瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

竹中労の前半生(05)

 昨日取り上げた備仲臣道『美は乱調にあり、生は無頼にあり』については、194~196頁「参考文献」と各章末の「」、そして197~208頁、備仲臣道編「竹中英太郎年譜」にまだ触れておりませんが、これは他の2冊の竹中英太郎の伝記と比較しながら取り上げることとして、今回は2006年に刊行されたもう1冊について、備仲氏の本との関係から見て置くこととしましょう。

鈴木義昭『夢を吐く絵師 竹中英太郎二〇〇六年十一月三十日発行・定価 2200円・弦書房・244頁・A5判並製本
 さて、私は当初、年明け以降の竹中労の伝記考証記事を「赤いマント」の題で進めていたことからも察してもらえると思いますが、飽くまでも昭和14年(1939)の赤マント流言の回想を残している人物として、竹中労の年齢・学年と当時の居住地・通学していた学校を確かめたかっただけでした。ですから、竹中英太郎のことまで調べることになるとは思っておらず、まぁ、差当りネット情報で済ませてしまおうくらいに思っておったのです。
 そうすると、竹中労の異母妹で、竹中英太郎の次女・竹中(金子)紫が館長を務める「湯村の杜 竹中英太郎記念館」公式ホームページがヒットしました。その「竹中英太郎年譜」に拠れば、ほぼ誤りないだろうと思ったのです。
 しかし、その後少しずつですが竹中労の生年月日について調べを進めるうち、どうも定見が示されていないらしいことが分かり、乗り掛かると飽きるまで止められない性質なので今、私の手許には竹中労の著書が20冊余あります。そして竹中英太郎の伝記も、既刊の3冊が揃えてあります。
 そこで改めて「湯村の杜 竹中英太郎記念館」公式ホームページの「竹中英太郎年譜」を見ると、「平成18(2006)年」条に、

6月~平成19(2007)年10月連載、「桜座スクエア」(甲府・桜座) 「生誕百年記念 竹中英太郎とその時代」(村上裕徳)
9月15日・生誕百年記念画集 「竹中英太郎」/金子紫 編
9月15日~12月25日・生誕百年記念特別展 前期 「妖美と幻想の挿絵展」 湯村の杜竹中英太郎記念館 
9月30日~12月24日・生誕百年記念 「竹中英太郎と妖しの挿し絵展」 弥生美術館
11月、「夢を吐く絵師 竹中英太郎」(鈴木義昭)
彷書月刊」12月号、特集 「途をいずれに 生誕百年竹中英太郎

と、生誕100年と云うことで本書の他にもNPO 法人街づくり文化フォーラムと甲府商工会議所が発行する甲府の情報誌「桜座スクエア」に連載された竹中英太郎の伝記、「彷書月報」の特集、記念館の画集と特別展、弥生美術館の展覧会とともに本書も紹介されているのですが、何故か備仲氏の本の記載がありません。
 本書に関しては「平成16(2004)年」条にも、

4月8日、「おもいっきりテレビ-今日は何の日」(日本テレビ) 「挿絵画家 竹中英太郎が亡くなった日」
4月10日・湯村の杜竹中英太郎記念館が開館
12月号~平成17(2005)年2月号「望星」(発行・東海教育研究所)「妖美と反逆~竹中英太郎の謎を追う(上・中・下)」(鈴木義昭)

と、元になった連載まで記載されているのです。しかしその前は「平成11(1999)年」条で、平成14年(2002)から平成16年(2004)に及んだ備仲氏の「月刊社会民主」への連載の方は、全く何ともしてありません。
 そこで本書を借りて来て、242~244頁「主な参考文献」を見たのですが、これは主題別に分類されていて、まづ竹中英太郎本人の画集や文章、次いで竹中労の本や文章、次いで挿絵関係の論文や本、探偵小説や「新青年」関係の論文や本、そして炭鉱や満洲国、社会運動などに関する論文や本、と云う風に並んでいるのですが、備仲氏の本は何処にも挙がっていないのです。これは何だかキナ臭い(!)と思って、内容を眺めて見ると本書の最後の章、213~225頁「第十五章/「死」からの始まり/――金子紫館長との対話」は、湯村の杜・竹中英太郎記念館開館前の2004年2月、そして開館から2年余を経た2006年真夏の、金子(竹中)紫館長への2回のインタビューを中心に構成されているのですが、2回めのインタビュー中、鈴木氏が223頁11~12行め「‥‥。戦後の絵は、もう労さんなしでは考えられない。でも、英太郎先生の生涯については、想像以上/にフィクションが多いんで、調べ直すのにとても大変でした。」と発言、館長もこれに応じて話が展開する中で、次のように備中氏の本に触れていたのです。224頁8~20行め、竹中英太郎の上京の理由について、

――大杉栄の仇を討つ、というのは考えられませんよね。
金子 ええ(笑)。
――労さんの説が一人歩きして、どんどん本当のようになっていってしまっているのは、かなり危険で、英太/郎先生にとってもよくないんじゃないかと思ってるんです。その最たるものが、先日(二〇〇六年二月)出版/された『美は乱調にあり、生は無頼にあり』(批評社という本だと思うんですが。
金子 私も嫌なことなんで忘れるようにしてるんですけど(笑)。でも、父の名誉を著しく傷つけるような表/現の仕方は、いくつかありましたね。勝手に「記念出版」って、著作権継承者に断わりなく書いたことなどを/含めて抗議はさせてもらいました。たぶん、英太郎伝よりも、自分の関係したことを言いたかったんじゃない/かと思っているんです。
――英太郎先生の絵への理解、探偵小説や社会主義への理解が、あまりに稚拙だということも問題だと思って/います。そういうことじゃなくて、作品の良さを、絵のおもしろさを後世に伝えて、いかに作品を保存してい/くかが大切なんじゃないかと思っています。
金子 ええ、だから「生誕百年記念」ということで、九月から‥‥

と云った具合で、参考文献に値しないと云うことらしいのです。ただ、これでは何処が問題なのか分かりにくい。館長が問題があると思った「いくつか」の点を、是非お示し戴きたいと思うのです。(以下続稿)