瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤堀又次郎伝記考証(23)

・赤堀象万侶⑧『赤堀氏旧記』3
 昨日の続きで群馬県立歴史博物館紀要」第20号掲載「秀郷流赤堀氏の伝承と資料の調査」の、簗瀬大輔が担当した「二 赤堀鉊三郎の記録 ―近世の赤堀氏―」の「(三)県外赤堀氏の系譜に関する記述」の節の纏めを見て置こう。
 赤堀象麻侶は【名古屋赤堀氏】【犬山赤堀氏】【久居赤堀氏】をいづれも上州赤堀から移った赤堀瀬兵衛の子孫とする。もう一家、157頁上段4~6行め、

 【姫路赤堀氏】
  「播州姫路ニ移リシモノ又上州赤堀赤堀ヨリ出テゝ酒井侯ニ/  仕へ侯ニ従テ姫路ニ移シシニテ瀬兵衛ノ子孫ナラン」[Cイ]


 姫路赤堀家の歴史については、ブログ「海峡web版」のHN「モニカ」による記事、2020年11月06日「赤堀家の歴史 from 津山邦寧氏」に非常に詳細な報告がある。ただ、赤堀鉊三郎や赤堀象万侶はこの姫路赤堀氏とは連絡を取らなかったらしく『赤堀氏旧記』に殆ど記述がないためか、簗瀬氏も姫路赤堀家については全くと云って良いくらい掘り下げていない。
 続いて【伊勢赤堀氏】について赤堀象麻侶の談話を引くが、これには生川鐵心からの来信があってその方が詳しく【氷上郡赤堀氏】と【赤土赤堀氏】については赤堀象万侶・赤堀又次郎ともに何ともしていないので割愛する。
 簗瀬氏はこれらの纏めとして、157頁下段15行め~158頁上段4行め、

 名古屋に赤堀弾正時秀の子「瀬兵衛」の子孫と称する赤堀秀時(名/古屋控訴院書記)という人物がいる。始祖赤堀時秀は上州赤堀の/出で、名族の出自により成瀬某の口入で尾張徳川家に三百石で士/官したという。犬山の象麻侶家も「瀬兵衛」の子孫で、尾張藩家/老成瀬氏の犬山入封に従ったという。姫路赤堀氏は上州赤堀から/酒井氏に従い、やはり「瀬兵衛」の子孫であるという。【157】
 この「瀬兵衛」は、前述のとおり赤堀鉊三郎の調査では上州赤/堀の過去帳・位牌・石塔にも確認できる。「赤堀瀬兵衛」の前後/世代に赤堀氏の西遷があったのだろうか。赤堀氏の離散を考える/時の年代的基準になる人物が「瀬兵衛」ではないかと考えられる。

と述べる。
 続いて5~13行め、伊勢赤堀氏について述べるが11行め「南北朝期から諸史料で確認できる」とのことなので「瀬兵衛」を始祖とする名古屋・犬山・久居・姫路の赤堀家とは由来を異にすると云って良かろう。よってこの系統には(しばらく)触れずに置くことにする。(以下続稿)