瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

竹中労の前半生(03)

竹中労 編『百怪、我ガ腸ニ入ル竹中英太郎作品譜―』(2)
 紬風のエンボスで淡い紫色の見返し(遊紙)は横に縞目を出していましたが、扉は黒で見返しよりも少し厚く、表は紬風のエンボスの縞目を縦にして、裏地は平滑で14行(1行43字)のリード文を青白い明朝体太字で刷ってあります。表にはカバー表紙と同じ文字と人型のシルエットを、金文字でやや縮小し、副題を標題に寄せて刷ってあります。
 以下、奥付までカラー印刷の頁も文字だけの頁もマットコート紙で、そのためか寄稿された文章を並べた辺りでも、余白を広く取って、そこに戦前の探偵小説の挿絵、そして戦後の竹中労の著書に書いたカットを挿入してあります。こうすることで文字だけの頁の用紙を安っぽい紙にせずに通しておる訳です。
 1~3頁、口絵(モノクロ)。
 4~7頁「目次」。
 9頁(頁付なし)中扉。
 10~11頁、井家上隆幸(評論家)「序――*1」。本書に収録される文章は、最初に大きく題、同じ行に下寄せで著者名、その下に肩書きを、例えば「井家上隆幸 評論家」の如く添えております。ここでは肩書きは( )に括って示しました。
 11頁23行め「 へその緒書きによれば、「乱」と命名されるはずであった。だが、出生届けは「労」となった子が、‥‥」とあります。名前のことは「別れの音楽会」パンフレットの「竹中 労 年譜」にもありましたが、そこでは一旦「乱」命名した後に「労」に改めたかのように読めます。しかしここでは臍の緒書きに「乱」とあるのが出生届の段階で「労」と改めていたことになります。――臍の緒書きのことは、2月8日付(344)に見たように、昭和61年(1986)のインタビューで昭和3年(1928)生の根拠として本人が持ち出していました。現物、もしくは写真が残っていないでしょうか。
 12~16頁、竹中労ルポライター)「残雪、竹中英太郎逝く……」は編者・長男の竹中労による父の略伝。なお、本文での題の読点や中黒点などの約物は全て半角になっていますが、これは「目次」に従って全角にしました。
 17頁「Ⅰ 残酷美術館」の章の扉。18~37頁「『新青年』への登場」38~47頁「英太郎の全盛時代」48~56頁「正史と英太郎」に探偵小説の挿絵を集める。「目次」には作品名に括弧で作者名を添えていますが、これは割愛しましょう。モノクロ印刷。続いて寄稿。57頁、埴谷雄高「汎・エロティシズム」。58頁、吉行淳之介(作家)「ふしぎな因縁」。59頁、五木寛之(作家)「パブロ=英太郎の幻」。60頁、大島渚(映画監督)「夢の扇」。61頁、近藤俊昭(弁護士)「焼かれた少女像」。62~63頁。鈴木清順(映画監督)「堕落美」。
 65頁「Ⅱ 愛しのドグラ・マグラ」の章の扉。66~75頁「夢野久作画廊/――絵ダケガ見エル風景」67頁に「久作と英太郎」。76~84頁「大江春泥作品画譜」80頁に「乱歩、大いに怒る」との解説。85~87頁「〝満州時代〟の断片」は『月刊満洲』挿絵&カット。88~91頁「「まぼろしの『祇園祭』」。92~98頁「『ドグラ・マグラ』のイメエジ」。この章もモノクロ印刷。続いて寄稿。99~101頁、寺島珠雄(詩人)「竹中英太郎私記」。102~103頁、八木昇(大衆文芸研究家)「埋もれてはならぬ画家」。104~105頁4行め、尾崎秀樹(文芸評論家)「時代の中の出会い」。105頁5~23行め、御木平介(役者)「でっかい手」。106頁、凡天太郎(彫師)「英太郎先生の膝まくら」。107頁、加太こうじ(評論家)「逢いたかった人」。108頁、矢崎泰久話の特集・編集長)「入魂の絵師」。109~110頁8行め、竹中英太郎「画集に添えて」、末尾に「(1987・2)」と添え、1行分空けて9~11行めに次の註記(改行位置「|」)。

※註 ……以上の文章は、一九八六年刊『別冊太陽/絵本名画館』を知己友人に贈ったさい、添えられたも| のである。この画集は、竹中英太郎・松野一夫の特集として編まれ、はじめてくわしく画業が紹介された。
  本書に再録して、冥府からの辞*2に代える。


 110頁12行め~111頁、樹木希林(役者)「百怪、我が腸ニ入ル」。112頁は上部にカットのみ。
 113~144頁はカラー印刷。113頁「竹中英太郎(昭和62年・秋)」目次には「遺影・一九八七年秋」。114頁「英太郎の仕事場」。
 115頁「Ⅲ 夢のパノラマ」の章の扉。116~119頁「映画『戒厳令の夜』のための創作」120~122頁「マルレーネ・ディートリッヒの肖像」122頁に「ディートルッヒと英太郎」の解説。123~125頁「探偵趣味」123頁に「戦前の色彩画」の説明。126頁「天国の記録」、127頁「英太郎とレタリング」の説明と実例、128~131頁「『エライ人を斬る』他」本の装幀。132~135頁「日本禁歌集」136~142頁「おきなわ幻花行」143頁「末期の作品」解説あり。144頁「遺品」解説あり続いて寄稿。145頁、新野慶次郎(弁護士)「リベラリストの思い出」。146~147頁6行め、鹿野琢見(弥生美術館・理事長)「竹中英太郎懐古展によせて」。147頁7~23行め、備仲臣道(月刊山梨・代表)「露命の一万円札」。148~149頁5行め、深澤晴郎(洋画家)「砂絵の人」6~10行めに(竹中労・註)。149頁11~24行め、末木宏(柳屋・支配人)「寄稿辞退の弁」。150頁、笹本吾朗(常盤ホテル・社長)「海坊主のいたずら書き」。151~152頁、高室陽二郎(山梨放送・副社長)「父と子」。153頁、杉村爽(囲碁解説者)「雑踏の散歩者」。154頁、中山典村(テレビ山梨・社長)「妖僧・ラスプーチン」。155~156頁14行め、伊藤映二(歌人)「甲府、みぞれる」。156頁15行め~157頁、竹中つね子「お礼の言葉」。
 158~164頁8行め、高橋康雄(評論家)「[解説]自らにだけは、恥なく……」、164頁9行め~165頁、藤川治水(映画文化史研究家)「わが父なる〝E・T〟―英太郎画譜を作りながら」。
 166~171頁「竹中英太郎画譜」については別に詳しく検討することにしますので、今は分担などには触れないで置きます。
 172~173頁、竹中労「あとがき」。頁付があるのはここまでで、次の頁に「スタッフ」、その次の頁は奥付、裏は白紙。(以下続稿)

*1:ルビ「はじめに」。

*2:ルビ「ことば」。