・杏文庫山岳古史料蔵目
昨日の続き。
「第十章 山 岳 古 史 料」551頁扉(頁付なし)。
・552~566頁「杏文庫山岳古史料蔵目 其一」
552頁2行め~553頁2行め「序」
「黒部奥山研究」を志した経緯を略述、そしてこれを「成就」させ、小島烏水「序」と中島氏の「小序」を付して単行本仕立てで刊行した、その「小冊完成の記念とし之が參考として座右に用ひ秘藏せし古書舊記を擇び採つて以つて目録を編し」た、とある。
「其一」のみ国立国会図書館に所蔵されており、国立国会図書館デジタルコレクションにも中島図書館 編『杏文庫山岳古史料蔵目』(昭和15年・中島図書館・13丁)として出ている*1。当然のことながら「其二」を出したから「其一」となったので、原本には番号はなかったはずである。但し[国立国会図書館内限定公開]なので未だ閲覧の機会を得ない。553頁1行め「昭和十五年紀元二千六百年の佳日」付、また「於 杏 子 文 庫」とあり、これまで見て来たように、中島氏の論考の末尾には( )に成稿の年月日と場所が記載されているが、場所はいづれも「杏子文庫」であった。しかしこの目録は「杏文庫」となっている。なお本書には「中島」の読みは示されていないが、国立国会図書館のデータでは「ナカジマ, マサフミ」、小矢部市民図書館OAPCでは「ナカシマ,マサフミ」である。
553頁3~10行め「凡 例」5項目、1項めを抜いて置こう。4~6行め、
一、本書目は總て越中郷土關係のものにして日本アルプス方面に限定し然かも余り重要ならざるもの/ 片々たる小冊子草紙類は之を除外せり。
藏書は若干の木版印刷本を除くの他大部は筆寫の原本又は編者の透寫せるものなり。
553頁11行め~554頁18行め「書 之 部」二〇点。
555~559頁12行め「録 之 部」五〇点。
559頁13行め~560頁2行め「簡 之 部」三点。
560頁3行め~564頁5行め「圖 之 部」三五点。
564頁6行め~565頁13行め「圖 ろ 之 部」二〇点。
565頁14行め~566頁16行め「繪 之 部」一五点。
・567~578頁「杏文庫山岳古史料蔵目 其二」
567頁2~15行め「序」は、14行め「杏文庫三十周年の佳年に」また「杏 文 庫 主」とある。何時から30年かと云うと「序」の冒頭、3~4行め、
昭和七年、母親に奨められて中島圖書館を開館した。それが、昭和十五年四月、当時の津沢町長三輪三省氏の/好意に依って津沢町立に移管、昭和二十九年七月、砺中町の成立と共に砺中町立圖書館として発展した。‥‥
とあり、巻末の「略年譜」から関係する箇条を抜いて見るに、591頁11行め「昭和7年9月22日 私立中島図書館・杏子文庫を創設」12行め「昭和9年3月11日 砺波図書館協会創立、初代会長(昭和48年4月20日退任)」15行め「昭和15年3月13日 津沢町立図書館創立のため蔵書を寄贈、私立中島図書館を閉館」、592頁2行め「昭和17年4月1日 津沢町 立図書館長(昭和22年11月9日退任)」そして7行め「昭和28年4月1日 津沢町立図書館長(昭和48年4月20日退任)」とあるが、中島氏の館長在職中に昭和29年(1954)7月20日に西礪波郡津沢町が周辺2ヶ村と合併して、砺中町が発足した際に砺中町立図書館に、昭和37年(1962)8月1日に砺中町が石動町と合併して小矢部市となった際に小矢部市立砺中図書館となっている。砺中図書館は平成15年(2003)4月に閉館、新設の津沢コミュニティプラザの図書コーナーに引き継がれている。
568頁1~9行め「凡 例」5項目、1項めを抜いて置こう。2~3行め、
一、本書目は座右に郷土山岳に関係ある文書、記録、絵図等の若干を蒐載した。題は昭和十五年のを/ つぐ故を以って名づけた。
なお3項め(6行め)に「近く印刷本発行の予定につき」5項め(8~9行め)に「訂正は印刷本発行の折に正/誤したい」とあって、謄写版らしい*2。「其一」と合せて「解題」を附した活版「印刷本」を予定していたようだが実現しなかった。
568頁10行め~569頁7行め「書 之 部」二一~三三の13点、番号は「其一」を引き継ぐ。
569頁8行め~571頁5行め「書 ろ 之 部」三一点。
571頁6行め~573頁8行め「録 之 部」五一~八三の33点。
573頁9行め~574頁10行め「録 ろ 之 部」一七点。
574頁11行め~575頁1行め「簡 之 部」四~九の6点。
575頁2行め~576頁12行め「圖 之 部」三六~六一の26点。
576頁13行め~577頁14行め「圖 ろ 之 部」二一~三六の16点。
577頁15行め~578頁13行め「繪 ろ 之 部」一四点。
最後、578頁14行めは下詰めで「(昭和三十七年六月三日発行)」とある。越中以外のものが「ろ之部」に分類されている。(以下続稿)
【2022年1月2日追記】当初「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(195)」と題していたが、余りにもそちらに関わらないままになったので記事の題を書名に改めた。