昨日の続き。
私が借りている①文庫版は『上』1版10刷『下』1版7刷、②新書判は上中下3冊とも1版1刷、③B6変型判も上中下3冊とも1版1刷である。
・小塚原刑場(1)
まづ、小塚原刑場について見て置こう。
①文庫版『下』61~72頁「日 光 街 道」63~68頁3行め「一 三ノ輪・千住」3項のうち2項め、65頁3行め~66頁16行め「小塚原回向院 〈▼荒川区南千住五丁目三三/▼国電南千住駅下車〉*1」がまるまる小塚原刑場の説明である。1段落めを抜いて置こう。65頁4~14行め、
小塚原回向院(浄土宗)は、国電南千住駅の正面にある。本堂/を二階に、下に駐車場をおいたモダンなこの寺は、義親上人が/一六六七(寛文七)年に建てたもので、刑死者・牢死者・いきだ/おれの屍体を埋葬するところとして建立された両国回向院の別/院だ。明治初めに刑場が廃止されるまで、ほうむられるもの数/万人といわれる。門前の通りは千住大橋にいたる奥州街道で、/この一帯を小塚原とよんでいる。飛鳥明神にある瑞光石の小塚/からこの名がでたともいわれるが、もと刑場だったので〝骨ヶ/原〟と通称されたのがてんじたものだともいわれている。ここ/は鈴ヶ森とならんで刑場(浅草刑場)で、お仕置き場があった。/いまでも、門前商店街通りをコツ通りとよぶ人もある。*2
65頁左上(3行め以降)は「回向院、安政大獄刑死者の墓 正面左は吉田松陰の墓」の暗い木立を写した写真があって字数が少ない。
②新書判『上』下町 247~270頁「日光街道と葛飾・江戸川」――この章については、247頁(頁付なし)扉が奇妙なことになっている。①文庫版は都下の公立図書館で所蔵している館が殆どない。傷んで②新書判が出た際に除籍処分とした館が少なくないのだろう。②新書判は、まだ多くの市の図書館が所蔵している。ただ資料として保存すべく郷土資料室で禁帯出にしている館も少なくないようだ。
私が③B6変型判を3冊揃いで借りた図書館では何故か②新書判を『上』のみ貸出可能にしていた。よって『上』のみ借り、②新書判の3冊揃いは別の市の図書館で予約して借りたのである。
従って、今私の手許には②新書判の『上』のみ2冊ある。ともに1版1刷なので違いはないはずなのだが、ふと3冊揃いで借りたうちの『上』を見るに、211~246頁「江 東」の、211頁(頁付なし)扉にシールが貼ってあることに気が付いた。『上』のみ借りている方にはシールを貼っていないのだが、この章の題は「日光街道と葛飾・江戸川」となっているのである。この扉には廣重『名所江戸百景』の「亀戸/天神/境内」が大きく掲載されている(キャプションは「亀戸天神境内(歌川広重筆「名所江戸百景」)」)。本文の奇数頁の頁付、左側にも「江 東 」と添えてある。もちろん内容的にも「江東」であるべきである。「目次」はもちろん誤っていない。
何故こんなことが生じたのか良く分からのだが、とにかく扉の題だけ取り違えてしまったのである。そして、この取り違えに気付かずに出荷してしまい、それこそ購入者からの指摘で気付いて慌てて訂正シールを拵えて愛読者カードを寄越した読者に送ったりしたのであろう。まだ売れていなかった分には書店にシールを配って貼ってもらったりしたかも知れない。
247頁(頁付なし)扉も、廣重『名所江戸百景』の「千住/の/大はし」を使っている(キャプションは「千住の大橋(歌川広重筆「名所江戸百景」)」)のに題が「江 東」となっていたのを、シールで「日光街道と葛飾・江戸川」と訂正しているのである。
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この②新書判の本文だが、③B6変型判に近い。よって次回、両者を並べて見て行くこととしよう。(以下続稿)