瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(338)

鈴木義昭『風のアナキスト 竹中労』(1)生年⑧
 昨日まで生年月日や幼少期の回想に限ってその記述を拾って見た鈴木邦男竹中労』124頁11~13行めに、次のように触れてある鈴木義昭(1957生)の本も借りてみた。

‥‥、鈴木義昭さんは、竹中労の本、それに父親の本まで出している。『風のアナキスト竹中労(現代書館と、『夢を吐く絵師 竹中英太郎(弦書房だ。竹中労については、ともかく詳しいし、何でも知っている。‥‥


 どちらの本も地元の図書館には所蔵されていないので、勤めの帰りや他市の図書館に自転車で出掛けるついでに借りて来た。
 いや実はその前に、まづダイジェスト版と思しきものを、これも地元の図書館には所蔵していないので、年末に借りた本を隣の市の図書館に返しに行ったときに鈴木邦男の本と一緒に借りてあったのである。
・望星ライブラリー vol.11『不良老人伝』2008年9月24日 第1刷発行・定価2,200円・東海教育研究所(発売 東海大学出版会)・278頁・A5判並製本

 月刊『望星』編集部 編。奥付の上の「初出一覧(いずれも月刊『望星』)」には「不良老人伝――2007年3月号続・不良老人伝――2007年9月号不良老人伝Ⅲ――2008年4月号不良老人伝Ⅳ――2008年7月号不良老人伝Ⅴ――2008年10月号逝き際の輝き――2003年8月号」が挙がる。個人で取り上げられているのは21人で、掲載順ではなくその人の性格によって分類されているので、竹中氏がどの号に掲載されたのか、この本だけでは分からない。そこで、掲載誌の書影を眺めて見た。 書影が掲出出来るのはこの4冊で、うち2008年7月号の「不良老人伝Ⅳ」で取り上げられていたことが分かった。
 本書では91~172頁「第二部 まつろわぬ言論の徒に徹す」に7人取り上げているうちの3人め(115~125頁)が鈴木義昭「竹中 労」である。なお鈴木氏は本書ではもう1編、同じ第二部の1人め(92~103頁の「松尾邦之助」も執筆している。
 もちろん、これだけの量しかないので多岐にわたる活動の中で、見出しにした「巨大な敵との孤独な闘争の中で/激しい「ダンディズム」で書いたルポ」と云う主題に合ったキネマ旬報裁判と「週刊読売」筆禍事件の2つを取り上げ、そして最後は一転、別の側面と云うことで博多・中洲のバー「リンドバーグ」のママ・藤堂和子(1946生)へのインタビューでその人間としての魅力を述べて纏めている。藤堂氏のインタビューは KAWADE 道の手帖『竹中 労』92~97頁に再録されている、藤堂氏が1981年から2010年まで刊行していた「中洲通信」に発表した「労さん、私は元気ですよ !! 」(『中洲通信』98年3月号)と重なるところが多い。
 従って、生年月日や少年期のことなどは取り上げていないのだが、115頁(頁付なし)扉の、スキンヘッドに色眼鏡の写真の下に横組みで入っている略歴の冒頭が「たけなか・ろう/1928年東京都牛込区生まれ。東京外語大学除籍。東京/の底辺と父のいた山梨県甲府を往復しながら、‥‥」とあることに注意したのである。どうやら鈴木氏は昭和3年(1928)説を採っているらしい。鈴木邦男が挙げている「竹中労の本」も「その父親の本」も『不良老人伝』より前の刊行である。ちなみに「東京都牛込区」は、戦中戦後にそうなった時代もあったのだが、竹中氏が生れた頃であれば「東京市牛込区」と書くべきである。*1
 鈴木氏は現在も健筆を揮っているようだがその後、竹中氏に関する本は書いていない。著書で触れているかも知れないが、生年月日の問題を取り上げるようなことはないのではないか。と云う訳で「竹中労の本」と「その父親の本」のうち、まづ前者から見て置くこととしよう。(以下続稿)

*1:1月31日追記】脱落があったので灰色太字にした箇所のように補った。