・『現代の民話』の「あとがき」
それでは昨日の続きで、新書判223頁2行め~224頁14行め・文庫版237頁2行め~238頁16行めを見て置きましょう。改行位置を前者「/」後者「|」で示しております。
一九九六年一月から三月まで、NHK教育テレビの「人間大学」で十二回、話させ|ていただい/た。「現代民話――その発見と語り」というタイトルだった。
はじめ、出演のおはなしがあったとき、ある感慨を覚えずにはいられなかった、と|いうのも、/もう二十数年前になるが、同じNHKの「女性手帖」に五回出演したとき、|五回目のタイトルが/「現代民話」だったのだが、このタイトルにクレームがついた。|つまり、「現代民話」という単語/が、まだ耳馴れない言葉であり、市民権を得ていな|い。それをNHKがタイトルに使用していい/のか、ということであったらしい。
あったらしい、というのも無責任だが、実はこのクレームがスタジオに届いたのは、|本番寸前/のことであり、ディレクターもアナウンサーも困惑したが、私には知らせず、|松谷さんに話した/いことを話させようときめて、そのまま本番に突入したのだった。
それから三年後、『まちんと』『ぼうさまになったからす』という絵本がNHKの美|術番組でと/りあげられた。画家の司修さんが原画と共に出演。作者である私もゲスト|【237】として招かれた。司さ/んが提示した「現代民話」というタイトルはすんなりと通った。【223】
このとき、当時NHKに在籍していた森本毅郎アナウンサーがきて、実は、と話し|てくれたの/が「女性手帖」放映にまつわるタイトルへのクレームだった。
「同じことをいいつづけているのは、いいことですねえ、今回は何の問題もありませ|ん」
森本アナウンサーはそういった。
そういうことだったのか。
同じことをいいつづける……。
ならば開き直って、生涯言いつづけてみようと思った。
一九七八年(昭和五十三年)民話の研究会(現日本民話の会)が「民話の手帖」を創刊した。こ/れだ、と思った。現代の民話が現代の民話として成立するには、一つ一つがいま|を生きる民衆の/間からふつふつと生まれ出るものにしろ、その話が孤立したものでは|なく、連れがあること。普/遍性をもつこと。それにはテーマを投げかけて多くの事例|を集めてみなくては。
この仕事がはじまったとき、「現代民話」を集めることについて話してほしいとN|HKの朝の/番組からお声がかかった。僅か五分程であったが、「同じことをいいつづ|けることはよいことだ」/と思った。
文庫版は「一九七八年(昭和五十三年)民話の研究会(現日本民話の会)が「民話の手帖」を創刊した。」の一文を省いている。
ここに抜いた範囲では違和感はない。しかし、これを省くと「これだ」の内容が違ってしまう。新書版では雑誌「民話の手帖」創刊で「これだ」と思って、雑誌を活用して「テーマを投げかけて多くの事例を集めてみ」ることを思い付いたことになる。
ところが文庫版では、森本毅郎アナウンサーから「女性手帳」の裏話を聞かされて「これだ」と思ったことになる。
かつ、余り気にならないかも知れないが、何を使って「投げかけ」たのかが、これでは分からない。
いや、この続きに「民話の手帖」の誌名も登場するのである。この一文を省略していることを知らずに読んでも、こっちに雑誌「民話の手帖」の知識があって、そこを補って解釈してしまう*1から、ざっと読む分にはさほど違和感はない。しかし、こうして新書版と比べて見ると、やはりこの省略は乱暴である。詳しくは別に記事にして検討するつもりだけれども、――省かなければ1行増えるが、239頁の最後、1行分の余白があるので収まるのである。
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どうして省いてしまったのでしょうか?
或いは、文庫版『ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談』の「あとがき」で、6月18日付(01)に見たように「女性手帖」出演を「一九八〇年頃」としているのを文庫版の編集者が見て、雑誌「民話の手帖」創刊後になるはずのことが、創刊前のことのように書いてあると指摘、松谷氏は既に「文庫版あとがき」も準備出来ない状態でしたから、対応を編集者に一任し、この一文を削除して矛盾を解消する、と云う解決策を採った、と云うことになりそうです。
しかしながら、当時は「NHKクロニクル」等のデータベースもなくて確認は簡単でなかったかも知れませんが、「松谷みよ子年譜」と突き合わせれば「女性手帳」出演は昭和50年(1975)2月、3年後の美術番組「美をさぐる」ゲスト出演は昭和53年(1978)9月、雑誌「民話の手帖」創刊は同年4月ですから、やはり「女性手帳」の裏話を知ってから「民話の手帖」創刊を機に、雑誌のアンケート葉書で多くの「テーマを投げかけ」ることにした、と云うことにならぬことは、それでも分りそうなものです。
7月27日付(03)の最後に、本書『現代の民話』には時系列が正しく整理して記述されている、と、好い加減な見当で書いてしまいました。7月29日付(04)の最初に述べたように、直後に不安になったのですが、『現代民話考12』に「一九八三年」とあったのが「二十数年前」つまり1970年代のこととなっているので、流石にここは事実確認をして訂正したのだろうと思ってしまったのです。やはり確認せずに記憶や見当だけ書くものではありません。しかし人間は、それまでよりもマシな記述を見ると、他も改善されたのだろうとの予見を持ってしまうもののようです。
「NHKの朝の番組」は6月18日付(01)に見た雑誌「民話の手帖」第8号(1981年10月)掲載の「ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」には、昭和56年(1981)6月の「ニュースワイド」と明記してあります。つまり「民話の手帖」が創刊して4年めのことで「はじまったとき」ではありません。これなども「民話の手帖」から点検しておれば、防げた誤りでした。
松谷氏の記述にはこのように確認不足、記憶違いによる誤りが少なくなく、かつ同じことを繰り返し書いているので、書く度に variation が発生することになります。だから、後進たる私どもが松谷氏の事績や記述に言及する場合は、何に拠るかで少しずつ内容がズレてしまうことになりかねない訳です。全てを集めて検討して使えば良いのですが、それは私が今試みているようにかなり面倒です。差当り、一番早くにそのことについて書いた文章に拠るべきで、後から書いたものは参考程度に止めるという対処が一番手っ取り早く誤りも少ないはず、と提案して置くこととしましょう。すなわち「現代民話考」に関しては、初出の雑誌「民話の手帖」も参照すべきことを、改めて提唱する次第です。(以下続稿)
*1:【8月3日追記】同様に「そういうことだったのか。」の1行も、前回問題にした「憮然とした」や「どうやら、ほめ言葉ではない」と云った松谷氏の受け止め、さらに6月18日付(01)及び7月27日付(03)に見た、本番前の雑談では森本氏を始め、スタッフも色々話してくれたのに、収録本番になると森本氏が全く応じず松谷氏1人で喋ることになった、と云う経緯が頭に入っていないと、何が「そういうことだったのか」理解出来ないだろう。――この辺りの記述も問題にするつもりだったのに、うっかりそのままにしていたのを補って置く。