瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(127)

 一昨日からの続き。
・村下要助『生きている八王子地方の歴史』(3)細目と図版等①
 本書には道了堂に限らず再々触れることになろうかと思う。その際、一々章節を細かく上げるのは面倒なので、ここに細目を示して置くこととする。
 21頁(頁付なし)「一、古代編」の扉。
 この編は2節から成る。1節めは「大栗川流域は古墳の宝庫」22~38頁、以下の6項。
・「〝土の川〟大栗川*1」22頁2行め~24頁3行め
・「大塚山は南関東一の大古墳」24頁4行め~26頁4行め
  25頁左上「鑓水大塚山前方後円墳(底部長144m)」写真
・「由木大塚は、わが国最大の底部幅を持つ円墳」26頁5行め~29頁3行め
  27頁左上「由木大塚円墳(底部長115m)」写真
  27頁左中「由木大塚西古墳(底部長108m,前方後円墳,5世紀頃とみられる)」写真
・「鮎街道上の古墳」29頁4行め~31頁16行め
・「植田孟縉と塩野適斎の見た古墳」32~37頁14行め
・「大栗川族は国府国分寺開創の功労者だ」37頁15行め~38頁16行め
 2節め「湯殿川流域の古墳と立野牧」39~48頁
・「立野牧は元横山村大巻にあった」39頁2行め~41頁6行め
・「地名〝館〟は立野大牧と橫山氏の〝館〟から*2」41頁7行め~42頁1行め
・「竜見寺と大日如来」42頁2行め~43頁1行め
・「白旗橋――糠信氏と頼朝伝説」43頁2行め~44頁8行め
・「四官牧貢馬のルート」45~46頁9行め
  45頁上「武蔵立野牧村付近図」略地図
・「大牧場跡は消えた」46頁10~15行め
 「目次」にはないが47~48頁は【追記】で、本書原稿の締切を「十月二十五日」から「十一月二日」に延ばしたことなどが書いてある。そうするとその後「おしまいに」の日付「十一月十五日」に再延期されたことになろうか。
 49頁(頁付なし)「二、中世編」の扉。
 51頁(頁付なし)1章め「片倉城をさぐる」の扉。
 1節め「大江師親・長井高乗、関東出向のなぞ*3」52~66頁
・「舟木田本新庄・羽州長井庄の衰微と大石氏の進出*4」52頁2行め~55頁7行め
・「師親・高乗、多摩に入る」55頁8行め~59頁
  58~59頁「大江氏系図系図
・「師親、山田築城と広園寺開創に着手」60~66頁16行め
  61頁左上「椚田城(高乗寺城)跡遠景」写真
 2節め「高乗、片倉城を築く」67~69頁3行め
・「片倉城の規模」67頁2行め~68頁2行め
・「片倉城は古道の要衝」68頁3行め~69頁3行め
  68頁上「片 倉 城 跡」写真
 3節め「片倉城をめぐる戦略寺」69頁4行め~86頁
・「光厳寺・梅洞寺・長慶寺・福昌寺・宝勝寺」69頁5行め~75頁2行め
  70~71頁[八王子西北部要図]略地図
  74頁右上「片倉城ゆかりの八基の五輪塔」写真
・「竜光寺と末寺来光寺・妙薬寺(竜光寺は北の砦)」75頁3行め~79頁6行め
  75頁左上「片倉城鬼門除け別当来光寺に残る墓石 /(応永22年の記載あり。広房の引墓か)」写真
・「大義」79頁7行め~80頁10行め
・「大幡山宝生寺は大石氏に対処した砦」80頁11行め~83頁14行め
・「秋川法林寺は大石氏に対する防衛寺」83頁15行め~86頁16行め
 4節め「片倉城と古道」87~102頁4行め
・「二本の甲州南北道」87頁2行め~88頁6行め
・「城館跡の見方について」88頁7行め~90頁12行め
・「長井氏と川口氏の関係」90頁13行め~92頁6行め
・「戸吹城は最前線の砦」92頁7行め~96頁14行め
  93頁左上「戸吹根小屋城の住吉神社」写真
・「由木城――横山由木城と長井由木城」96頁15行め~102頁4行め
  98頁右上「長井高乗築城の由木城本丸(永林寺)」写真
  100頁右上「上柚木和田の横山氏族由木氏館跡」写真
 5節め「三代広房と広園寺開山令山和尚」102頁5行め~109頁15行め
  103頁左上「山 田 広 園 寺」写真
  103頁左中「雲津院殿墓広園寺境内)」写真
  104頁右上「小松城跡(左下墓石10基)」写真
  104頁右中「小松城跡の長井・永井氏墓石40基」写真
 「目次」にはないがこの章末、110~111頁5行め【まとめ】。
 113頁(頁付なし)2章め「里ばなし片倉城――大石氏隠棲の戸倉城は片倉城か――」の扉。本文114~136頁2行め。
  115頁左上「恩 方 案 下 城 跡」写真
  116頁右上「滝山城跡の一部」写真
  116頁右中「高 月 城 跡」写真
  119頁左上「安藤大炊充常貞の墓石」写真
  120~123頁「大石氏系図 新編武蔵風土記稿より
  129頁左上「戸倉城跡 遠景(中央の高い山)」写真
  133頁左上「由 木 永 林 寺」写真
 137頁(頁付なし)3章め「小比企山長慶寺/――長慶天皇后に造った寺か?――*5」の扉。本文138~160頁16行め。
  139頁左上「長  慶  寺」写真
  142頁右上「高宰神社(祭神人皇第98代長慶天皇」写真
  144頁右上「長慶天皇陵か(円墳,高2.8m,幅16m)」写真
  152頁右上「大室神社(王室神社とみる。長慶天皇室徳応院慶林王室大姉)」写真
追記】当初は全部をここで済ませて置くつもりだったが、前半のみとし、図版について補って置くことにした。2字下げで挿入位置、下に添えてあるキャプションを「 」で括って示した。但し地図は図中に、系図は枠等で囲わずに冒頭にゴシックで題を示している。――写真は割合に鮮明で、よく撮れていると思う。撮影時期もほぼ明確で、昭和50年代の状況を窺う貴重な資料となっていると思うのである。(以下続稿)

*1:「目次」6頁5行め「土の川〝大栗川〟」。

*2:ルビ「たて・やかた」また「立野」に傍点「ヽ」。「目次」7頁3行め「地名〝館〟は立野大牧と橫山氏の館から」ルビと傍点は同じ。

*3:「目次」7頁10行め、中黒点全角。

*4:「目次」7頁11行め「船木田本新庄・羽州長井庄の衰微と大石氏の進出」。

*5:「目次」9頁8行め「?」なし。