瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

黒井千次『漂う』(2)

 昨日の続き。
・年代順の整理
 この連載は連想で繋いでいて、黒井氏の経歴を順を追って辿っていない。
 そこで、2022年9月3日付「黒井千次『たまらん坂』(3)」に見た、講談社文芸文庫版『たまらん坂241~250頁、篠崎美生子編「年譜」も参照しながら、年代順に整理して置こう。
【1】プロローグ 記憶の光景と目の前の眺め(6~9頁)2010年4月
 これは総論である。7頁3~10行め、

‥‥、これまで自分は幾度くらい住む土地を移り、引越しを経/験し、幾つくらいの家で暮して来たのだろう、と数えてみたことがある。五十代にか/かった頃だったか。すると十九回の移転が確かめられたが、そのすべてが三十代の半/ばあたりまでであり、以降は今住む東京西郊に腰を落ちつけ、もはや動くことはなく/なった。七十代も終りに近づいている今から振り返れば、異同の前半と定着の後半と/もいえる。
 子供時代を含む前半に移転が多かったのは、父親が役人のために転任が避けられ/ず、また戦争による空襲の影響や疎開、更に修飾語の自分の転勤などの事情による。


「年譜」によると「父、謹吾は」黒井千次、本名、長部舜二郎誕生当時「東京区裁判所兼地方刑事裁判所検事」で「後、最高裁判事を経て弁護士に。母、靖子との間の次男」とのことである。但し長男、長部矜一郎(1928.9.7~1994.1)*1については、小説には登場するが本書及びこの「年譜」には記述がない。長部謹吾(1901.4.1~1991.12.8)の経歴については Wikipedia長部謹吾」項も参照する。
 連載に当たって黒井氏は現地を再訪しているので、過去の記憶と現在の感慨とが記されることになっているのだが、現在の方は掲載の月で大体見当が付くので、特記すべきことがある場合のみ取り上げた。また過去の回想が2回に及ぶ場合、見出し(1)(2)と番号を打って、もう1回回想されていることが分かるようにした。
・2~5歳
【24】名古屋・東山動植物園 ライオンが跳んだ日(108~111頁)2012年3月
・5~12歳
【2】大久保通り 身の奥から浮かぶバス通り(10~13頁)2010年5月
・昭和十年代初頭
【27】隅田川 西瓜ばかり食べていた(122~127頁)2012年6月
・小学校に入る頃(1)
【36】東京駅 人と時間が戻る場所(164~169頁)2013年3月
国民学校5、6年生の頃
【26】高尾山 昭和生まれの猿(116~121頁)2012年5月
・1944年夏~
【19】長野・上林温泉 疎開児、地獄谷を行く(86~89頁)2011年10月
・1944年夏(1)
【20】長野 六十年ぶりの「帰省」(90~93頁)2011年11月
・1945年3月10日(1)
【12】目白 開かれなかった卒業式(56~59頁)2011年3月
・1945年6月~1951年3月
【6】井ノ頭通り 玉蜀黍畑に飛びこんだ日(30~33頁)2010年9月
・1945年11月
【3】国分寺街道 門だけが残っていた(14~19頁)2010年6月
・1945~1946年(敗戦後)
【29】川越 遠くにある隣家(134~137頁)2012年8月
・1946年7月16日
【18】多摩川 手元に残る「入漁證」(82~85頁)2011年9月
・1947年夏
【17】御宿 旅の駱駝がはるばると(78~81頁)2011年8月
・1948年頃
【23】静岡 変らぬものは何もなく(104~107頁)2012年2月
・1950年1月(1)
【14】横浜 遠藤さんと祖父に会いに(66~69頁)2011年5月
 年月は128頁による。
・1951年夏(2)
【20】長野 六十年ぶりの「帰省」(90~93頁)2011年11月
・1952年5月1日
【7】日比谷公園 ある年、ある時間の熱(34~37頁)2010年10月
・1955年 富士重工業入社
【21】前橋 ただ川だけが流れる(94~97頁)2011年12月
・25歳(1957)頃、正月休み
【32】高松 未知なる故郷へ(148~151頁)2012年11月
 昭和31年(1956)3月に父・長部謹吾は、最高検察庁公安部長から高松高等検察庁検事長に転じている。
・高松の次
【33】広島 歴史に屹立するドーム(152~155頁)2012年12月
 昭和33年(1958)9月に父・長部謹吾は、高松高等検察庁検事長から広島高等検察庁検事長に転じている。
・1960年代前半頃 富士重工業
【4】丸の内 商店街にいるような(20~23頁)2010年7月
・50年近く前(1965年頃?)
【22】熱海 凋落の影の中に(98~103頁)2012年1月
・30代(1)
【11】下田 忙しい港町(50~55頁)2011年2月
・1966年 新宿スバルビル
【5】新宿 環状線の内と外(24~29頁)2010年8月
・1968年秋
【28】羽田空港 国際便、ふたたび(128~133頁)2012年7月
・40年前(2)
【36】東京駅 人と時間が戻る場所(164~169頁)2013年3月
・40年前
【35】有田 焼物の世界の近くに立つ(160~163頁)2013年2月
・1976~1977年の冬
【9】箱根・精進ヶ池 最高地点から少し下って(42~45頁)2010年12月
・作家になってから
【25】新潟 古い煉瓦塀と光の海(112~115頁)2012年4月
・1980年頃
【34】長崎 暮色を背にして(156~159頁)2013年1月
・1985年頃~
【15】小渕沢 緑の中のポップアート(70~73頁)2011年6月
・1990年~現在
【16】小樽 鷗と鴉が飛ぶ(74~77頁)2011年7月
・ここ数年(2)
【11】下田 忙しい港町(50~55頁)2011年2月
・ここ数年
【8】都心の夜景 色彩のドラマの底に(38~41頁)2010年11月
・現在
【10】京都市学校歴史博物館 ひんやりした冷気とともに(46~49頁)2011年1月
・2011年3月18日頃(2)
【12】目白 開かれなかった卒業式(56~59頁)2011年3月
・2011年4月23日~6月5日(2)
【14】横浜 遠藤さんと祖父に会いに(66~69頁)2011年5月
 神奈川県立近代文学館特別展「没後15年 遠藤周作展―21世紀の生命(いのち)のために」
・過去の印象の薄い土地
【13】大阪・通天閣 地面から持ち上げる力(60~65頁)2011年4月
【30】仙台 モノクロームの海辺(138~141頁)2012年9月
【31】神戸 急な長い坂道の先に(142~147頁)2012年10月
 もう少し考証すべきこと、あるいは、本文に拠らずに時期を決定したものについては、根拠となった文献などを明示すべきであったが、今はここまでに止めて置く。(以下続稿)

*1:昭和16年(1941)創立の東京府立第二十中学校(現・東京都立大泉高等学校)の1期生。