瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(60)

・『私たちの郷土由木村』
 原本はB5判謄写刷と思われる。私が見たのは八王子市郷土資料館蔵本の複写。
 1頁(頁付なし)「目    次」、以下の本文は2段で章題のみ2段抜き。2~6頁7行め「一、生 活 の 基 盤 と し て の 土 地」6頁8行め~15頁5行め「㈡ 村  の  畧  年  表」15頁6行め~42頁「㈢ 村  の  歴  史  資  料*1」43~64頁「㈣ 村  の  伝  説  集」65~頁「㈤ 村  の  地  名」71~75頁「㈥ 村 の 民 間 信 仰 と そ の 行 事」76~87頁「㈦ 村  の  童  謠」88~95頁上段「八、雑     編」。95頁下段「あ と が き」は末尾(17行め)に「昭和三十六年四月一日」とある。前半(2~8行め)を抜いて置こう。

 私は小さい時から村の人達から聞いた断片的な伝説/や村の厂史に大へん興味を持った。何とかして沢山の/話しや史実を集めてこれをまとめてみたいという考え/になり 非力ながら出来る範囲内に於て資料を集めて/編集してみることにしました。十分な資料や暇がない/上にこの方面の基礎能力にも欠けていて 満足出来る/ようにまとめることが出来なかった。


 この、随分謙退している著者である「私」は由木村で生まれ育ったことが分かるのみで、著者名と刊年も入っていないが、昨日見た新八王子市史民俗調査報告書 第2集『八王子市東部地域 由木の民俗』には「第十章 口承文芸」に「既刊資料」として、318頁上段25行め・319頁下段20行め・324頁上段12行めの3箇所に、

小倉英明『私たちの郷土由木村』 昭和三十六年

と見えている。この小倉英明なる人物については265~295頁「第八章 寺社と民間信仰」の277頁下段15行め~289頁下段20行め「五 寺院の様相」に由木地区内で住職のいる14箇寺のうち6箇寺を取り上げているが、その筆頭、277頁下段20行め~280頁上段「(一)永林寺」の2項め、278頁上段9行め~24行め「住    職」に、まづ9~17行め、

現住職の小倉英/利師(昭和三十七年生)は昭和四十七年(一九七二)/に十歳で得度し、その後総持寺で/修行を積んだ。平成十年(一九九八)/には永林寺の住職に任命され、第/三十六世住職となった。
 小倉家が住職を務めるようになったのは、現住職の祖父の代からであった。/祖父の小倉栴州は大正時代の人で、初めて妻帯を許された住職。‥‥

として「法系」等について説明し、最後、22~24行めに、

 祖父の後、父の小倉英明(昭和五年生)が住職を継いだが、息子だから継い/だのではなく、栴州の弟子となったので住職を継げた。英明が住職になった/のは、昭和二十七年(一九五二)ころだった。

と見えている。この章の執筆は専門調査員の乾賢太郎(パルテノン多摩歴史ミュージアム学芸員)。
 これにより本書の素姓がある程度確かめられたところで、今回は道了堂に関する箇所を見て置こう。
 「二、村の畧年表」は「飛鳥時代/大化二年(六四六年)」条から「昭和三十六年一月三十一日(一九六一)」条まで、そのうち幾つかの条には末尾に(資料二十八)などとあるが、これは「三、村の厂史資料集」と関連するので、「資料一 武 蔵 国」から「資料六十二 茶 の 栽 培」まで、年表に出て来る事項の解説や根拠となった資料が紹介されている。
 「二、村の畧年表」12頁上段13~15行め、

明治八年三月(一八七六)
  渡辺大淳 鑓水大塚山に道了堂を建立する。(資/  料四十四)

とあり、明治8年(1875)の西暦換算がおかしいが、「三、村の厂史資料集」34頁上段7~15行め、

資料四十四 道  了  堂
  鑓水の大塚山にあり 神奈川県大雄山最乗寺の道了/  権現の分霊をまつたもので もとが東京浅川町にあ/  つたのを明治八年三月渡辺大淳氏がこの地に糸商と/  協力して建立したもので 当時は鑓水永泉寺の持で/  あつたが 現在では大岳寺という寺に独立している。/  この地は丘陵地中最も高い部分にあり、景勝の地と/  して知られている。境内には方竹という珍しい竹が/  あります。

とある。大岳寺は4月13日付(32)に見たように現在では小倉家が(名義だけの存在になっているらしいが)管理しているらしい。方竹は5月19日付(57)に引いたかたくら書店新書44『野猿峠』に見える四方竹のことで四角竹とも云う。堂守殺しの2年前でまだこの竹があった訳だが、他のことは扨措いて竹のことのみ特筆しているのは、相当評判になっていたのであろう。さらに2つ文献を挙げることが出来る。遠からず記事にしよう。しかし当時の写真はないものだろうか。
 巻末に「「私たちの郷土由木村」 正 誤 表」が2頁あるが、その2頁め(?)9行めの最後、頁数「三十四〃」段「上 〃」行 目「九 〃」に、正「東京花川町」花の左傍に「〇」、誤「東京浅川町」浅の右傍に「×」とある。「花川戸」が正しいはずだから「正」の方も誤りである。(以下続稿)

*1:「目次」1頁5行めには「三、 村 の 厂 史 資 料 集」とあった。