さて、これまで日本で「尾生(の信)」について説明のある書物、寛永六年(1629)刊『春鑑抄』、明治39年(1906)刊『支那奇談集 第二編』、大正元年(1912)刊『〈故事/俚諺〉教訓物語』を見て来た。もちろん、まだまだあるであろう。
7月9日付(06)に見た『春鑑抄』は「信をば知りて義を知らぬ人は、物事に過ちあるべきぞ。」として、尾生の「信」それ自体には悪い評価を下していないようである。「義」を分かっていなかったために「片落ち」になったと云うのである。7月6日付(03)に見た『支那奇談集 第二編』では「信」の「真意義を誤った事に、使われてい」て、「正直の上へ馬鹿の冠を蒙せる時と似たような意」つまり「馬鹿正直」のような意味だとする。7月4日付(01)に見た『〈故事/俚諺〉教訓物語』になると「つまらぬ約束を守って、馬鹿な目に逢うことをいう」と、より結果を重視する。とにかく『支那奇談集 第二編』と『〈故事/俚諺〉教訓物語』は、説明に「馬鹿」を使っているところからも、尾生を尊重するような態度は認められない。
私も、そのような意味で「尾生の信」を捉えていた。
ところが、辞書を見ると、そうでもないのである。小学館版『日本国語大辞典』を見てみよう。
家には揃いで第一版の縮刷版がある。
1413頁2段め(4段組)12~23行め、見出し行以外は1字下げ、〔〕は袋文字(中抜き)。
びせい‐の‐しん【尾生信】〔連語〕(中国、春秋時代、魯/の尾生という男が女と橋の下で会う約束をして待っ/ていたが女は来ず、大雨で河が増水しても男はなお/約束を守って橋の下を去らなかったために、ついに/溺死したという「荘子‐盗跖」「戦国策‐燕策・昭王」「史/記‐蘇秦伝」などに見える故事から)固く約束を守る/こと。信義の固いこと。また、馬鹿正直で、融通のき/かないこと。*性霊集‐五・為橘学生与本国使啓一首/「此国所給。衣糧僅以続命。不足束脩読書之用。若使。/専守微生之信。豈待廿年之期。非只転螻命於壑。誠/則。国家之一瑕也」*淮南子‐説林訓「尾生之信、不レ/如二随牛之誕一」 [発音]ビセイ△ノシン〈標ア〉[ビ]=[シ]
第二版もほぼ同じで空海の『性霊集』に〔835頃〕と成立年が添えてある他、句点を句読点に改め、返り点を補っている。――ここで気になるのは「微生之信」となっていることで、これが「春秋時代、魯の」人だと云うこととも絡んで来るのだが、この問題は追って取り上げることとしよう。或いは、これが、私の知っていた「馬鹿正直で、融通のきかないこと」と云う意味よりも「固く約束を守ること。信義の固いこと。」の方を先に示していること――『日本国語大辞典』が典拠として挙げている『荘子』『戦国策』『史記』のいづれも「馬鹿正直で、融通のきかないこと」の譬えとしか読めないのだが、――とも、関係しているように思われるのである。(以下続稿)