瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島正文 著/廣瀬誠 編『北アルプスの史的研究』(8)

・昭和21年(1946)3月の津沢大火
 前回見た『杏文庫山岳古史料蔵目』に収載されている史料は、2021年12月25日付(01)にも触れたが、「略年譜」593頁9~11行め、

昭和59年4月24日 旧蔵書、遺族小池氏から富山県立図書館に寄贈、図書館ではこれを「中島文庫」として保存
昭和59年11月17日 富山県立図書館で「中島文庫」公開記念行事、併せて杏子句碑除幕式、「夏山や地獄を抱きて/紺青に」 

とあるように、現在富山県立図書館に「中島文庫」として保管されているはずである。廣瀬誠〈編集後記〉に拠れば、まづ、昭和51年(1976)に587頁2行め「その所蔵古俳書数百冊を県立図書館へ寄託」4~5行め「しかし山岳史料と郷土資料は次の機会にというこ/と」になり、漸く歿後3年の昭和58年(1983)に、588頁9~12行め「遺産を管理/して」いた夫人の兄弟に「中島氏遺蔵/古史料の件を話し、故人の遺志に添ってこれを県立図書館の管理に移し、貴重な資料を散逸させないようにした/いとお願いし」理解を得て、遺宅に調査に入る。13行め「三年間、人住まぬ家となっていた」ため「雨が漏り、床の抜けているところもあ」り、14行め「電気も水道も断ち切られていて、暗く汚くなった家や蔵を、懐中電灯の淡い光で照らして探しまわ」る。16行め「三回にわた」る「遺宅」の「調査」で15行め「氏秘蔵の山岳史料」を「続々見つ」ける。しかしながら、18行め~589頁4行め、

 氏は生前『杏文庫山岳古史料蔵目』を二回(昭和十五年、同三十七年)にわたって刊行されている。これと照/らし合わせながら探し、相当数は見つけ出したのであったが、かなりの数の重要なものが発見できなかった。昭/和二十一年三月の津沢の大火で氏のお宅は類焼した。土蔵は焼け残ったが、屋敷の方においてあった蔵書は焼失/してしまったのであろうか。それは中島氏の研究を裏づける貴重な史料であったが、その一部が失われたらしい/ことはかえすがえすも残念である。


 津沢大火による資料の焼失については中島氏本人が度々触れている。例えば『杏文庫山岳古史料蔵目』其二の「序」に、567頁8~10行め、

 以来、星霜二十余年、断続して郷土山岳史料の研究を進め、其資料として諸書、諸記録を相当量に蒐積したの/であったが、昭和二十一年三月の津沢大火に其大部を失って大きな挫折を喫した。
 爾来、屛息して蒐集の念を絶ったが、年を経て‥‥

とあって、廣瀬氏の推測を裏付けている。
 但し「廣瀬誠君筆写本「黒部奥山と奥山廻り役」の巻頭に寄す」522頁7行めには「昭和二十一年春の津沢大火に書庫は灰燼に帰して」とあって土蔵の方が焼けたようであり、「回想の岳人」の冒頭、やや小さい2字下げの断書き(507頁2~4行め)には、

 終戦直後私は、昭和二十一年三月に類焼の難にあって、書物類や記録など収蔵して居た書物蔵を焼失させ、山岳図/書は勿論、日記メモまでもすっかり灰にしてしまったので、確かなことは今ではチョッと書きにくいが、その点は前/以ってお許しを得ておきたい。

とあって、こちらは土蔵で、全てを焼いてしまったかのように読める。
 実際には、史料の調査・探索に当たった廣瀬氏が〈編集後記〉に「その一部が失われたらしい」と述べているように、昭和15年(1940)の『杏文庫山岳古史料蔵目』に載る史料も幾らかは焼け残っていて、富山県立図書館に入っているらしいのである。――「照らし合わせながら探し、相当数は見つけ出したのであ」れば、富山県立図書館での請求記号まで載せなくても良い、せめて現存して富山県立図書館の中島文庫に所蔵されているかどうかだけでも、第十章の史料細目に追加で「*」でも「※」でも「◎」でも何でも良いが、記号を打って、検出し易くして欲しかったと思う。富山県立図書館OPACで検索しても中島文庫の史料はヒットしないので「古絵図・貴重書ギャラリー」にあるかどうかを見て、それから冊子目録『中島文庫目録』(昭和59年11月・富山県立図書館・182頁)を見るしかない(が、都下の公立図書館には所蔵されていない)。富山県立図書館調査課に照会すれば有無を調べてもらえるのかも知れないけれども。
 それにしても、焼けたのは「書物蔵」なのか「屋敷の方」なのか、どうも謎である。すなわち、現存している史料はどうやって類焼の厄を免れたのであろうか。しかし今となっては確かめようがない。津沢大火の詳細もネット検索では分からない。津沢町立図書館がどうなったのかも。津沢町立図書館・砺中町立図書館そして砺中図書館の回想や資料・写真等も、ネット上には全く上がっていないのである。――次回は富山県立図書館中島文庫に現存する戦前蒐集の史料や、日記メモの焼失による記述の齟齬などについて、幾つか取り上げて見よう。(以下続稿)
1月2日追記】当初「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(196)」と題していたが、余りにもそちらに関わらないままになったので記事の題を書名に改めた。