瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(085)

 昨日の続き。
・『日本昔話通観●第11巻富山・石川・福井』(5)
 橘正典『雪女の悲しみ』は10月7日付(066)に触れたように「139 雪女」の類話2を取り上げていたから、典型話も、類話1も、橘氏は見ていたはずである。しかし、取り上げていない。この辺り、9月30日付(059)に牧野陽子の言及を引用しただけだったので、ここに橘氏の原文を抜いておこう。『雪女の悲しみ』131頁3~8行め、

 ハーンは『怪談』の序文で『雪女』の話は武蔵の国西多摩郡*1調布の百姓から聞いたと書い/ているが、その原話がどんなものであったかはわからない。未来社版『越中の民話』『信濃/の民話』になかに、それぞれハーンの『雪女』とまったくよく似た話が収められているが、昭/和に入ってから集められたこれらの民話は、逆にハーンの作品の影響を受けているのではない/かとの考えもあり、両者の無条件の比較には危険が伴なう。それよりも、ここでは、ハーンの/『雪女』が上述の日本の雪女の民話のどの型と関連するかの方が注目に価すると思われる。‥/‥


 すなわち、「原話がどんなものであったか」と云う興味目的からすると「逆にハーンの作品の影響を受けているのではないかとの考えもあ」る「ハーンの『雪女』とまったくよく似た話」を「比較」すること「には危険が伴なう」と考えたから、典型話も取り上げず、そして『信濃の民話』や『越中の民話』よりも古い戦前の文献ではあるけれども、昭和5年(1930)であっても「昭和に入ってから集められた」ことには変わりないから、青木純二『山の傳説 日本アルプス』にも、敢えて触れなかったのであろう。――単なる見落としの可能性もあるけれども。
 ここで敢えて注意して置きたいのは、9月30日付(059)に引いた牧野氏の新稿の、橘氏が「『越中の民話』『信濃の民話』に収められた「雪女」と似た話については、「昭和に入ってから集められたこれらの民話は、逆にハーンの作品の影響を受けているのではないか」と述べている。」との指摘である。――原文を読めば分かるように、これは橘氏の考えではない。橘氏は「逆にハーンの作品の影響を受けているのではないかとの考えもあり」と、他人の説に触れているだけである。そしてこれは誰の説かと云うと、8月19日付(023)の後半に引用・検討した、牧野氏の旧稿に於ける説なのである。すなわち、牧野氏は自分の説に言及しただけの橘氏の本の記述を、恰も橘氏の説であるかのように引用しているのである。――流石に「演出」ではないだろうと思うが、ちょっとアンフェアである。橘氏の態度は飽くまでも「保留」であろう。

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 さて、前回の最後に触れた小柴直矩『越中伝説集』だが、歿後81年になる小柴直矩の著作権はもちろん切れているのに、何故か一部の著書しか国立国会図書館デジタルコレクションの[インターネット公開]になっていない。『越中伝説集』は初刊本(『富山郷土資料叢書』第七)も再刊本(『富山県郷土史会叢書』第四)も[国立国会図書館/図書館送信限定]である。「日本の古本屋」やオークションサイトを見ているが、出品自体が殆どないようだ。国立国会図書館デジタルコレクションでは「目次」も表示されないので細目も分からない。しかし、大体の細目は、初出誌の情報を辿ることによって知ることが出来るのである。(以下続稿)

*1:ルビ「ごおり」。