瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(081)

・遠田勝『〈転生〉する物語』(40)「五」1節め
 昨日の続き。
 しかし、遠田氏は越中富山県側の伝承(?)事情を調べようともしない。いや、その後、8月1日付(005)に見たように黒部川の支流・黒薙川の十六人谷伝説に注目し、富山大学のシンポジウムに参加したりしているから、この辺りの「欠落」は大分改善されたかも知れないけれども、本書では全くその辺りを考慮していないのである。
 それもこれも、遠田氏が「白馬岳の雪女」の成功(?)の要因を、8月31日付(035)に見たように「地名の魔力」に求めたためであろう。――これについては既に9月21日付(054)にて反論を試みた。遠田氏は余りにも現在の「白馬」のイメージで考え過ぎているようである。そのため、信州・長野県側の資料を一通り辿って、満足してしまったらしいのである。
 一応、102頁に尤もらしい理屈は付けてある。1~5行め、

 ただ、この二例については、採話の日付がわからず、また、語り手がこの話をいつどこでだれか/ら聞いたものかも書かれていない。そうなると、これらの書物の刊行年を成立時期とせざるをえず、/それが一九七〇年代から八〇年代となると、大量に流布した松谷版「雪女」に加えて、ラジオ、テ/レビ、映画からの影響も考えられ、もはや、その伝承の跡をたどることは難しく、その意義もうす/い。


 確かに、記録された時期や、伝承経路などが明示されていない資料が使いづらいと云うことは、当ブログでも再々述べて来たところである。明示されていてもその年が記憶違いにより間違っていることが間々あり、そのまま信ずることは出来ないから回想の場合、扱いがどうにも厄介なのだ。
 しかしそれにしても、これは余りに酷い扱いようと云わざるを得ない。――遠田氏は勝手に、青木―村沢―松谷―それ以降、と云う筋を引いて、松谷氏以降のものは「大量に流布した松谷版「雪女」に加えて、ラジオ、テレビ、映画からの影響」下にあると決め付けているようである。
 そもそも、ハーン受容の歴史をなぞっているばかりで、伝説と云うものの扱いがどうだったか、その辺りの確認が十分に出来ていないからこうなるのであろう。今後指摘して行くことになると思うが、やはり調べ方がなっていない。松谷みよ子の民話については、1章を割いて詳述している。しかし、それが松谷氏の役割を過大評価させることに繋がっているようである。いや、2019年10月22日付「胡桃澤友男の著述(1)」に見たように、遠田氏は導入に使っていた国際日本文化研究センターの「怪異・妖怪伝承データベース」に載る胡桃沢友男「白馬岳の雪女郎」を、8月22日付(026)に見た通り本書での検討材料に選定した「白馬岳の雪女伝説」リストから、何故か変な条件を付けて省いてしまうのだが、これは平成元年(1989)10月と云う新しい報告(?)でありながら、遠田氏に拠れば村沢武夫「雪女郎の正体」に依拠している、と云うのである*1
 村沢武夫「雪女郎の正体」に依拠していると決定して良いか、問題があるけれども、その辺りの文献から採っていることは確かである。そこには私も異論はない。すなわち、信州・長野県からの「民俗学関係雑誌」への報告は、平成初年になっても松谷みよ子の『信濃の民話』ではなく、それ以前の文献によって為されていることになる。全国的には松谷みよ子の再話が「大量に流布した」としても、やはり地元の研究者(この場合は愛好家と云った方が良いかも知れないが)は明らかに再話と断っているものを相手にしない。もちろん、そうして選択した村沢武夫(もしくは杉村顕)の伝説集の素姓が怪しかったのでは、元も子のないのだけれども。
 とにかく、遠田氏は最初に、松谷氏の再話の影響下にない長野県の資料を取り上げていたのに変な理屈でリストから除外したのと同様に、初めからこうした資料はないことにしてしまうのである。僅かに胡桃沢氏を村沢氏と結び付けただけで満足してしまったらしく、実は、胡桃沢氏と同種の資料が、探せば長野県に何点か存在しているにもかかわらず、である。こうしたものの背景に何があるのかが、全く閑却されている。
 その一方で、越中富山県の報告は、村沢―胡桃沢のような筋を引けなかったためか、胡桃沢氏よりも早い、昭和40年代・50年代の報告であっても「松谷版「雪女」」や「ラジオ、テレビ、映画からの影響」があるかも知れず、「もはや、その伝承の跡をたどることは難しく、その意義もうすい」と切り捨ててしまうのである。しかし、これでは、自分が上手く解釈出来なかった事例の価値を貶めて、大したものではないからまともに扱うに足りないのだ、と嘯いているようなもので、まるでイソップ寓話の酸っぱい葡萄みたいな態度と云わざるを得ないだろう。
 確かに書承は辿り易い。かつ口承の方が柔軟であろう。遠田氏が最後に挙げている「遠野の昔話」がまさにそうした例であった。すなわち、遠田氏がこの論考の最後の一文に、11月7日付(076)に引いたように「遠野の昔話になった」と謳い上げた例が、実は古くからの伝承ではなくて、観光客向けの語り部が、昭和40年代(1970年代)に観光客向けのレパートリーとして誰かから教えられて取り入れたもの、だったのである。――しかしそれは、遠野と云う特殊な空間だからこその出来事と云うべきで(だから私はどうも遠野が好きではないのである)余所に適用出来るかどうか、甚だ疑わしい。いや、富山県の例が1話だけならば、「松谷版「雪女」」や「ラジオ、テレビ、映画からの影響」で、「雪女」の話を自分も語ってみたい、と思って新たに、それこそ昭和50年代になってから語り始めた、と云うことも考えられるかも知れない。しかし、同じ県内とは云え、下新川郡朝日町と中新川郡立山町では40km余り離れているのである。恐らく相互に直接関係なく、似たような話が2箇所に伝えられている場合、それは2箇所に自然発生したのではなくて、同一の原典があってそこから派生したと見るのが、自然だと思うのである。(以下続稿)

*1:この辺りのことは10月26日付(069)にも述べていた。