昨日の続き。
私は国立の大学院に騙されるようにして移って、2度学会発表をさせられたのだが、うち1度が金沢であった。
そこで、新宿で再会してしばらく車中で久闊を叙した越中の友人に早速連絡して、またお世話になりたいと言うと快く引き受けてくれた。
このときはもう私も実家を出ていたが、大学院の都合で一時的に高校の非常勤講師を辞めていたから、時間の自由が利くと云えば実家にいた修士課程の頃と余り変わらなかった。しかし、精神的な余裕がなくなっていて、この旅行のことは、最後の越中旅行になったのに、特に往路復路にどこを通ったのか、全く覚えていないのである。大糸線を往復したのか、直江津から信越線で長野に出て、碓氷峠はもう通れなくなっていたから篠ノ井線で中央線を回ったのか‥‥。
そう云えば、国立大学の出張と云うと、寄り道が許可されないと林望が東京藝術大学辞職の理由に挙げていたと思うのだけれども、陸路を鉄道で移動する場合はそこまで窮屈ではない。飛行機を利用する場合、必ず、出発地の空港から目的地の空港まで往復乗らないといけないのである。どうも役所の手続きは事務的と云う以上に奇妙なことが多い。私はこの期間に3度めの高知旅行をしているのだが、往復飛行機での移動しか認められていなかったので、生れて初めて飛行機に乗った。別に恐かったから乗らなかったのではなく、タモリと同じで地上を移動したいのである。
周遊券はなくなっていたので、正規の運賃を払って、但し特急券は買わずに、やはり東から越中に入ったはずである。
長野新幹線が金沢まで延伸することになっていて、北陸本線は第三セクターに移管されるはずであった。友人はこれに反対で、別に自分たちは新幹線なんか望んでいない。急いで東京に行くときには飛行機を利用していて、それに慣れており、何の不便も感じていない。ローカル線が切り捨てられる方が問題ではないか、と言っていた。今はどう考えているか、その後ゆっくり話す機会がないから分からない。
落ち合ったのはやはり富山であったろうか。それすらも思い出せない。
とにかく車で友人宅に行き、以前の訪問で親しく話す機会のあったお父さんやお祖母さんは既に亡く、お姉さんは嫁ぎ、妹さんはいたのかどうだか、私らも30過ぎだからもう大学を卒業して就職している時分だが、詳しい話を聞かなかったので覚えていない。いや、初めて訪問したときに、おかっぱの子供みたいな中学生と一度挨拶しただけだった。とにかく数年で随分静かになってしまったと思ったものだった。
学会発表の内容をざっと紹介したり、今の大学院のことを話したりして過ごす。基本、食事も就寝も全て客間で、立派な仏壇は毎度拝ませてもらったが、友人の部屋も一度も見ていない。蔵書など多少興味はあるけれども、無理に見たいとは思わないのである。
翌朝はすぐだからと云うので車で倶利伽羅峠を越えて金沢まで送ってもらう。空は曇っていて、さっと雨が降って、止む。時雨で、秋はこうなのだと言う。シーズンでないので人もまばらな兼六園に行った。それから別れて、私は玉川図書館の参考資料室に立ち寄り、それから学会の会場に向かう。午後からの大会1日めに発表することになっている。晩は懇親会があって、発表者は意見を聞くために参加することになっているのだが、私の専門は人のやっていない、余り興味を持たれていないことなので、出席しても余り意見を賜ったことがない。しかし出ない訳には行かぬので出席して、案の定いたたまれないような気分にさせられた。
終わる頃にはもう遅くなっているはずだから、友人には金沢で宿を取ると伝えてある。しかし、ホテル泊りの教授陣と別れて夜の街を歩くが、なかなか安宿が見付からない。宿を見付けたのは23時半だったかと思う。
しかし、遅く寝ても翌朝は早くに目が覚めて、すぐにいたたまれなくなってしまう。素泊りだから長居は無用と、日曜の朝の金沢の町を散策する。そして再び大会の会場に行き、2日めの初めから発表を聞く。思えば真面目なものだった。今は他人の研究にとんと興味が湧かない。
この学会発表だが、後に学会誌に投稿したのだが妙な難癖を付けられて落とされてしまった。編集委員長に問題があったのか8本中6本が落とされ、流石に理事たちからこの審査結果には疑義が出、改善するよう編集委員会に意見が出されるや、なんと編集委員長は自分の指導する院生に急遽投稿させ、それを載せてしまったのである*1。そこで私の分はそのまま別の学会誌に回してそちらに掲載されたが、何とも不愉快な出来事であった。しかし「これとこれが繋がっているのか!」「どこからこんな資料を掘り出して来たのか!」「この資料にこんな活かし方があったのか!」と*2、国立の大学院の教授に間違って見込まれてしまうことになった私ならではのハッタリ味満載の藝風が横溢する、好発表・好論文なのだけれども。
終了後、裏通りを通って金沢駅に向かう。風情のある安宿を見付けて、昨日見付けておれば泊まっただろうと思う。新築の小綺麗な旅館が倒産していて、銀行などに騙されて新装開店したものの上手く行かなかったのだろうと思う。インバウンドがどうとか言われていなかった時分の話だ。
友人には何処から連絡を入れたのか、多分金沢駅からだと思うが、高岡駅まで迎えに来てもらうことにする。
そして友人宅に、1日置いてもう1泊して、その翌日にゆっくり帰ったのだが、この帰途のことも全く覚えていない。
その後友人は、会社で出世して、結婚して、私の泊まった家とは別の場所に新築を建てた。一度、洋風美人の奥方と新居を拝見旁々、ご家族の位牌に線香を上げに行こうと思っているのだが、その機会はないままである。(以下続稿)