瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

芥川龍之介「尾生の信」(11)

 一昨日からの続き。
・『荘子』雜篇盗跖第二十九(3)
 「盗跖篇」には「孔子と盗跖の問答の他に2話「」子張と満苟得の問答(115~123頁)、「」无足と知和の問答(124~133頁)が収録されている。その「」にも、似たような文脈で尾生が持ち出されているのである。
 岩波文庫荘子 第四冊(雑篇)』116頁2行めの註*1に「 子張――孔子の弟子。道義的な儒家の立場を代表する。」とあって実在の人物(顓孫師)を使っているが、他の3名は架空、満苟得は116頁2~3行めの註に「 満苟得――少しでも獲得して満足すると/いう意味。欲望のまま利に走る立場を代表する。」と解説されている。
 それでは岩波文庫金谷治の校訂した当該箇所の原文を見て置こう。119頁16行め~120頁1行め、

‥‥、比干剖心、子胥抉眼、忠之禍也、直躬証/父、尾生溺死、信之患也、鮑子立乾、申子自埋、廉之害也、孔子不見母、匡子不見父、義之失也、/【119】此上世之所伝、下世之所語、以為士者、正其言、必其行、故服其殃、離其患也、


 金谷氏の書下し文を前回と同様に手を入れて抜いて置こう。120頁15行め~121頁1行め、

 比干は心を剖かれ、子胥は眼を抉らるるは、忠の禍なり。直躬は父を証し、尾生は溺死するは、/信の患ひなり。鮑子は立ちながら乾き、申子は自ら埋まるは、廉の害なり。孔子は母を見ず、匡/子は父を見ざるは、義の失なり。此上世の伝ふる所、下世の語る所、以て士たらんとする者は、/【120】其の言を正し、其の行を必す。故に其の殃に服し、其の患ひに離るなりと。


 最後に「と」とあるのは、ここまでが満苟得の発言だからで、これがこの問答の結論になる。
 金谷氏の現代語訳、121頁11~18行め、〔 〕は半角。

 比干が殷の紂王に心臓をひきさかれ、伍子胥は呉王によって目をえぐりとられたのは、忠を尽/くしたための禍いである。直躬が父の盗みを証明し、尾生高が〔女との約束を守って〕溺れ死んだ/のは、信を守ったための災難である。鮑焦が〔木を抱いて〕立ったままで乾いて死に、申徒狄が/〔石を背負って〕自分で黄河に沈んだのは、廉潔を守ったための弊害である。孔子〔陳仲子?〕が母/に会わず、匡章が父に会わなかったのは、正義を守ったための過失である。これらはみな昔から*2/言い伝えられてきたことで、また後世の話題でもある。士人として認められようとする者は、そ/のことばを厳正にし、その行動を専一にするものだから、〔そのとらわれのために、このように〕/身の禍いをこうむり、害にあうことになるのだ。」


 この現代語訳では「尾生」ではなく「尾生高」となっている。ここには註はないが、前回見た「」に次のような註があった。110頁1~2行め、

 尾生――微生とも書く。名は高。ば/かがたいことを「尾生の信」といって、よくひきあいに出される。


 どこから「高」と云う名が出て来たのか、その説明はないが、ここに7月11日付(08)に見た『日本国語大辞典』の「尾生の信」項の用例『性霊集』と同じ「微生」が出て来る。つまり「微生高」と云う、他のことで知られている人物がいて、それがこの溺れ死んだ「尾生」と同一人物だと云うのである。――7月6日付(03)に見た支那奇談集 第二編は「‥‥。尾生とばかりで其名は伝わらぬが、‥‥」として、尾氏の某の意味で取っているが、実は(?)「尾生」もしくは「微生」と云う、複姓だったのである。(以下続稿)

*1:註番号はゴシック体半角漢数字。投稿当初は省略したが、後々言及する際に使用することもあるかと思って補う。

*2:ルビ「ひ かん・いん・ちゆう・ご し しよ・ご /ちよくきゆう/ほうしよう・かわ・しんと てき//きようしよう」。