当ブログではこれまで黒井千次(1932.5.28生)の著書を2点取り上げている。初回の記事はそれぞれ、2022年9月1日付「黒井千次『たまらん坂』(1)」と2023年1月1日付「黒井千次『漂う』(1)」である。
黒井氏の小説は、海外に赴任することになった知人から頼まれて、高校非常勤講師を年度の途中で引き継いだとき、授業計画に従って教科書に載っていた「夜のぬいぐるみ」を読んだことがあったくらいであった。正直、訳の分らない話で、こういう事情でなければ絶対に読まなかったと思うが、色々苦しんで読解に努めているうちに、授業中に急に腑に落ちてすらすらと説明出来るようになったのだった。指導書(虎の巻)のようなものはあったはずだが、渡されもせず私の好きなようにやって下さい、と言われて、大学での教職課程での授業の組み立て方を思い出しながら必死に取り組んだのだった。斎藤茂吉「死にたまふ母」も何首かは中学のときに習って知っていたが、初めて連作として精読して深い感銘を受けた。あのときほど真剣に、他人に伝わるよう読解に励んだときはなかったかも知れない。しかし、その後長く勤めた女子高の教科書には黒井氏の作品は載ってなくて*1、似たような作品としては安部公房(1924.3.7~1993.1.22)の「赤い繭」が載っていた。安部氏の作品は別の高校で「棒」をやって、この2作の訳の分らなさは今でも面白おかしく(?)説明することが出来るが、「夜のぬいぐるみ」はもう殆ど忘れている。
それが『たまらん坂』を読もうと思ったのは、今、私が都下に住んでいると云うこともあるが、2022年9月3日付「黒井千次『たまらん坂』(3)」に述べたように講談社文芸文庫版には「年譜」があるからで、どうせなら都下を舞台にした『たまらん坂』を借りてみよう、と云う次第なのである。
更に『漂う』も借りて読んだのは、この「年譜」と掛合せれば2023年1月2日付「黒井千次『漂う』(2)」に示したように黒井氏の経歴をある程度辿ることが出来ると思ったからである。
では、何故、黒井氏の経歴を知ろうと思ったのかと云うと、黒井氏は赤マント流言当時、まだ学齢に達していなかったのだが、かなりリアルな赤マント流言体験を小説に書いているからなのである。
・黒井千次『禁域』一九七七年一〇月 五 日 印刷・一九七七年一〇月一〇日 発行・定 価/九五〇円・新潮社・223頁・四六判上製本
掲載誌
花鋏を持つ子供 新潮 昭和四十九年五月号
果実のある部屋 新潮 昭和五十二年四月号
闇に落ちた種子 新潮 昭和五十二年七月号
とある。
このうち赤マント流言の時期を扱っているのは1作め、5~88頁「第 一 部 花鋏を持つ子供」である。
私が本作に気付いたのは一昨年の7月、アメリカの大学がネット上に掲載誌「新潮」をスキャンして上げているのを見、それが『禁域』に収録されているのを確かめて、都下の2つの市立図書館から借りて、本作だけを読んだのである。
出来れば続く「果実のある部屋」から「闇に落ちた種子」更に『春の道標』、『黄金の樹』へと読み進めたかったのだが、本作に描かれている主人公の、そこまでの意識はないにせよ、悪意としか云いようのない悪行が、少し思い上がっていた子供だった私にも思い当たるような気がして、本作は最後まで読み通したものの、続けてその先を読み進めようと云う気が失せてしまったのである。
さて、本作「花鋏を持つ子供」は「新潮」第71巻第5号(昭和49年5月)6~51頁に掲載されているのだが、今、ネットでは閲覧できなくなっている。国立国会図書館デジタルコレクションでも「国立国会図書館限定公開」である。単行本との詳しい比較までして置けば良かったと後悔しているが、見たところ書き換えなどはなされていないように見えた。いづれ初出誌でも確認することにして、今は単行本により内容を確認して行くこととしよう。(以下続稿)
*1:短歌も連作を載せるようなことはなく1人2首(俳句は2句)ずつ、かつ入試に短歌がメインで出題されることはないから授業でも申し訳程度にしか取り上げさせてもらえなかったから、連作が世界を作って行く体験を生徒と共有する機会は、その後絶えてなかったのである。