瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(086)

・日本の民話55『越中の民話』第二集(1)
 さて、遠田勝『〈転生〉する物語』に、『日本昔話通観●第11巻/富山・石川・福井』とともに取り上げられ、11月14日付(080)11月15日付(081)11月16日付(082)に見て来たように、やや恣意的な評価がなされていた石崎直義 編『越中の民話』第二集の「雪女」について、昨日まで、『越中の民話』の第一集・第二集の2冊全体の内容や話者について確認し、特に昨日、11月25日付「日本の民話55『越中の民話』第二集(4)」にて、「雪女」の話者である富山県下新川郡朝日町の大井四郎が10話、すなわち数だけでは『越中の民話』第二集全98話中の1割強を提供していることを確認した。しかし、大井氏の素姓が分からない。『越中の民話』第二集に同じくらいの数の話を提供している高橋源重、広田寿三郎、奥田新作、成瀬岩松・初枝(夫妻?)については、元教員もしくは郷土史家としての閲歴をOPACその他のネット検索にて辿ることが出来、編者の石崎直義との縁もそこから生じたらしいことが察せられるのだが、大井氏の情報は全くヒットしないのである。従って他の話者と同じように、地域の知識人であったかどうかも分からない。――「広報あさひ」各号に「ごめいふくを」と題する訃報欄があるから、辿れば歿年月と年齢が分かるはずなのだけれども*1
 そう云えば、11月18日付(084)に見た、石崎氏と同世代で同じような閲歴で、伝説に関する著述が既に幾つかあった野島好二が、ここには出て来ない。理由は様々に想像されるのだが大した根拠がある訳でもないから、ここではこの事実をメモするに止めて置こう。
 とにかく、現状では話者の大井四郎について、年齢経歴等、何らの材料も得ていない。高橋・広田・奥田・成瀬・野島そして石崎氏と同世代であると云うような見当を、何となく、付けて見るばかりである。
 この大井氏の「雪女」だが、11月17日付(083)に見た伊藤曙覧の稿本(伊藤稿)の、中新川郡立山町の「雪女」と比較しつつ見て置こう。
 冒頭、55頁2~6行め、

 むかしむかしのこと、ある年の秋も深まったころだったと。
 猟師の茂作が、息子の蓑吉を連れて、越中と越後と信濃の三国の境にまたがってそびえる白馬岳に/続く山奥の方へ猟に行ったと。山ではもう冬に近く、新雪が積もって風も冷めたかった。何かよい獲/物を捕りたいもんだと、険しい山道を登っとったところ、急に空模様が変ってきて雪が降り出した。/そのうちに風が強まり猛吹雪になったがや。二人はあわてて途中の山小屋の中へ駆けこみ、‥‥*2


 白馬岳は朝日町の南端近く、長野県北安曇郡白馬村との境に位置する。しかし最も近くの集落である羽入、蛭谷、或いは小川温泉からでも相当な距離がある。大井氏はその辺りを把握しているので伊藤稿のように「白馬岳のふもと」などとせず、無理のない「白馬岳に続く山奥の方へ」と云う場所に設定している。これなら小川温泉から越道峠を越えて、黒薙川の上流、北又谷、柳又谷、この2つに挟まれた朝日岳(2418m)の山塊辺りと見当が付けられそうだ。
 それから伊藤稿では「冬さむい日」だが雪ではなくて「雨風」に「山小屋へ逃げて入」り、そのまま「疲れもあったせいか」眠ってしまうことになっていた。雪は夜中でも「少し」しか降っていない。
 一方、大井氏の「雪女」では晩秋だが既に「新雪が積もって」いて、そこに「猛吹雪」が襲う。――但しこの未来社『日本の民話』シリーズは、話者の話そのままではなく「再話」作品なので、何処まで大井氏が語ったのか分からない。それもあってか伊藤曙覧は、『日本昔話通観●第11巻/富山・石川・福井』に青木純二『山の傳説 日本アルプス』の「雪女」を類話として採用しているのに、この『越中の民話』第二集は不採用にしているのである。もちろん『山の傳説』の素姓を知らなかったからなのだろうけれども。
 しかしながら、何処からが石崎直義による潤色なのか判定のしようがないから、ここは一応、全てを大井氏の語りと云うことにして、以下も検討を進めて行くことにする。(以下続稿)

*1:朝日町HPでPDF公開されているのは平成19年(2007)以降の分で、恐らくそれ以前に歿していると思われるので公開分の全てを点検してはいない。

*2:ルビ「/みの・しろうまだけ/え /もの/ふ ぶ き/」。