来ないではないか。尤も、この「下車出来ない事件」が発生したかどうかは、私には分からなかった。もう1輛で起こっていたかも知れないし、或いは私の乗っている車輌でも、ヤンキーたちのように乗降を諦めて、そのまま糸魚川まで乗った人がいたかも知れない*1
 さて、糸魚川から Buddhist たちがどうしたか、私は覚えていない。青海では電気化学工業(現・デンカ)青海工場越しに黒姫山を眺めて、親不知を殆どトンネルで抜け、そして越中に入る。今回は友人の勤務地である富山で落ち合うことになっていた。駅から歩いて富山市立図書館(富山市丸の内1丁目4番)に行って、今なら見たい本や雑誌が幾つもあるのだが当時はただ何となく書棚を眺めて過ごすばかりであった。この富山市立図書館本館も今は移転して、建物は Google ストリートビューを見るに、2019年5月の写真で取り壊し中であった。確か図書館の前に友人に迎えに来てもらって、呉羽山を越えて礪波平野に入る。
 越中の所謂呉東と呉西の違いについて説明を受けたのはこのときだったと思う。呉羽山を境にして、県の東部は言葉も文化も名古屋に近く、西部は関西に近い。君が前に来たときに石川県の女子高生たちがわざと関西弁にしたような方言を話しているように感じたと言っていたが、金沢は関西になりたがっているのだ、と。
 何曜日に行ったのかも思い出せないのだが、町の中心にある寺に連れて行かれたのもこのときだったろうか。他にも何ヶ所か連れて行かれたように思うのだが、殆ど記憶に残っていない。
 帰途もそうで、親不知の海を見たのはこのときだったかも知れないのだが、どこをどう通って帰ったのか記憶がない。やはり直江津・長野経由で碓氷峠を下ったのだと思うのだけれども。
 ただ、私が往路の大糸線で遭遇した Buddhist たちの話を友人は大いに気に入って、宗派が分からず、伝統的な仏教徒と云う風でもなかったので Buddhist と云う呼び方を思い付いたのだったが「迷惑なんだよ Buddhist」などと大いに盛上がったことは覚えている。いや、しかし、本当にそんな人数で田舎の日に数往復しかない列車を占拠しないで欲しい。貸切バスに分乗して来なさい。
 その後は、友人は出張で東京に出て来る機会もあったようだが、私は酒を飲まないので会って呑もうなどと云う話になることもなく、ただ、1度だけ偶然、当時私が騙されて(?)転学してしまった国立の大学院に向かう途中、初夏の朝の新宿駅で某線に乗ったら、その友人がいたのである。奇遇を驚き喜び、また越中に行きたいなぁと話したものだが、それからしばらくして、その機会が訪れたのであった。(以下続稿)

*1:こう記憶を書き出して見たのだが、まだ昼前だったような気もするし、実際下りられなかった人を見たような気もするのである。25年前の記憶は細部がぼんやりしている。いづれ当時の日記で確認することとしたい。