昨日の続き。
・林道春『春鑑抄』(2)
それでは「〇信」の五十五丁裏4行め~五十六丁裏9行め、尾生の話をその前後も含め抜いて置こう。
早稲田大学図書館雲英文庫本から文字起しして奈良女子大学学術情報センター本で校正した。仮名抄の版本の片仮名には異体字が殆どなく「子」と「せ」くらいである。これは前者が「ネ」、後者が「セ」で、普通翻刻する際には通行の字体に直すのであるが、雰囲気を残すためにそのままにして置いた。
‥‥。タヾシ信/ヲヲコナフニ。義アルベシ。論語/有子曰信近二於義一。言可レ復也/イフコヽロハ。信ハマコトナリ。人ト物/ヲ約束シテ。イサヽカモチガハズ。ト/ドクルカタゾ。義宜也風ヲミテ。/帆ヲツカフガゴトクゾ。サテ信バ/カリヲ守テ。物ヲチガヘジトス/レバ。カヘツテカタヲチニ。信ヲ失フ/*1【五十五裏】コトガアルゾ。サルホドニ信ヲバ。/義ニ近フシテ。行フベシ。一旦ハ胡/乱ニキコユレドモ。終ニハソノ義/ガ。信ニ帰スルゾ。昔尾生ト云モ/ノアリ。アル女房トチギルニ。ハシ/ノシタニ期シテ。ツ子ニアイヌ。ア/ルトキ尾生サキニ行テ。マツト/コロニ。ニハカニ大水イデタリ。コヽ/ニ尾生オモフニハ。橋ノシタニマ/ツト云。約束ヲチガヘテハ。信ニ/アラズトヲモヒテ。ソコヲシリゾ/クコトナクシテ。ツイニ大水ニヲ/*2【五十六表】ボレテ死ス。コレハ信ヲシリテ。義/ヲシラザルモノナリ。義ヲシラ/バ。ハシノホトリニシリゾキテ。女/房キタラバ。サテモハシノ下ト/ハ。約束シタレドモ。大水ガイデ/タル故ニ。コヽニアルト云ハヾ。信モ/義モアルベシ。信ヲバシリテ。義/ヲシラヌ人ハ。モノゴトニアヤマチ/アルベキゾ。‥‥*3
『日本思想大系28』の石田一良 校注「林羅山」の校訂本文は以下の通り。一部漢字を当てて原文を〔 〕で括ってルビにしているが、ルビは省略した。一四七頁11行め~一四八頁三行め、
タヾシ、信ヲ行フニ義アルベシ。論語ニ、「有子曰、「信近二於義一。言可レ復也」」。イフ/心ハ、信ハマコトナリ。人ト物ヲ約束シテ、イサヽカモ違ハズトドクルカタゾ。「義宜也」。/風ヲ見テ帆ヲツカフガゴトクゾ。サテ信バカリヲ守テ物ヲチガヘジトスレバ、カヘツテカ/タヲチニ信ヲ失フコトガアルゾ。サルホドニ、信ヲバ義ニ近フシテ行フベシ。一旦ハ胡乱/ニ聞コユレドモ、終ニハソノ義ガ信ニ帰スルゾ。昔、尾生ト云モノアリ。アル女房トチギ/ルニ、橋ノ下ニ期シテツネニアイヌ。アルトキ、尾生サキニ行テ待ツトコロニ、ニハカニ/大水イデタリ。ココニ尾生思フニハ、「橋ノ下ニ待ツト云約束ヲチガヘテハ、信ニアラズ」/ト思ヒテ、ソコヲ退クコトナクシテ、ツイニ大水ニ溺レテ死ス。コレハ信ヲ知リテ、義ヲ/【一四七】知ラザルモノナリ。義ヲ知ラバ、橋ノ畔ニ退キテ、女房キタラバ、「サテモ、橋ノ下トハ/約束シタレドモ、大水ガイデタル故ニ、コヽニアル」ト云ハヾ、信モ義モアルベシ。信ヲ/バ知リテ義ヲ知ラヌ人ハ、モノゴトニアヤマチアルベキゾ。
かなり読み易くなっているが、出来るだけ原文を保存しようと云う方針で校訂されているので、まだ読みにくいかも知れない。
そこで、漢文を書き下し、片仮名を平仮名に改め、より多く漢字を当て、送仮名を補ったものを示して置こう。
但し、信を行ふに義あるべし。論語に、「有子が曰く、「信をば義に近ふせよ。言復すべし」」。云ふ心は、信はまことなり。人と物を約束して、些かも違はずとどくるかたぞ。「義は宜なり」。風を見て帆を使ふがごとくぞ。さて信ばかりを守りて物を違へじとすれば、却つて片落ちに信を失ふことがあるぞ。さるほどに、信をば義に近ふして行ふべし。一旦は胡乱に聞ゆれども、終にはその義が信に帰するぞ。昔、尾生と云ふ者あり。ある女房と契るに、橋の下に期して常に逢ひぬ。ある時、尾生、先に行きて待つところに、俄に大水出でたり。ここに尾生思ふには、「橋の下に待つと云ふ約束を違へては、信にあらず」と思ひて、そこを退くことなくして、終に大水に溺れて死す。これは信を知りて、義を知らざるものなり。義を知らば、橋の畔に退きて、女房来らば、「さても、橋の下とは約束したれども、大水が出でたる故に、ここにある」と云はば、信も義もあるべし。信をば知りて義を知らぬ人は、物事に過ちあるべきぞ。
橋の下で密会していたのがいつものことだった、と云う印象を持っていなかったので、そこは新鮮に感じられるが*4、それはともかくとして、やはり尾生が溺れ死んだのは「俄に大水出でたり」と云う不測の事態に拠るものだった、と想像するのが自然である。もちろん鉄砲水や、伊豆山の逢初川の産業廃棄物盛土による泥流に襲われては逃げようがないが、そこまでではなく急な増水と云うことであろう*5。それまでは水位が問題になるようなことがなかったから、橋の下で逢っていた訳だが、問題になったときにどう対処するか。そのときには「義に近うせよ」すなわち「風を見て帆を使ふがごとく」に「宜」しく対処すべきだとする。
しかし、溺れることが分かっているのに国際的「信」だと云って頑なに橋の下から動こうとしない仁がいる。古代 China の話ではない、現代日本の話である。――林羅山先生は方廣寺鐘銘事件で曲学阿世の御用学者の名を恣にしたけれども、ここは一つ現代に甦って、中止が「信も義もあるべし」そしてこのままでは「物事に過ちあるべきぞ」と献言していただきたいところである。(以下続稿)