8日前の続き。今年は人手不足で勤務時間を増やされてしまい、出勤日も多くなって呑気にブログを書いていられなくなった。――毎日投稿するのを止めたのは、たまたま投稿出来なくなって継続記録(?)が途絶えたので、ならば別に毎日でなくても良いか、と思ったからなのだが、まぁ良かったと思っている。かつ、今、当ブログにも度々書いた、梅の実の収穫の盛りで、連日数百顆拾って、洗っては陰干しして硝子瓶の蜂蜜に漬けている。これも昨年一昨年などは以前に比べて時期が早まって、もうそろそろ硝子瓶を洗って、などと考えているうちに粗方落ちてしまった。何時だったかは梅の落ち盛りに梅雨入りしてしまい、取りに出られずに庭に青梅を敷き詰めたようにしたままにしてしまった。それで、今年は連休明けくらいから拾い始めた。乾いた実に傷みがないか、蔕が残っていないか点検しながら、蔕があれば爪楊枝で突つき落として、硝子瓶に1粒ずつ放り込む。夕方に拾った分を寝る前に放り込むのだが時間が掛かる。それで睡眠時間を削られる。その上ブログなんか書いていた日には余計時間が削られる。
まぁだから、つくづくブログを放置して置けて良かったと思っておるのです。先週なぞは1日パソコンを立ち上げなかった日もありました。
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さて、松谷みよ子『現代民話考』は各章の頭に、2020年3月27日付「飯盒池(07)」に取り上げた『現代民話考Ⅱ 軍隊』であれば「軍隊考」と云う、序説に当たる文章があって、ここに松谷氏の個人的な、当該テーマとの関わり、特に現代民話を意識した切っ掛けや、考えを深めて行く手懸りとなった話や話者との出会い、そして当該テーマの意義や、現代に話を伝えていく意義について論じています。
ですから当然、この紀州の天狗の話も取り上げて、いえ、これがそもそもの、松谷氏の天狗話との出逢いだったのです。『現代民話考Ⅰ 河童・天狗・神かくし』、第二章「天 狗」189~195頁「天狗考」の冒頭に、本書のための紀州旅行の折のことを回想しております。189頁2行めから、10行めまでを抜いて置きましょう*1。
私と天狗話との出会い*2は、昭和三十三年和歌山の採訪に入った折であった。語ってく\れたのは古/座川の|奥の洞尾の人で、ある年の大晦日、古座の銀行の帰り道、提灯に灯を\入れて爺やと二人、て/んてんと山を|越えてきた。爺やが「ここは天狗さんのおるところ\やから提灯消していこ」といった/のに、「天狗さんら|おるものか」と馬鹿にした途端、\すさまじい風に提灯をとられて這いつくばっ/た。ようやく息をついた|とき、山々を揺が\す天狗笑いを聞いたという。このあたりには天狗が多く/棲むとみえて、あの大岩の上|で\天狗がおはやしをしていた、あのあたり天狗の火が燃え次の日行っ/てみたが何事もなか\った、そうい|えば天狗さんがこうもり傘の上をぶいぶいぶい*3と渡ってと話はつ/きないのであ\る。*4
次の出合いは昭和三十六年頃であったか、愛知県東栄町の花祭を取材にいった折であ\る。‥‥*5
これを読むと「ぷいぷいぷい」の話も「洞尾の人」に聞いたかのようです。しかしこれだと話者本人が体験者らしく、かつ「爺や」の話を馬鹿にする、まだ若い者のようです。『民話の世界』の「木こりのおじいさん」ではなさそうです。すると、ここは筆が乗って、うっかり「天狗笑い」の話者と「ぷいぷいぷい」の話者を、同一人物のように書いてしまったのでしょうか*6。
さて、この話は196~242頁11行め「一、天狗のお囃子や笑いなど」、220頁15行め~229頁1行め「天狗笑い」の本文(例話)として採用されております。221頁1~6行め*7、
洞尾の若いもんが大晦日、古座の銀行へ行った帰り、夜の山道を提灯をつけて越えて\きた。連れ/の爺様が、ここは天狗さんのいる山やから提灯消していこという。若いもん\は鼻で笑って天狗さん/ら、あるものかと歩き出すと、ゴーッ、すさまじい風音がして天\狗さんが襲ってきた。提灯もふっ/とんでじっと伏せていた。やっと静かになったのでへ\っぴり腰でひと足ふみ出したとたん、わっは/っはっは、真夜中の山々をゆるがせて天狗\笑いが鳴りひびいた。いのちあってよかったといわれ/た。昭和三十三年に聞いた話。
7行め*8には下詰めで「和歌山県・松谷みよ子/文――」とあります。1行分空けて8行め「分布」とあって、以下18話、その17番め(228頁5~6行め)*9に、
とあるのですが、東牟婁郡洞尾村は明治22年(1889)町村制施行時に東牟婁郡三尾川村、昭和31年(1956)には現在と同じ東牟婁郡古座川町となっておりますから明らかに確認不足です。
続く「おはやし」の話の方は196頁2行め~206頁7行め「天狗のオーケストラ」の「分布」24話中21番め(205頁5~9行め)*11に、
◯和歌山県東牟婁郡洞尾村*12。古座川の奥に天狗岩という切り立った、とても人のいけ\ない岩があ/ る。そこが天狗さんの集り場所で、洞尾の村の年に一度の秋祭りには、\人の寝しずまった真夜/ 中になると笛、太鼓、おはやしの音をさせてさわいだ。村の\若い者が一度その上を見たいとよ/ じのぼったら、貝がらがいっぱい落ちていたとい\う。
話者・村人。回答者・松谷みよ子(東京都在住)。
と見えています。この「天狗岩」は洞尾の西隣の東牟婁郡古座川町蔵土(旧、三尾川村蔵土)、ですから洞尾からすると古座川の少し上流に当っていますが、その蔵土の古座川の右岸(南側)に屹立する「天柱岩」の、聞き違いではないかと思われます。なお「蔵土」の読みは「くろづ」そして「洞尾」の読みは「うつお」で、ここも確認不足としか云いようがありません。
さて、ここで気になるのは松谷氏がこの話を和歌山県で聞いたのを「昭和三十三年」としていることです。
・『松谷みよ子の本 第7巻 小説・評論・全1冊』一九九六年二月二十五日・第一刷発行・講談社・777頁・上製本(20.0×14.8cm)
しかしこれは『戦後人形劇史の証言/――太郎座の記録――』にあったように昭和34年(1959)でないとおかしいので、次の本に収録されている松谷氏の自筆年譜からも、そのことは裏付けられましょう。
・伊藤英治 編『松谷みよ子の本 別巻 松谷みよ子研究資料』一九九七年四月二十五日・第一刷発行・講談社・579+39頁・上製本(20.0×14.8cm) 517~572頁、松谷みよ子「松谷みよ子年譜」は誕生から平成9年(1997)3月3日まで、533頁下段10行め~534頁上段10行め「一九五九〔昭和34〕年 三十三歳」条に、533頁下段17~19行め、
瀬川と共に和歌山の採訪に入る。和歌山の民話は、信/濃・秋田とはまた異なり、神秘的な話が多く、「まえがみ/太郎」の構想はここから生まれた。
とあり、その前年「一九五八〔昭和33〕年 三十二歳」条(533頁上段8行め~下段9行め)はまづ上段9行め「 七月九日、長女たくみ誕生。」から始まっておりまして、流石にこの年には採訪に歩き回れたとは思われないのです。(以下続稿)
*1:後述の『松谷みよ子の本』第7巻再録の本文(610頁12行め~611頁2行め)の改行位置を「|」で、また新たに附された振仮名を註記した。【6月4日追記】ちくま文庫『現代民話考[1] 河童・天狗・神かくし』を見た。207~381頁「第二章 天狗」208~214頁「天狗考」、引用は208頁2~12行め、改行位置は「\」で示した。
*2:【6月4日追記】ちくま文庫版及び『松谷みよ子の本』は「出合い」。
*4:『松谷みよ子の本』ルビ「てんぐ |うつお ・おおみそか ・ちようちん・じい||ば か ・は ||||」。発言の鉤括弧内の最後に半角句点を追加、また「棲む」を「すむ」に開く。【6月4日追記】ちくま文庫はルビ「ほらお 」のみ、単行本はルビなし。
*5:『松谷みよ子の本』ルビ「ごろ」。また「いった」を「行った」にする。
*6:『現代民話考』の「分布」は、話者の住所ではなく話の舞台となっている場所を挙げているので「洞尾の人」が本宮の「ぷいぷいぷい」の話を語ったとしても、「◯和歌山県東牟婁郡本宮町」としか表示されません。
*7:【6月4日追記】ちくま文庫242頁2~7行め、改行位置「\」。
*9:【6月4日追記】ちくま文庫250頁8~9行め。異同は冒頭「◯」が「*」になっているところ。
*10:ルビ「ひがしむろ 」。
*11:【6月4日追記】ちくま文庫224頁17行め~225頁5行め、異同は冒頭「◯」が「*」になっているところ、改行位置は「\」で示した。
*12:ルビ「ひがしむろ ・ほらお 」。