瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

白馬岳の雪女(079)

・遠田勝『〈転生〉する物語』(38)「五」1節め
 11月9日付(078)に、遠田氏が「こんな再話」呼ばわりした『日本伝説傑作選』の中山光義「白馬の雪女」を、「口碑あるいは古い伝説として記録されたものであること」を条件にした「白馬岳の雪女伝説のリスト」に含めたままにしたことについて疑義を差し挟んで置いた。しかも、口碑伝説は地元の出版物に載ることが多いのに、遠田氏が利用したのは東京で刊行されたものばかりで、地元の刊行物は僅かに松谷みよ子が『信濃の民話』に利用した村澤武夫『信濃の傳説』だけなのである。――『日本伝説傑作選』をそのままにして、敢えて地元の出版物を除外したとは思えないから、遠田氏は初めから地方出版の口碑伝説集或いは地誌・市町村史類を調べなかったのであろう。
 『日本伝説傑作選』は、8月19日付(023)に触れた中田賢次「『雪女』小考」がハーン「雪女」に先行する民間伝承の存在の根拠として挙げていたため、そのまま採用しただけだろう。しかし、中田氏は松谷みよ子の再話を2つダブって挙げており、「再話」には「原話」が付き物なのに(もちろん原話が公開されていないことも少なくないが)それを探索した形跡がない。『信濃の民話』を初刊年で挙げていないのも少々理解に苦しむ。差当り目にしたものを並べただけのように見えるのである。
 それはともかく、遠田氏が挙げる他の文献についても、8月22日付(026)に見たように、大体ハーンに関する研究論文に指摘されているものと、そこから辿って行けば到達出来るものばかりである。信濃越中の口碑伝説の文献を細かく点検した形跡が認められない。それなのに「口碑あるいは古い伝説として記録されたものであること」などと妙な条件を持ち出す。これでは牧野陽子ならずとも「演出」――恰好付けて見せただけではないか、と突っ込みたくもなる。正直に、「従来ハーン研究者によって「雪女」論の俎上に上せられてきたものと、私の調査で新たに判明したものを加えたリスト」として置けば良かったではないか。
 資料の探索の不足と云うことでは、地方の伝説――地方の民俗学の研究家・愛好家、或いは文筆家の成果ばかりではない。グリム童話の移入などは柳田國男も注意していたところで、欧洲の昔話・伝説の移入は民俗学者による成果がある。それ以前の仏典・漢籍からの移入は国文学者による蓄積がある。こうした、関連する領域でも注意している人がおり、それなりに研究成果もあるのを見逃している、すなわち探索しなかったらしいのが、どうにも頂けない。
 そのことは追って大島廣志の論文を検討しつつ再説することにしたい(しかし今の調子で進めてはいつのことになるか分からない)が、今回は「こんな再話」について再説して終わりにしよう。
 遠田氏が「こんな再話」と呼んでいる『日本伝説傑作選』の再話ぶりだが、むしろ『日本伝説傑作選』の再話ぶりこそが、青木純二『山の傳説』の正嫡なのではないか。すなわち、時代順に「青木---------松谷---------中山」と並べるから、松谷氏に比して中山氏が「こんな再話」のように感じられるので、実際には、
  青木------ ┬---------------中山
       └------松谷
の如く、青木氏―中山氏の主流に対し松谷氏は傍流に位置付けるべきだろう。傍流の松谷氏の存在が大きいのは事実として、年齢的にも青木純二(1895生)中山光義(1904生)の明治生れに、松谷みよ子(1926生)は親子ほど年齢が違う。発表時期は後でも、中山氏は青壮年期に接した「実話ロマンス」風の「伝説」を書いているのである。『山の傳説』を愛読したと云う山田野理夫(1922生)の『アルプスの民話』は、詩人でもある山田氏が冗長に流れることを嫌っているので『山の傳説』の再話ぶりとは印象はかなり異なる。やはり傍流に位置付けるべきであろうか。松谷氏とはまた別の。(以下続稿)