瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

現代民話考 第二期 Ⅲ『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』(03)

 6月18日付(01)に取り上げた、NHK(森本毅郎アナウンサー)と「現代の民話」の因縁については、松谷氏はその後も書き続けておりました。
・『現代民話考12 写真の怪・文明開化1996年5月25日  第1刷発行・定価2718円・立風書房・352頁

 文庫版の書影は7月18日付「日本の民話『紀伊の民話』(19)」に示しました。
 6月18日付(01)に引いた①「ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」からは14年半、②現代民話考 第二期 Ⅱ『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』からですと8年半ほどが経過しております。――結論から言うと、大筋は同じです。細かいところが違います。それから、更なる後日談がここで追加されております。
 それでは長くなりますが、松谷みよ子「あとがき」の当該箇所を抜いて置きましょう。単行本350頁13行め~352頁13行め・文庫版433頁3行め~435頁8行め、

 もうひとつの感慨は、現代民話の仕事がNHKの人間大学として放映されたことであ|った。九六/年一月から三月まで、一回三〇分、全一二回*1である。【350】
 一年前、この仕事の打診があったとき、全集『松谷みよ子の本』全十巻、研究篇一巻|が進行中で、/しかも『現代民話考・狸・むじな』を上梓すべく取り組んでいた。できる|だろうか。そのとき「こ/の仕事は断わらないで下さい」と釘を差したのが、研究室の納|所とい子である。「そうね、やらなく/てはね」といったものの、学者でない私には心重|い仕事だった。
 しかし、もう一つ、意地にも似た思いがあったのは確かなことである。実は一九八三|年、NHK/の「女性手帖」に五回連続で出演したことがある。御相手は森本毅郎アナ。|最終回のタイトルは「現/代の民話」であった。「ね、NHKにも現代の民話あるでしょ」|と問うと、あるあるといくらでも出/てくる。後年ここからこのシリーズに収めた『ラジ|オ、テレビ局の笑いと怪談』が生まれたが、や/がて、本番になっても森本アナは何も話|してくれなかった。その後、二、三年してから今度は絵本/『ぼうさまになったからす』|と『まちんと』をNHKが美術番組で取り上げることになり、司修さん/が出演、私もゲ|ストで招いていただいた。森本アナがリハーサルの日にいった。「松谷さん、同じこ/と|【433】をずうっといっているのはいいことですよね」「え、なんのことでしょう」。実は「女性|手帖」で/いよいよ収録というとき、「現代民話」というタイトルに上部からクレームが|ついたのだという。こ/のような耳馴れない新しい言葉をNHKがタイトルに出していい|ものだろうか。
 スタッフがどうしてもこのままで、と決行。私だけがいきさつを知らないでいたのだ|った。
「今回、司さんは(私ども日本民話の会の会員でもある)迷うことなく現代民話という|タイトルを/決め、NHKも何ももう言わなかった。だから同じことをずうっといってい|るのはいいことなの/だ」。これはどうやら、ほめ言葉ではないと思った。それだけに、|また数年後、ほんの五、六分であ/【351】ったがNHKから「現代の民話」について話してほし|い、といわれたとき、喜んで出演したし、今/回は、「人間大学」で一二回*2なのだった。|現代民話もここまで市民権を得たのかという感慨があっ/た。なんとしても、しなくては|ならない仕事だった。
 人間大学にはテキストが必要で、一二回分*3原稿枚数にして約百六十枚*4ほどになる。タ|イトルは「現/代民話・その発見と語り*5」とした。以下、標題を並べると「現代の民話と|は」「ぼうさまになったか/らす――私も語り手」「偽汽車――現代の民話から昔話の型|へ」「蛇の聟――昔話と現代民話の重な/り」「公害を知らせに来た河童」「夢の知らせ、|【434】あの世への道」「神かくし、生まれ変わり――霊の世/界はあるのか」「土を喰う――事実|を語る」「英霊の帰還――戦争にまつわる現代民話」「学校の怪談」/「私の感じる遠野|――現代民話の文芸化」「笑い――現代民話への共感」以上である。
 このシリーズの総括といえばいえるが、今となれば問題提起も伝えたいことも、まだ|まだ限りな/くあるように思う。放映中、次には基地の現代民話を、とお便りをくださっ|た方があり、心にこた/えた。基地も、鉱山などの話も、まだまだ手をかけねばならない|ことは多々あるのに、怠けていた/わけではないのだけれど、本業の仕事もあって、次の|機会を待つことになった。


 丁度『現代民話考』全12巻を完結させる、と云う時機に「このシリーズの総括」となるような、NHK「人間大学」で「現代民話」を講ずる機会が与えられたので、改めてNHK(及び森本毅郎アナウンサー)との因縁を蒸し返している訳ですが、いよいよ年がおかしくなっています。
 ここで①「ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」(1981.10)②単行本『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』(1987.10)そして『現代民話考12』(1996.5)、それから6月18日付(01)の【7月2日追記】に取り上げた「松谷みよ子年譜」(1997.4)の記載を、表に纏めて置きましょう。-は記載なし、( )内は記載から推定される時期、※は番組の放送時期。

番組名 典拠 女性手帳 女性手帳 美をさぐる ニュースワイド
1975.1頃・5回連続 3年後(1978) 3年後・1981.6
7年ほど前(1980頃)5回連続 3年後(1983頃) 2年後(1985頃)
現代民話考12 1983・5回連続 2、3年後(1985、6) 数年後
年譜 1975.1収録、2.10~放送・5回 1979.6.28・5回出演 1978.8.24
実際 1975.2放送・全5回 1979.6.28放送・1回 1978.9.23放送 ※1980.4~1988.4

 6月18日付(01)にも述べたことですが、松谷氏は「女性手帳」に2度出演していて、1度めの1975年「私のなかの民話」が「5回連続」、2度めの1979年が全4回の「家族を結ぶもの」の第3回のゲストだったのですが、②を執筆したときに松谷氏は1979年の方が「民話」についての「5回連続」だと思い込んでしまったらしく、「松谷みよ子年譜」では、何らかの記録に基づいて1975年の5回収録と記述しながら、1979年の方は6月28日の日付のみ記して(実際、6月28日放送の回にしか出演していないのでこの日付しか書きようがないのですが)5回出演としています。5回出演の「女性手帳」の「3年後」に「美をさぐる」にゲスト出演、というのは共通していて、事実正しいのですが、基準年がどんどん新しくスライドしているので読者は正確な年を割り出せません。しかし「松谷みよ子年譜」の後であれば「現代の民話」について悶着のあった「女性手帳」は「美をさぐる」の丁度3年前の1975年の方だと、本人もスタッフも編集者も見当が付けられそうなものです。ところが③文庫版『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』(2003.11)では「7年ほど前」を「1980年頃」と書き換えながら、それ以上の確認をしておりません。
 いえ、実は、③文庫版『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』が出る前に松谷氏はこの一件についてもう1回書く機会がありまして、そこでは正しく記述しているのです。しかしその後出た、③文庫版『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』及び文庫版『現代民話考12』(2004.3)では、上記、間に合せの修正を施したのみで、訂正しておりません。――この辺り、私のような者にとっては、どうにも松谷氏の著述は扱いが厄介だなぁ、と思わされてしまうのです。(以下続稿)

*1:文庫版「一回三十分、全十二回」。

*2:文庫版「十二回」。

*3:文庫版「十二回分」。

*4:文庫版「約一六〇枚」。

*5:文庫版は中黒点「・」全角。