昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(25)「一」8節め④
遠田氏は、この丸山氏の文章には気付いていないようだ。ここで同じ箇所――「はしがき」6段落めを抜いての、遠田氏のコメントを、事の序でに見て置こう。37頁2~13行め、「一 白馬岳の雪女伝説」の8節め「「雪女」と偽アイヌ伝説」、8月29日付(33)の引用の続き。
さて、こうした捏造をどう考えたらいいものだろうか。もちろん青木は今日「東京朝日新聞記/者」という肩書きから連想されるような、中央のエリート知識人ではないのだが、しかし、こうし/た行為が許されるほど、近代的な著作権意識と無縁の人ではない。ただ、こうした伝説昔話の出版/物においては、出典や引用の作法について、妙にだらしのないところがあって(18)、青木も、この世界/ならではに、こんな抜け道を用意している。
だがお断りせねばならぬことは、口碑といひ、伝説といひ、あるひは記憶の謬錯があり伝聞/の訛誤があり、あるひは移動転訛*1せるものも少くない。著者は歴史家ではなく、民族研究家で/もないのでこれらの考証は他日に期して、ここでは、数年間苦心して蒐集した口碑伝説を列記/するにとどめる(19)。
たしかに、口碑伝説の転訛について、採話者は責任を負う必要はない。しかし、大正の末から昭/和の初期に、同じ採話者が、北海道のアイヌから、そして次には、白馬岳の山人から、同じハーン/の「雪女」に由来する物語を三度まで聞かされる確率はゼロに等しいだろう。
「注」を見るに、240頁18行め~241頁6行め、
(18)これは捏造とは別次元の問題であるが、伝説や昔話の再話において、一般的にその出典が明記されるこ/ とがきわめて少ない。そして、青木純二の捏造した雪女伝説が本物の伝説として流布してしまう背後には、/ まちがいなく、この悪癖があった。児童文学作家の坪田譲治は、柳田国男から「昔話はお国のものだから、/【240】 遠慮しなくていい」といわれたことを理由に、昔話や伝説の再話に出典を記さなくなったという。この傾/ 向は口演の記録・再話ではさらにひどくなる。こうした風潮について、高森邦明は「昔話を「お国のもの」/ ということで、話を伝えてきた者、それを記録し整理した者を無視することは適当でない。なぜなら、原/ 話とされるものも結局は一つの再話だからである」と厳しく批判している。高森邦明「富山民話読み物考/ ――松谷みよ子の再話その他」『富山大学教育学部紀要』二四号(一九七六年)一一―二一頁。
(19)青木純二『アイヌの伝説と其情話』富貴堂、一九二四年、はしがき。
とある。悪癖には違いないが、そもそも伝説や昔話は著作物ではない(はずな)ので著作権保護の対象にはならない。全国民或いはその地域の住民が皆知っている話を文字にして、その著者が権利を専有するとすればその方がおかしな話である。しかし再話は著作物だから著作権がある。そして、2018年8月21日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(38)」に見たように、原話に対して「再話」作品の方が権利を主張するような按配になっている。
大正から昭和戦前に掛けて、江戸時代までの地誌や随筆等に見える話を中心に口語体で一般向けに纏めた伝説集としては、藤澤衞彦『日本傳説叢書』がその主たるものとして挙げられよう。当時各地で纏められていた郡市町村誌も、同じようにして集めたらしい口碑伝説を載せている。児童向けの再話も多々行われていた。極端な話、文語体の江戸時代の随筆や説話集に載る話を口語訳すれば、いや、もっと簡単な方法としては浩瀚な郡市町村誌から伝説を抜き出して小冊子に纏めれば、それが『信州百物語』のように売り物になった訳である。
それだけでなく、こうして多く活字化されつつあった口碑伝説をヒントに、名所旧蹟や景勝地を舞台にした読み物も、全国的に量産されつつあったようである。9月1日付(36)に見たように遠田氏自身、青木氏には『山の傳説と情話』『海の傳説と情話』『諸国物語』と云う先蹤のあることを指摘していた。これは別に朝日新聞だけの企画ではなくて、他にも多々同様の企画があったのである。
こういう著述に手を染めた人たちは元より学術的な意識がある訳ではなく、伝説を執筆慾を程良く満たす素材程度にしか考えていなかった訳で、そもそも話の素姓には無頓着である。いや、文飾を控えて集めた話をそのまま提示している伝説集にしてからが、大体が先行する書物から拾ったものばかりなのに『日本傳説叢書』のように(怪しいところもあるが)一々典拠を挙げていない。そして、間々創作された伝説を混入させてしまったりする。それだのに何故か、伝説や民話というと民衆の口伝えだと云うイメージだけが強固に存するから、素姓が知れないのに何となく民間伝承みたいに思われているような話が、少なからず生み出されることになる。「白馬岳の雪女」もそうだし、そもそも当ブログで青木純二を取り上げる切っ掛けとなった「蓮華温泉の怪話」にしても、同様である。
もちろん、その間にも出所の明らかな『遠野物語』や、高木敏雄『日本傳説集』のような試みも存したが、その後、柳田國男が口承文藝の学術的な取り扱いについて注意を与えた後になっても、この大正期と同じような感覚が一般にはそのまま継続し、現代まで続いているように思われるのである。
すなわち、柳田國男の発言の背景には、既に「出典を記さな」い形での昔話・伝説の読み物が氾濫している状況があったので、今更児童読物にそれを求めても仕方がない、と云う気持ちがあったのかも知れない。大体が、ある地方の伝承にどこまでも忠実に「再話」する訳ではないのである。いや、昔話は原話の伝承地を示さなくても良いかも知れないが、伝説は場所に付くから「再話」の度にヴァリエーションが生ずることになる。だから有名な伝説は、下手をするとヴァリエーションだらけである。そしてそれらを折衷して、また新たなヴァリエーションが生み出される。それをどうやって構成したか――発端はこの本に拠り中盤は別の本に拠り結末はまた別の本に拠った、と云ったことを細々説明する訳にも行かぬのである。殆どの人はそんなところは読まない。当ブログの長々とした検証を頭から読んでくれる人が殆どいないことからしても、そんなことは容易に察せられることなのだけれども。
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もちろん、この問題で青木純二は批判されるべきなのだが、現代の民俗学者たちの児童読物だって変わりない*2、ある意味、より悪質なのではないか、と云う気分にさせられるので、つい注の方で長くなってしまった。本文の方「東京朝日新聞記者」の肩書きについても述べるつもりだったのだが、これについては丸山隆司の文章に戻って、論じることとしよう。(以下続稿)