瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

現代民話考 第二期 Ⅲ『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』(01)

① 現代民話考  その八「ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」日本民話の会編集「民話の手帖」第8号(第四巻第二号)56~109頁、一九八一年十月十日発行・定価 八八〇円・発行 日本民話の会・発売元 蒼海出版・208頁・A5判並製本
② 現代民話考 第二期 Ⅲ『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』1987年10月9日 第1刷発行・定価 2,000円・立風書房・390頁・四六判上製本

ちくま文庫『現代民話考 8』ラジオ・テレビ局の笑いと怪談(二〇〇三年十一月十日 第一刷発行・定価1300円・筑摩書房・442頁 6月8日付「日本の民話『紀伊の民話』(12)」に、松谷みよ子の本 第7巻 小説・評論・全1冊の「初出と底本」に「*「あとがき」は全て各巻(底本)が初出。雑誌「民話の手帖」の初出稿は単行本出版にあたり、大幅に加筆・改稿されており、「考察」メモ又は「原型」稿ともいうべきものです。‥‥」とあることについて、註に「第8巻『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』の「雑誌「民話の手帖」の初出稿」は、むしろ「あとがき」の方の「「原型」稿」となっている」こと等を指摘しましたが、この点について、何せ私は資料の殆どを複数の図書館から借りて済ませているので、材料が手許に揃っているうちに、確認して置くこととしましょう。
 問題(?)の②15~23頁③21~30頁「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談考」ですが、書出しは以下のようになっております。②15頁2~8行め③21頁2~10行め、なお改行位置は①「/」②「|」③「\」で示すこととします。

 いま、この原稿を書く時点では、ようやく一段落を見たが、「ビートたけしによるフ\ライデー乱|入事件」は、直接テレビとは関係ないながら、ビートたけしがテレビタレン\トで人気者であるとこ|ろから、私もこの事件の経過は気になった。この事件は昭和六十\一年十二月九日、たけしの愛人に|写真週刊雑誌、「フライデー」の記者が取材の際無理\強いし、怪我をさせたとしてたけしが軍団を|ひきいて、真夜中、講談社の「フライデ\ー」編集部に乱入、編集者数人に怪我をさせた事件である。
 私が興味を持ったのは、有罪判決を受けたたけしが「あと何年かたって、この事件が\どういう受|け止め方をされるのか、すごく興味ある。」(’87・6・10毎日新聞夕刊)*1と述べ\たことであった。‥|‥


 もちろん①の段階では書き得ない内容です。では、①の前文はどうなったかと云いますと、②③では、②387~390頁③439~442頁「あとがき」のベースになっております。①の初出の形を見る前に、決定稿である②③の方を見て置きましょう。冒頭部、②387頁2行め~388頁9行め③439頁2行め~440頁11行め、異同箇所は灰色太字で示して後述もしくは註に説明しました。

 今から七年ほど前のことである。NHKの『女性手帖』という番組に出た。民話について\の五回|連続であった。さて最後の五回目の「現代の民話」を収録するというとき、昼食\のサンドイッチを|つまみながら私はしきりにスタッフから話を引き出そうとした。NH\Kにも現代の民話はきっとあ|ると思いますよ、ね、ね、というふうにである。するとす\ぐに話は出てきて、裸で失礼、今夜半虹|が出るでしょうという天気予報の笑い、逃げ出\してつかまったライオンに御感想は? ときいた、|などなどぞろぞろでてきた。そうそ\う、そういう話です。本番よろしく、って喜んだのに、少しし|て本番になったら森本毅\郎アナウンサーは何もいってくれない。しかたなく私はひとりでおしゃべ|りしたのだが、\さて三年後である。司修氏がNHKの美術番組に出演、私の文による『まちんと』|『ぼ\うさまになったからす』の原画を映すというので、ゲストとして私も招かれた。本番前\日、打|合せのためNHKにいくと担当アナがやってきた。何と森本氏である。
「松谷さん、ずうっと同じことをいっているのはいいことですねえ」「は?」「実はこの\【③439】前女性手帖*2|の、五回目の収録の前、あなたがトイレに立っている間、大変だったん\です」【②388】
 番組収録の直前、NHKの上の方の人から「現代の民話」という言葉は、熟していな\いからやめ|るようにとクレームがついた。しかし森本アナたちが松谷さんの思うように\しゃべらせようと、強|行したのだという。
「それが三年たって司修氏が『現代の民話』というタイトルで出ても、もう何もいわれ\ない。同じ|ことをいっているのはいいことですねえ」
 私は憮然とした。そしてそれから二年後私はNHKから現代の民話について話してく\ださい、と|いわれたときには喜んで出演したのである。
 この間、「民話の手帖」に「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談」を掲載*3そして今回の\単行本と、森|本アナが知ったらまたひとこと言われそうな、長いとりくみとなった。‥\‥


 冒頭の書換えはもちろん「今から七年ほど前」ではなくなったからで、③では「一九八〇年頃」となっております。
 松谷氏は記憶力が良かったらしく、余り物を見ずに書いているらしいのですが、やはり確認せずに記憶に頼って書くのは良くないので、――まづ①初出の題は「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談」ではなくて「ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」でした。①56頁は右半分は題と郷土玩具のカット、松谷氏の名前の脇に「さしえ・森田千恵子」とあって、59頁上段・75頁上段・89頁上段・104頁上段の4箇所に素人臭い鉛筆画の挿絵があります。そして、56頁左半分から2段組の本文で59頁下段13行めまでが前置きになっています。
 それでは初出の当該箇所を見て置きましょう。色々検討しますので前半と後半に分割します。前半、①56頁上段~57頁上段2行め、

 今は昔、といっても一九七五年一月頃、私はNHKの/『女性手帳』という番組に出た。一回だけと思っていたの/に五回連続と聞いて恐怖に襲われたのを覚えている。総タ/イトルは「私のなかの民話」だったように思うがさだかで/ない。別に毎回ごとに小さなタイトルがついた。最終回を/「現代の民話」にしましょうときめた。
 一日一本ずつビデオをとり、三日目は二本まとめてとる/という。四本目が終わるとほっとした。気分もくつろいで/「ね、NHKにも現代の民話が必ずあると思うの」と、サ/ンドイッチをつまみながら、最終回の打ち合わせも兼ねて/問いかけた。そこには番組担当の森本・高橋両アナウンサ/ー、その他スタッフの人たちがいっしょにいてお茶を飲ん/【56上】でいたが、そういえば宿直の朝寝すごしてとびおき、寝巻/のままマイクの前に馳けつけて「こんな姿で失礼します」/といったアナウンサーがいたよ、とか、火事場へ馳けつけ/て近所の人に「お宅ももうすぐですね」と思わずやってし/まい、あとでしかられたとか、㋥は俄雨なのに判らなくな/って明日は虹が出るでしょうとごまかしたとか、昨日の天/気予報を読んでしまい、しまったと思ったがどこからも文/句がこなかったとか、まあいろいろ伝説化された話が出て/きて大笑いになった。そうそう、そういうお話なの。と私/はすっかり喜んで、番組の中でも同じように問いかけた/が、ふたりのアナにさりげなくかわされた。出演者になる/べく話させようとする配慮と思った。結果として私ひとり/【56下】がよくしゃべり、無事五回にわたる収録を終えたのであ/る。


 ②の6年前の執筆と云うこともあってかなり詳しく回想されていますが、まづ驚かされるのは番組収録の時期を昭和50年(1975)1月頃、としていることです。②では「今から七年ほど前」=③「一九八〇年頃」とありますが、それでは①刊行の前年のことになってしまいます。これだけでも②③は誤りらしいと見当が付けられそう(そしてそれだけに何故②刊行時に①の記述を変えてしまったのかが謎)ですが、この辺り、NHKアーカイブズの「NHKクロニクル」にて検索して見ますと、やはり①の記述にほぼ間違いがないことが分かりました。
 番組名も②③「女性手帖」ではなく①「女性手帳」が正しいのですが、この番組は昭和42年(1967)4月10日から昭和57年(1982)1月26日まで、平日午後1~2時台に放送されていたおりまして、松谷氏はゲストとして6回出演しております。
 まづ森本毅郎(1939.9.18生)と高橋美紀子(1940生*4)両アナウンサーが司会を務めていた時期、昭和50年(1975)2月10日から17日までの平日午後2時から2時30分まで放送された、以下の5回に出演しております。 
・2月10日(月)「私のなかの民話」(1) ―祖先とのめぐり合い―
・2月12日(水)「私のなかの民話」(2) ―太郎の誕生―
・2月13日(木)「私のなかの民話」(3) ―三つのはなし―
・2月14日(金)「私のなかの民話」(4) ―視点ということ―
・2月17日(月)「私のなかの民話」(5) ―あなたも語り手―
 松谷氏は②執筆時にこれを昭和55年(1980)頃の出演と思い込んでいたらしいのですが、これはどうも、もう1回出演したときの記録だか記憶だかと混乱してしまったらしく思われるのです。河路勝・広瀬修子(1944.12.3生)両アナウンサーが「きき手」を勤めていた時期、昭和54年(1979)の6月下旬、午後2時から2時29分に放送、7月下旬の同時刻に再放送されています。
・6月25日(月)/7月24日(火)「家族を結ぶもの」(1)近藤啓太郎
・6月26日(火)/7月25日(水)「家族を結ぶもの」(2)熊谷榧
・6月28日(木)/7月26日(木)「家族を結ぶもの」(3)松谷みよ子
・6月29日(金)/7月27日(金)「家族を結ぶもの」(4)梅原猛
 全4回で松谷氏は3回めのゲストでした。
 ところで、①ですと「一日一本ずつ」撮って「三日目に二本まとめて」撮ったと云うのですから、最終回はまた別の日に「一本」だけ収録したことになりそうです。しかし、②③だと「一日」に何本撮ったのかは分かりませんが、最終回収録の直前に「本番よろしく」と言っていたのが、松谷氏が席を外している間に覆されてしまったことになっています。
 この打合せで出た話題も、少々食い違っております。実はこの辺りは②③の「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談考」に残してあって、その後知った、伝説(?)の当人の談話を加味するなどして膨らませてあり、ここを突っ込むとかなり長くなってしまいます。よって別の記事にして、「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談考」そして本文の方とも対照して確認することとしましょう。
 それでは①の続き、57頁上段3行め~下段9行め、

 と……私は思っていた。ところが三年後のことである。/NHKの「美を探る」という番組を司修氏の絵と話でつく/るので、ゲストとして出るようにいわれた。司さんはこの/番組に「現代の民話」というタイトルをつけ、内容は私た/ちが創った絵本『まちんと』と『ぼうさまになったから/す』(共に偕成社の原画を映すという。
 前日、打ち合わせに出て驚いたのは「女性手帳」のとき/の森本アナがいたことで、今回の番組を担当してくださる/という。そのとき森本アナはしみじみといった。「今だか/らいいますけどね、女性手帳の最終回のとき、大変だった/んです」「大変ってなにが?」「現代の民話というタイト/ル、まだ一般の人にはなじまないのでは、と問題になりま/してね、松谷さんがトイレに立ったあと大騒ぎでした」/「まあ私、なにも知りませんでした」「とにかく松谷さんが/話したいことを話して貰おうということで、押し切ったん/です」それが三年後の今きてみれば、「現代の民話」とい/うタイトル名がさらりと付いている。「松谷さんたちがず/うっといい続けてこられたことが少しずつ広がってきたの/ですね」と森本アナはいうのである。
 そしてまた三年後の一九八一年六月、NHKの「ニュー/スワイド」から「現代の民話」について話して下さいと依/頼された。十五分という短かい時間ではあったけれど、こ/【57上】の六年間の時の流れを考えて感慨があった。一つ覚えのよ/うにいい続けてきたことにも、意味があったかと思う。
 さて、話はもとにもどるが、「女性手帳」のとき聞いた/放送局の笑い話が忘れられず、いつかまとめてみたいと思/っていた。『民話の手帖』七号では「夢の知らせ・あの世/へ行った話」をまとめたが、八号ではがらりと変えて明る/くユーモラスな笑いを中心にしてみたい。そう思って「ラ/ジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」をアンケートによ/り問いかけることとした。


 ここまで読むと①「一日一本ずつ」撮って「三日目に二本まとめて」撮った、と云うのは間違いで、「四本目」と「最終回」を「二本まとめて」撮ったその間、「四本目」の収録後に松谷氏が「スタッフの人たち」に放送局の「現代の民話」を聞き、しかしその直後、「最終回」収録の直前に「松谷さんがトイレに立ったあと」問題になったと云うことになりそうです。――色々と不明瞭なところはありますが、飽くまでも現場のスタッフの間から、松谷氏が勝手に喋る分には構わないが、NHKとして「現代の民話」がNHKにもありますよ、と応じるのは不味いのではないか、と云うことになって、森本毅郎高橋美紀子両アナウンサーが本番で急に、今風に云えば「塩対応」せざるを得なくなった、と云う風に、①の記述は読めます。
 これは、②③の展開に似ているようで実は大きな径庭があると思います。何せ、②③では「五回目」のタイトルが「現代の民話」に決まっていたのを「上の方の人から」のクレームで直前に、覆したような按配になっているのですから。そんな、背信行為(!)を働いた森本氏が「三年後」にのこのこ出て来て「いいことですねえ」等と他人事のように感心しているものだから、少々恨み言めいて「何と森本氏である」等と云う書き振りになっているように思われるのですが、実際はどうだったのでしょうか。
 私の感じとしては、①の方が自然な流れのように思われます。②③は「現代の民話」と云う語句に抵抗があった、と云う意識が、①を執筆してから6年後に改めて振り返って見たときに、記憶を書き換えさせてしまったもののように思われるのです。
 さて、②③では「美術番組」と曖昧にしていますが、これも①のタイトルでほぼ間違いありません。NHKクロニクルで検索すると、昭和53年(1978)9月23日(土)午後8時15分~9時に放映された次の番組がヒットします。
・NHK文化シリーズ 美をさぐる 「メルヘンの創造~絵本の画家たち~」(4)<最終回> ―現代の民話―
 出演者は司修松谷みよ子、そして朗読が岸田今日子です。「三年後」の「美をさぐる」で間違いありません。
 「NHKニュースワイド」は昭和55年(1980)4月7日から昭和63年(1988)4月2日までの月曜から土曜、朝の「連続テレビ小説」の前に放送されていたニュース番組で、昭和59年(1984)3月31日までは午後7時からでしたが4月2日から午前6時45分開始に変わっています。森本毅郎は昭和59年(1984)2月29日まで初代キャスターを務め、降板とともにNHKを退職しております。従って昭和56年(1981)6月であれば三度森本氏の前で「現代の民話」について語ったことになるのですが、NHKクロニクルで「松谷みよ子」もしくは「現代の民話」で検索しても「NHKニュースワイド」はヒットしませんでした。①刊行の4ヶ月前のことですから間違いないとは思うのですが、念のため新聞の縮刷版を漁って見ることとしましょう。
 とにかく、松谷氏は①にほぼ正確に書いていた時期や番組名を、②では混乱させ、曖昧にしてしまっている訳です。記憶の、ある部分を強め、そうでない部分を閑却し、その薄くなった箇所を無意識に捏造して、合理化してしまう。そうした作用は「民話化」と云って良いかも知れません。そして改めて、松谷氏の書いていることをそのまま信じてしまうのは(大筋では間違っていないにしろ)危険である、との印象を強くした次第です*5。(以下続稿)
【7月2日追記】伊藤英治 編『松谷みよ子の本 別巻 松谷みよ子研究資料松谷みよ子松谷みよ子年譜」を見るに、552頁下段8行め~554頁上段「一九七九(昭和54)年 五十三歳」条に、553頁上段16行め「 六月二十八日、NHKテレビ「女性手帖」に五回出演。」とあって、記録の誤読とそれに基づく記憶の捏造により昭和50年(1975)2月のことと取り違えています。しかしながら直前、551頁下段2行め~552頁下段7行め「一九七八(昭和53)年 五十二歳」条、552頁上段21行め~下段2行め「 八月二十四日、NHKテレビの番組「美をさぐる」で/『まちんと』『ぼうさまになったからす』がとりあげられ/る。司修さん出演。私もゲストで出演。」とあって「三年後」の番組が先になっているのですから、この錯誤には気付いて欲しかったところです。
 ところで「美をさぐる」出演の日付ですが、この「メルヘンの創造~絵本の画家たち」は9月2日、9日、16日そして23日の全4回、土曜日の同じ時間に放送されていました。どこから8月24日が出て来たのか分かりません(収録日でしょうか)。
 いえ、548頁上段3行め~下段17行め「一九七五(昭和50)年 四十九歳」条の冒頭、上段4~5行めに「 一月、NHKテレビのトーク番組「女性手帖」五回収/録。二月十日より放映。」とあります。やはり番組名が少し違っておりますが、①と合致しこれなら丁度「三年後」になります。――松谷氏は自分のことを多く書き残しておりますけれども、確認が必要な記述が少なくありません。今も松谷みよ子民話研究室が続いておれば、作品の変遷や、本人の後年の回想・関係者の当時の記述や回想との照合、さらに版元の記録や新聞雑誌類とも厳密に付き合わせた『松谷みよ子伝』を拵えて欲しいところでしたが、しかし、こういうところが気にならないようなスタッフでは、結局のところ資料は豊富にあっても任せては置けないように思います。私には(申し出たときに使ってもらえればこういう整理に邁進するようなことにもなったかも知れませんが)今更金と時間を掛けて取り組む余裕はありません。ただ気付いた範囲で指摘して、松谷氏がある意味非常に危険な著述家であることにつき、注意喚起して置くこととします。

*1:③は引用末の句点なし、また(出典)をやや小さくする。

*2:③はこの番組名を二重鉤括弧で括る。

*3:③はここに読点を打つ。

*4:【7月4日追記】「生」を落としていたのを補った。

*5:その合理化にしばしば伝統的な宗教観・他界観など、定型の発想が持ち込まれ、体験がそれに沿って解釈され、曖昧な部分が排除されることで「話」として出来上がってしまう訳です。――松谷氏がそうした実例を数多く目撃しながら、自身の体験は記憶に頼り、過去の自身の記録に拠ろうとしなかったのは、或いは、意識せずに体験の「民話化」を実践しようとしていたかのようです。