瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(080)

・遠田勝『〈転生〉する物語』(39)「五」1節め
 引用は11月9日付(078)の続き、7 石崎直義 編『越中の民話』第二集(1974年)に載る「雪女」(富山県下新川郡朝日町)と8『日本昔話通観』第十一巻(1981年)に載る「雪女」(富山県中新川郡立山町)の2話について、101頁10~17行め、

 さて、面白いのは、7と8である。
 これまで見てきたように、この伝承の1から6までは、口碑伝説を名乗りながら、フィールドで/採話されたものは一件もなく、ことごとく書物による机上の再話であった。ところが、この7と8/にいたり、はじめて、本当の口碑のなかに、白馬岳の雪女伝説が出現するのである。7は「富山県下新川郡朝日町、大川四郎」と話者が明記され、また8についても富山県中新川郡立山町と採話地/が明記されている。場所が近く、内容も似ている。7は、雪女が「小雪」と名のり、子供の数が五/人とあるので、青木系の伝承の特徴をそなえているが、8では逆に茂作、箕吉という名前を失って/いる。また、7、8ともに、松谷みよ子の再話では消えてしまった母親が復活している。【101】

と述べている。「8では逆に」とあるが何が「逆に」か分からない。「8は、登場人物に名前がなく、子供の数も指定されていない。」で良かろう。
 それ以上に分からないのがその次にある(上の引用では最後の)一文である。
 少々遠回りになるが、どう分からぬのか述べて置こう。
 ――遠田氏は「一 白馬岳の雪女伝説」の12節め「北安曇の「雪女郎」の正体」にて、9月11日付(044)の後半に見たように、3の村沢武夫「雪女郎の正体」には「雪女が白い息を吹きかけ茂作の命を奪う場面」がなく、「最後に子供について一言もふれないまま小雪が姿を消してしま」うことを指摘している。そして「二 ハーンと「民話」の世界」4節め「「雪女」の改良・修復」に、この「この物語には不可欠とも思える重要な」要素の「欠落」を、村沢氏の「雪女郎の正体」を原話として挙げている4の松谷みよ子の『信濃の民話』が、ハーンの「雪女」に遡って修復していることを指摘し、その理由を「三 怪談作家ハーンの登場」に取り上げた、童話化されたハーンの『怪談』の盛行に求めていた(79頁11~13行め)。
 そして、同じ村沢氏の「雪女郎の正体」に拠る再話である(と遠田氏が見ている)6の『日本伝説傑作選』の中山光義「白馬の雪女」が、村沢氏による(と遠田氏が見ている)「欠落」をそのままにして修復出来ていないことについて、11月9日付(078)にも引いたように、60頁12~13行め「つまり原話にいらざる装飾を加えるのは容易だが、欠落してしまったものを元に戻すこと/は、職業作家にとっても、想像力だけではほとんど不可能なのである。」と指摘していた。遠田氏はさらに、60頁14行め~61頁1行めに「戻し交配」などと云う「育苗・育種の世界」の用語を使って、松谷氏の再話の意義を述べるのである。

 栽培植物や家畜動物の育苗・育種の世界では、ある系統が世代を重ねて衰弱してしまう場合、原/種にかけ戻すことがあって、これを「戻し交配」というが、松谷のしたことは、明らかに、再話文/学における戻し交配であった(33)。代を重ねるたびに衰えていった、白馬岳の雪女伝説は、ハーンの原/話に帰ることで、面目を一新し、ここではじめて、独立した「民話」として、鑑賞可能なレベルに/【60】達したのである。その意味でわたしは、白馬岳の雪女伝説を産み出したのは、松谷であったと思う。


 注(33)については追って取り上げることとしよう。
 なるほど、確かに「鑑賞可能なレベル」に「白馬岳の雪女伝説」を高めたのは松谷氏だったかも知れない。しかし、それを伝説の誕生や定着に結び付けようとしている(かのように見える)のは、大いに問題がある。何となれば、地元に於ける白馬岳の雪女伝説の定着は、松谷氏の再話とは無関係に、戦前に布石が打たれ、戦後に着々と進んでいたのである。もちろん、地元の人間が松谷氏の再話を読む機会もあったであろう。特に長野県民が郷土の伝説・昔話に興味を持ったとき、『信濃の民話』を手にする場合が、少なくなかったであろう。
 信州・長野県に於ける「白馬岳の雪女」文献を、私は今、幾つか蒐集して、まだ細かい検討を加える時間を持てないでいるが、確かに、松谷氏の再話の影響があるように思われる*1。しかし、ここに遠田氏が取り上げた7・8の越中富山県側の「白馬岳の雪女」の存在、しかもそれが「本当の口碑」として「採話」されていることは、どう考えれば良いのだろうか。
 これはすなわち、富山県側では、別に松谷氏の再話を待たなくても、松谷氏の再話とは全く関係なしに、ごく自然(?)に「白馬岳の雪女」が定着していた、と云うことになるのではないのか。
 そこで漸く本題に戻るのだが、――遠田氏は、富山県の採話例では「松谷の再話では消えてしまった母親が復活している」などと述べている。ちょっと待って下さい。「二」章の「「雪女」の改良・修復」の節で、「欠落してしまったものを元に戻すことは、職業作家にとっても、想像力だけではほとんど不可能」だと云っていたではないか。全く以て、御都合主義の二重基準と云わざるを得ない。職業作家でも欠落を復元出来ないのだとすれば、そこから考え得るのは、単に、富山県側では、松谷版の影響を受けない母親が登場する version が、口承化するまでに流布していた、と云うことなのではないのか*2
 遠田氏は「その意味で」との条件付けをした上で「白馬岳の雪女伝説を産み出したのは、松谷であった」と、松谷氏の役割を高く位置付けようとしている。しかし私は、そんな条件を取っ払って、やはり「白馬岳の雪女伝説を産み出したのは、青木純二であった」と宣告したいのである。――まぁ、捏造だから余り褒められたものではないのだけれども。(以下続稿)

*1:今後の検討の結果、殆ど認められない、と云う結論になるかも知れぬが。

*2:前回指摘したように、遠田氏は材料を時代順に並べて、一直線に見ようとする癖があるようだ。しかしながら、後から出たものが前にあったものの影響を必ず受ける訳ではない。第一、遠田氏本人が、先行する大島廣志「「雪おんな」伝承論」を見落としているではないか。――富山県側の伝承は、当然『信濃の民話』の影響の埒外にある。