瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(128)

・村下要助『生きている八王子地方の歴史』(4)細目と図版等②
 昨日の続きで後半を見て置く*1
 161頁(頁付なし)「いろいろな話」の扉。「目次」9頁9行めには「三、いろいろな話」とあって「一、古代編」と「二、中世編」と同じ扱いだったが番号が外されている。古代と中世は主題を決めて書いて行ったが、近世以降は自由に、担当する由井・由木地区や追加で書き足すことになった八王子城跡のことなど、思い付くままに書いて行って、合計72話になっている。章・節ではなく「話」としたのは「目次」での扱いが「一、古代編」と「二、中世編」の章(字下げなし)と節(2字下げ)の間(1字下げ)になっており(「章」と「節」そして「項」にしても村下氏はそういう呼び方をしていないので、こちらが仮に付けただけなのであるが)別の呼称にすべきと考えたからである。しかし何分にも数が多いので【 】に仮に通し番号を打って見た。収録位置〈頁・行〉は見出しの位置のみを示した。但し本文末も一部メモしてある(頁移り箇所等)。見出しは明朝体でやや大きく3行取り2字下げ。
【1】由木・由井を流れる川*2〈162頁1行め~165頁2行め〉
  163頁左上「大  栗  川(堀之内より)」写真
  163頁左中「湯  殿  川(小比企稲荷社脇)」写真
  164頁右上「山田川国道20号黄金橋上より)」写真
  165頁左上「徳本上人の仏石(相州相原二国橋)」写真
【2】浄土宗徳本上人の仏石と時宗一遍上人の仏石〈166頁1行め〉
  167頁左上「一遍上人の仏石法要」写真
【3】力士がかついてきた出羽三山遙拝の石〈168頁3行め〉
【4】藤田先生の石「名勝七国峠」〈170頁11行め〉
【5】大石信濃守宗虎の墓石(由木松木)*3〈171頁11行め〉
  172頁右上「大石信濃守宗虎の墓信濃守屋敷内)」写真
【6】博徒の親分、小才次郎の墓(由木東中野)*4〈173頁5行め~174頁5行め〉
  174頁左(囲み)上「信濃守屋敷内のサルスベリ」写真
  174頁左(囲み)下「名勝七国峠(昭和46年)」写真
  175頁囲み「東中野の小才次郎の墓(善徳寺境内)」
【7】このへん昔は神奈川県〈176頁1行め〉
【8】小比企の殿様、長沢家〈177頁6行め〉
【9】北向地蔵と北向観音〈178頁4行め〉
【10】土方歳三の墓(日野市石田)〈179頁6行め〉
【11】塞の神道祖神〈180頁5行め〉
【12】槍の名手、河和治兵衛の決闘(大船栃窪)〈182頁8行め〉
【13】中西氏と鈴鹿明神社(上小比企)〈188頁6行め~189頁15行め〉
【14】片倉塚本氏(片倉町只沼)〈190頁1行め〉
【15】山田慶泉院開基、永井氏(北小比企)〈190頁6行め~192頁16行め〉
【16】片倉城のいま一つの見方〈193頁1行め〉
【17】経文石塚について*5〈201頁11行め~204頁16行め〉
【18】小杉貞治郎の義俠心(上小比企)〈205頁1行め〉
【19】小比企宮谷衆〈209頁13行め〉
【20】上野原城主加藤丹後守忠景〈221頁13行め〉
【21】多摩郡延喜式内社〈223頁9行め〉
【22】菅原道真天神社(間違う天神社)〈224頁13行め〉
【23】甲斐の名門小山田氏*6〈225頁8行め〉
【24】武田氏の最期と北条御寮人〈226頁4行め〉
【25】八王子地方の甲州姓〈229頁2行め〉
【26】いま活躍中の先生方〈229頁11行め〉
【27】新選組隊士斎藤一諾斎と門下生〈231頁2行め〉
  238頁右上「表 寄附連名有志者の分布」表(キャプション上)
【28】由木地区の氏族〈242頁6行め〉
【29】鑓水絹商人〈250頁8行め~251頁7行め〉
  251頁左、9行分余白になっている。図版の挿入漏れか。
【30】シルクロード夜話〈252頁1行め〉
【31】絹商人の〝やくざせがれ〟〈253頁10行め〉
【32】鑓水子ノ権現社の彫物〈258頁3~11行め〉
【33】由井打越出身の彫物師、後藤氏〈259頁1行め〉
【34】後藤彫物師の後裔〈262頁10行め〉
【35】彫物は立派ほど新しい〈264頁3~13行め〉
【36】八王子城代家老中山氏〈265頁1行め~266頁15行め〉
【37】社寺の石高について〈267頁1行め〉
【38】片倉の〝死に田〟〈269頁5行め〉
【39】ふざけた生徒〈271頁10行め〉
【40】喰えなかった時代〈272頁11行め~275頁12行め〉
【41】兵隊送り〈276頁1行め〉
【42】二宮金次郎の石像〈279頁5行め〉
【43】八王子地方最初の戦死者〈281頁5行め〉
【44】秀吉の冷酷〈282頁4行め〉
【45】憎っくきは前田公〈283頁5~13行め〉
【46】学者染谷春房〈284頁1行め〉
【47】小比企稲荷社〈286頁9行め〉
  287頁右上「小比企稲荷社」写真
【48】おとなしい小比企の人〈288頁4行め〉
【49】野猿峠の名〈289頁10行め~291頁15行め〉
【50】大石氏のまとめ〈292頁1行め〉
【51】由井地区の氏族などの話〈295頁10行め〉
【52】日奉氏族平山系由木氏〈301頁14行め〉
  301頁左上「日奉氏族平山系由木氏の堀之内館跡」写真
【53】由木地区の和田横山氏族由木氏〈302頁7行め〉
【54】由木松木の小田家〈303頁13行め〉
【55】田中出泉守〈305頁11行め~306頁15行め〉
【56】山田の副住さん〈307頁1行め〉
【57】明治の女〈308頁4行め〉
  320頁左上「下(しも)のおきみさん(73歳頃)」写真
【58】築井城と三増合戦〈322頁9行め〉
  324頁左上「津久井根小屋城跡」写真
  329頁右上「三増に立つ三増合戦碑(矢印は三増峠)」写真
【59】見事な大往生〈331頁7行め〉
【60】葬式について〈334頁7行め〉
【61】江戸時代の貧亡*7〈337頁5行め〉
【62】助郷〈339頁2~8行め〉
【63】二宮金次郎の才覚〈340頁1行め〉
【64】武蔵二宮城(御岳城)〈343頁12行め〉
【65】中山長隆寺〈345頁4行め〉
【66】松木七郎諸澄〈347頁4行め〉
  348頁左上「松木七郎諸澄の宝篋印塔と筆者」写真
【67】木曽義仲の臣、磯沼氏*8〈352頁10行め〉
  357頁囲み、右を上にした断面図
  361頁下囲み、石柱と鳥居の図
  368~369頁「天然理心流師範系譜
  373頁右(囲み)上「十 手」「十 手」左「天然理心流巻物 六巻」下「短刀(小比企住正近)いづれも寸法図
  375頁囲み「高尾山飯綱大権現社小烏丸宝剣写真」寸法図
  376頁(頁付なし)「文政二年名主磯沼氏ヤ館」略地図
【68】狼と狸の話〈377頁3行め〉
【69】八王子城跡〈380頁9行め〉
  381頁右上「八 王 子 城 跡」写真
  388頁左上「八王子城城山会の落城墓参(昭和56年7月24日,二の丸にて)/この日の落城墓参は,その頃出版された児童文学者古世古和/子先生のこの城に絡む「赤いくし」関係の人達も一緒であっ/た。古世古先生は椚先生の奥様であって,古世古はペンネー/ムである。」写真
【70】生きていて死んでる心〈389頁9行め〉
  393頁右上「一遍上人墓石移動にお世話下さった方々(右より小松・清水・筆者・鈴木,於二の丸)」写真
【71】八王子城跡を無神経な役人から護ろう〈397頁4行め〉
  399頁右上「全国自動二輪交流会に出席した筆者」写真
【72】八王子城跡を愛し護る人たち〈406頁行め〉
 図版としては他に、カバー裏表紙中央に「万福寺へ移された稚子塚の五輪墓石」がある。(以下続稿)

*1:【2023年11月10日追記】誤入力を修正し、入力漏れを補った。

*2:「目次」9頁10行めは中黒点全角。

*3:「目次」10頁2行めは括弧全角(以下目次の括弧は全て全角)。

*4:「目次」10頁3行めは読点なし。

*5:「目次」になし。

*6:「目次」11頁3行め読点あり。

*7:「目次」13頁9行め「江戸時代の貧乏」。

*8:「目次」13頁15行め読点なし。