池内氏の話ではないですが、最近「炎上」している書籍に、次の本があります。これは版元が絶版回収を決定したそうです。
これも私は見ておりません。しかし佐村河内守(1963.9.21生)の『交響曲第1番 ”HIROSHIMA” 』のCDは今でも図書館にあって、私は借りたこともある(!)のですが、図書館に収まっているものは回収を免れて今後も閲覧出来ましょう。しかしながら、私は『ゴレンジャー』を見た記憶はあるのですが『ウルトラマン』は余り見ておらず、知識も殆どありません。ですからたとえ読んだとしても付いて行けないと思うのですが、――驚くのはこれが博士論文で、問題になっている箇所は2015年に紀要論文として発表済みだと云うことです。これなどは、私が以前から抱いていて、そして最近はもう遠いことのように感じられるようになった「査読」の問題点を思わせます。私などは、最近は註に挙がっている文献まで確認する余裕などとてもありませんが、12年半(!)に及ぶ大学院生時代には、参考資料を漁ってそれを自分の論文に使うような場合には、その註に挙がっている文献も念のため確認するようにしていたものです。意外と、註に挙げた文献の趣旨を取り違えて使っている場合があるのです。花岡氏ほどの大間違いではないにしても。
ですから、私はどうしても論文を量産するような態勢を作れませんでした。手間ばかり掛かって論文の完成にまで辿り着かない。それでも、自分が手間を惜しんで好い加減なことを書いて、それが広まってしまうようなことになったら大変だ、と思ったからです。――私は修士課程のときに学会発表をして、恐らく一番の出来だったのですけれども*1、それを未だに論文にしておりません。いえ、実はさっさと論文にして済ませてしまうつもりだったのです。しかし指導教授が学会で発表するように言うので、本格的に周辺を調べ始めました。骨子は、ある、日本史の教科書にも名前の出るような有名人の書いた本に色々な漢籍からの抜書があるのを、従来はその人物が晩年に漢籍に沈潜したのだと云う風に解釈しておったのですけれども、それが実はほぼ1冊の本に拠っていた、と云うことで、私はたまたま卒業論文でその全く有名ではない種本の方を熟読しておったので、見抜くことが出来たのです。その事実は動かしようがないので、取り敢えずそのことだけ対照表でも作って指摘しておけば、後の判断はその人物の研究家の方で宜しく取り扱ってもらえば良い、と、当初は思っておったのです。
ところが、学会発表することになったので、種本の方は今更余り補うこともありませんでしたので、専ら有名人についての知識を仕入れることに専心しました。そうすると、私はその人物については、たまたま図書館で一般向けの叢書を手にして、内容の類似に気付いただけでしたから、全く知識がありません。いえ、私は世界史で受験して細かい字句に拘う日本史(!)が得意でなかったので、その人物も知らなかったくらいなのです。そうして何とか学会発表までにその人物について一通りの知識を身に付け、以後も継続して博士論文の主題にしようかと思うくらいにまでなりました。結局、不幸な経緯でそれは実現せず、骨子だけでも論文化して置けば良かったものを、全く書かずに20年以上経過してしまいました。しかし私はやはり、当時書かないで置いて良かった、と確信を持って云えるのです。そのくらい、世間はうっかり者に溢れており、注意しておっても誤謬が幾らでも広まりかねない。中途半端な状態で書いてはいけないと思うのです。
一応、学会発表要旨に書いてありますし、研究書で言及されたこともありますので、私の発表内容が全く世間に出回っていない訳ではないのだけれども、やはり未だに、その人物が色々な漢籍を読み耽っていた、と思っている人が出て来る(であろう)ことの方が問題かもしれません。しかし、それは従来の見解と変わらない訳で、別にそれでどうすると云うほどの大人物でも大問題でもありませんから、特に慌てる必要も感じません。――死ぬまでには何とかすることとしましょう。しかし日本政府はコロナとオリンピックをどうするつもりなのだろう。まぁこれで死なぬことを祈るばかりです。
話を元に戻しましょう。――結局、紀要の査読者も、博士論文の査読者も、表面的な読み取りと評価をしているに過ぎない。私の場合、5月30日付「越中の思ひ出(5)」に書いたような経験もありますから一層査読などと云うものを信用し兼ねるのです。いっそ、博士論文は主査と副査とで何人もいるのですから、章ごとに分担して註に挙げた文献と齟齬しないか、一々確認したら良いでしょう。違っていたら評価を下げることにして。いえ、実は最近、「越中の思ひ出(5)」に触れた学会誌を落とされた論文にてさらっと指摘した事実について、10年位前に関西の私大に提出された博士論文の審査結果に、重要な点の1つとして特筆されていたので、仰天したばかりなのです。そもそも大した事実でもないし、そんなことは私が20年位前に学会発表し一応(別の)学会誌に書いていることなのです。いえ、そのくらい、学者の世界では知識の積み上げが、有効になされていない。執筆者も審査する連中も、どこまで分かっているかを厳密に確認せずにやるから、こんな妙なことになる。無用な繰り返しが多くなる中で、不注意な記述が増え、そうこうするうち学界全体の活力も失われて行くことでしょう。
いえ、日本政府とその感染症対策やらオリンピックやらの関係者も同じですね。オリンピック連呼の中で感染と閉塞感ばかりが拡大する訳だ。
私が当ブログを始めたのは、論文以前の検討結果を公表して置く、と云うところにもありました。まぁそのせいで確認不十分の与太ばかり書くような按配になってしまったことについては、誠に忸怩たる思いでおります。が、機会があればこのような瑣事の確認ばかりでなく、きちんと昇華したエッセンスを書こうという気持ちだけは持っておるのです。依頼がありませんけれども。――それはともかくとして。
池内氏には大変多くの著作があります。すなわち、6月12日付「新聞解約の辯」を書いて早々に参照するのも少々後ろめたいような気もするのですが「論座-朝日新聞社の言論サイト」の「[連載]三省堂書店×論座 神保町の匠」に松本裕喜(編集者)が2020年10月12日付で寄稿した「「歩き」「読み」「書いた」人――池内紀さんの本の世界」に、
全集みたいなものはこれから出るのだろうか。出ないだろう。世紀末ウィーンやカフカに始まって、カール・クラウス、ゲーテ、カント、グラス、ジュースキントにいたるドイツ語圏文化の翻訳と紹介、山登りから温泉めぐり、町歩きまでの旅のエッセイ、学者・作家・画家から芸人までの人物エッセイ・評伝、名作童話から時代小説までの文学評論と、池内さんには膨大な著作があり、網羅的な全集・著作集は出しようがないからだ。
それでは『池内紀伝』のような評伝は出るだろうか。出ないだろう。ドイツ文学者でも誰でも、池内さんの知的好奇心というか幅広い雑学は手に余って書きようがないだろうから。
とあって、これはその通りなのでしょう。しかし、今更全集とか云う時代でもないと思うのです。必要があるとすれば単行本から漏れた文章の選集でしょう。「秋田魁新報」連載中で75回で中絶してしまった「菅江真澄旅の伝記」など、晩年の連載など興味があります。しかし、吉川弘文館『宮田 登 日本を語る』全16巻のように網羅的にする必要はないでしょう。
『宮田 登 日本を語る』については2月12日付「赤いマント(312)」等に批判を加えましたが、これは池内氏の文業にも若干重なるところがあるように思います。すなわち、繰り返しが多いことと、細部を詰めずに書いているらしいことです。――私も、池内氏の「網羅的な全集・著作集は出しようがない」と思いますが、むしろこちらの方が理由になるのではないか、と思うのです。(以下続稿)
*1:以前、2015年6月19日付「学会誌の訃報欄(3)」に書いた先輩のE氏が、余りに上手く行き過ぎたので「××君がこれで学会とはこんなもの、と甘く見ないか心配です」と言っていたのだが、恐らくE氏の懸念とは逆の方向で私はどんどん学会を軽んじる、と云うか、学会の意義が感じられなくなって行ったのだった。ちなみに2015年8月10日付「吉田秋生『櫻の園』(2)」の註に登場する「先輩」もE氏。