瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

日本児童ペンクラブ『日本伝説傑作選』(3)

 本書を確認しようと思ったのは、本書に載る「白馬の雪女」を、8月22日付「白馬岳の雪女(026)」に見たように、遠田勝『〈転生〉する物語』が白馬岳の雪女伝説の「口碑あるいは古い伝説として記録されたもの」としてリストアップしたものに含めていたからであった。しかしながら、遠田氏も11月9日付「白馬岳の雪女(078)」に見たように、結局は「職業作家の手になる再話であるが、通俗的な「情話」への傾斜が著しい」との評価になっていて、では、何故、それでも敢えて本書を口碑伝説の資料として取り上げようと思ったのか、そもそも本書は如何なるものなのか、念のため見て置こうと思ったのである。
 結論を云えば、「刊行のことば」に謳うような「民間文芸」としての資料的価値は認められない。民話ブームに乗じて児童文学作家たちの集まりである「日本児童ペンクラブ」でも各地の伝説を題材にした再話作品集を拵えてみた、と云う以上の意味はなさそうである。ただ、類書と違って「和歌森太郎」と云う名前を編者として戴いているので、児童文学作家名で出た他の民話・伝説集よりも信頼出来そうに見えるだけである。
 ただ、本書全体としての価値は殆ど認められないとしても、個々の話については、1970年代の「民話ブーム」に為された再話の例として、一応見て置く必要はあるだろう。――「悲話伝説」の4話め、三浦清史「マリモと芦笛」は、9月24日付「白馬岳の雪女(057)」にその内容について検討した青木純二『アイヌの傳説と其情話』の「悲しき蘆笛」と同根の話である。現行の「恋マリモ伝説」では主人公の名前は「マニペ」なのだが、本書では「マニベ」である。この名前の相違――「マニベ」になっている文献は、9月25日付「白馬岳の雪女(058)」に言及した、若菜勇「マリモ伝説」の2019年2月11日掲載「補遺① マニベとマニペ」に拠れば、原作の、大正11年(1922)刊『山の傳説と情話』所収の永田耕作「阿寒颪に悲しき蘆笛」、大正13年(1924)刊の青木純二『アイヌの傳説と其情話』の「悲しき蘆笛」、昭和11年(1936)刊の石附舟江『伝説蝦夷哀話集』の3種に限られるらしい。「マリモと芦笛」を書いた三浦清史(1929生)は北海道旭川市出身なので、山田野理夫が父の書棚にあった青木純二『山の傳説』を読んだように、家族の蔵書か、学生時代に古本で入手するか、他の方法でも構わないのだが、これら3点のいづれかを手にして書いた可能性が考えられよう。いや、若菜氏の見ていない自治体の伝説解説冊子などに「マニベ」としたものがあったかも知れないが。
 永田氏と石附氏の本は国立国会図書館デジタルコレクションのインターネット公開になっていないので、ここでは、青木純二の「悲しき蘆笛」と比較して置こう。
 まづ148頁5~13行め、場所とマリモの説明があるが割愛する。続いて148頁14行め~149頁4行め、

 愛らしい形態のこのマリモが、アイヌの昔話には何故かあまり出てこない。つまり、阿寒湖の一/【148】帯は、アイヌもめったに入りこまなかったくらい、きびしい自然に包まれていたからなのであろう。
 和人*1の進出にともない、奥地へ奥地へと追われていったアイヌたちが、珍しい植物マリモを見つ/け、次に述べるような悲しい愛の物語を、美しい阿寒の風物の中に、はぐくんでいったものと思わ/れる。

と、この「伝説」発生の事情を憶測して見せている。一見尤もらしいだけに少々始末が悪い。いや、伝説などと云うものは大抵このような合理化・理由付けにより何となく信じられ、尤もらしく発展して行くものなのだけれども。
 登場人物には「悲しき蘆笛」では主人の娘にはセトナ、そしてセトナの許婚である有力者(副酋長)の息子にはメカニと云う名前があったが、本書では名前の付いた登場人物は主人公のマニベのみである。
 「悲しき蘆笛」では、許婚に決まっているのに縁談が進まないことに業を煮やしたメカニが「既に親の許したお前の夫」と云う名目で1人でいたセトナに抱き付き、「お前如き者は大嫌ひ」と拒絶された上、セトナの悲鳴を聞いて駆け付けたマニベに追い払われてしまう。その勢いでセトナはマニベに思いを打ち明けるが、忠義なマニベは身分違いであることを理由に拒絶している。自分の思いが叶えられないことを思い知らされたセトナは寝込んでしまい、痩せ衰えて縁談を進められるような状態ではなくなってしまう。それを恨みに思ってマニベを襲うのである。
 一方本書では、マニベの主人である「お金持ちのアイヌの老夫婦」の「美しい一人娘」を有力者の息子が襲って、召使い(下男)の若者マニベに撃退される場面はない。マニベの主人の娘に結婚を申し入れているが、なかなか許諾の返事を得られないでいることになっている。マニベがそのようにそそのかしているのだと思い込んで、襲撃するのである。主人の娘がマニベを思っているのは同じだが、打ち明けておらずマニベは全く気付いていない。むしろ有力者の息子の方がそのことを察していて、自らの思いの障害となっているマニベの排除に動くのである。
 「悲しき蘆笛」ではマニベは「人一人を殺した罪」を思って、追っ手の掛かる中、阿寒湖に漕ぎ出して帰って来ない。本書では「自分一人が罰を受け」るだけでなく、主人一家に累が及ぶことを案じて、追っ手が掛かったわけでもないのに「暗い湖心へ漕ぎ出」すのである。
 そして最後、152頁4~14行め、

 この事件は、たちまち部落中に知れ渡ったが、マニベの人柄を愛していた部落の人たちは、みん/なマニベのために涙を流したという。
 マニベがいなくなって数日後、こんどは、マニベの主人の家の一人娘が、どこへ行ったのか姿を/消してしまった。
 部落の人たちは、
「あの二人は、きっと湖の底で幸せに暮らしているのだろう……」
「そういえば、娘が居なくなった日に、湖のほうで、たしか、芦笛の音がしていた……」
「芦笛の上手だったマニベの魂が、娘を迎えに来ていたに違いない」
 娘とマニベが、あの世で幸せになっているだろうと、口々に語り合った。
 今でも、どこからか芦笛の哀しい音色が聞こえてくる日は、二つつながったマリモが水面に浮か/ぶと、阿寒のアイヌたちは信じているという。


 永田耕作や青木純二は後追い自殺ではなく、救いのない結末としていたのを、部落の人たち=阿寒のアイヌたちが望み、信じた(?)と云う、あの世で結ばれたことをマリモに象徴させる結末に改めている。――しかしここまで部落の人たちが優しく同情的ならば、そこまで主人一家のことを心配する必要もなかったのではないか。
 今、私は所謂「恋マリモ伝説」を細かく検討する準備もないのでこれ以上立ち入らないが、――9月25日付「白馬岳の雪女(058)」に触れた山本多助は、自著に主人の娘(セトナ)が後追い身投げ自殺する筋に整えてこの話を紹介しているが、同時に地元にこの話が伝わっていないことを指摘している。更科源蔵もやや遅れてこの話が創作だとする主張を繰り返ししている。当ブログでは9月3日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(174)」に、本書より後のインタビュー記事を紹介して置いた。――地元の研究家により伝説かどうか疑う声が上がっていたような話を尤もらしく日本の伝説の傑作選に載せているところからし*2、本書の編集態度は明らかであろう。他のアイヌ伝説として取り上げられている話などについても検討した方が良さそうだが、ちょっとその余力がない。
 和歌森太郎は編者として名前を貸しているだけで、内容の選定に関与していないであろう。しかし、それにしても――柳田國男が青木純二『山の傳説』に、読みようによっては嫌味たっぷりの序文(?)を寄せたような藝当は、和歌森氏には出来なかったものと見える。(以下続稿)

*1:ルビ「シ ヤ モ 」。

*2:尤も、同類の「白馬岳の雪女」に関しては、地元には特に疑うような声はないらしいのだけれども。