飯盒池の話にはなりませんが2020年3月29日付(09)の雑談の続きになるので一応その通し番号で続けます。
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飯盒池については、2020年3月21日付(01)から9日続けて確認してみました。
そのとき見付かった課題、平野威馬雄『日本怪奇物語』の記述の確認などが、そのままになっておるのですが、まだ『日本怪奇物語』は見ておりません。しかしながらそれ以外の材料が幾つか溜まって来ましたので、今回はそれを片付けて置こうと思っております。
さて、当時はコロナが流行し始めた頃で、まだワクチンもありませんでしたから、今その辺りのことを書いている箇所を読み返すと嘘のようです。しかし、東京オリンピック強行に味を占めて大阪国際博覧会も強行するようです。そんな、そっち寄りの政策を取る維新に票を入れる人が少なくなく、そして最大野党がそんな維新と共闘したがっているようでは、全く歎息するよりありません。能登半島地震も合せて、本当に悪い教訓になりました。
それはともかく、2020年3月29日付(09)に一旦切り上げるに当たって、松谷みよ子『現代民話考』について、出来れば原資料そのままの形で新編『現代民話(考)資料』として出して欲しいとの注文を出したのですが、続けて色々と検索して見るうち、どうやらその実現は難しいようだと気付かされたのでした。
『現代民話考』の前置き部分を読むと「松谷みよ子民話研究室」のスタッフの名前が度々登場します。その同じ名前が本文の方にも度々登場して、最終的な決定は松谷氏がしていたのでしょうけれども、資料の整理・分類・要約と云った作業は民話研究室のスタッフが担当していたと察せられます。
ところが、この松谷みよ子民話研究室、2013年5月に松谷みよ子事務所(法人・有限会社)となっていたのですが、今はスタッフはいなくなって、著作権管理を専らにしているらしいのです。
その末期の様子は「松谷みよ子公式ホームページ」により察することが出来るのですが、日付が分かりにくいので何時なのか俄に分からない記事が少なからずあって困ります。そこは諸氏の Twitter の投稿も参照しつつ組み立ててみましょう。――松谷氏は1972年に東京都練馬区東大泉6丁目26番6号の自宅の庭に私設図書館「本と人形の家」を開設していたのですが、ボランティアスタッフの引退のため2012年12月8日から一時休館しておりました。その再開が予告されていた矢先の2015年2月28日に松谷氏は老衰で死去、「本と人形の家」は4月18日に再開したのですが、その後ニュースにもならずに閉館となってしまいました。公式ホームページの2015年8月10日付「◎黒姫高原に行って参りました」は「先日、代表を含めスタッフ数名にて、挨拶をかねて黒姫童話館へ行って参りました。」に始まる近況報告で、黒姫童話館の前で6人(男性1名、女性5名)で撮った写真も掲載されています。これがスタッフの存在が窺える最後の記事で、8月15日付と9月11日付で松谷氏の長女瀬川たくみが「◎戦後70年の終戦の日に思う事」及び「◎自然の恐ろしさ」を投稿してからしばらく更新が途絶えてしまいます。
その後「著作権管理について」なる文章が投稿され、ここに「松谷みよ子事務所は内部の私物化が発覚したため/対外的に一時閉鎖をする事態となりました/その為、法人から個人事業に1月より変更します」なる告知が為されているのですが、日付が分かりません。現在 Twitter(現 X)では2016年6月2日にこれに反応した Tweet が確認出来るばかりです。そうすると、夏に黒姫高原に出掛けてから、色々な問題が発覚し2016年(もしくは2017年)1月に個人事業に移行、事務所を瀬川氏の自宅(滋賀県大津市)に移した、と云うことになりそうです。大泉の家と「本と人形の家」については、当初「母の自宅はできれば、記念館のような形にして、文庫も開放したいのですが、しばらくお時間を戴きます。」との希望を表明しておりました。私は当時ここまでを確認して、先行に不安を抱きつつ、たまに検索してどうなったか続報を待っていたのですが、結局実現せず松谷氏の自宅の土地は売却され、建物は2021年2月に取り壊されてしまいました*1。その際に、まだ本がそのままになっていたらしいのですが、これは(義理の祖母の蔵書を処分しつつある私からしても)仕方ないことで、――遺族が引き受けたとしても保管場所に困るし結局はただ保管するだけになってしまう*2。何処か公開も出来るような場所に引き受けてもらうよりない訳です。私設にせよ図書館蔵書であった本ですから市場で喜ばれるとは思えません。勿体ないとは思いますが、大泉でなくとも松谷氏の「記念館」或いは「文庫」の構想が実現しない限り、蔵書は処分せざるを得なくなっていたのでした。
児童文学作家の故・松谷みよ子さんが練馬区の自宅で開いていた私設図書館「本と人形の家」。取り壊しが決まり、地権者のご理解の下、急きょ有志が貴重な本をレスキュー。私もお手伝いしました。その最中も「子供の頃に通っていて」と近所の方が懐かしそうに訪ねていました。無くすには惜しい存在です。 pic.twitter.com/6vF5lDE7sV
— 山岸一生 【 衆議院議員 立憲民主党 】 東京9区 (練馬区 西部) (@isseiyamagishi) 2021年2月14日
しかしながら取り壊し直前、蔵書が遺族の所有でなくなった時点で「地権者のご理解の下、急きょ有志が貴重な本をレスキュー」と云うことになっております。選んでいる余裕もないでしょうから「貴重な本」だけ運び出したのではなく残ったままになっていた本をごっそり纏めて持ち出したのでしょう。しかし、持ち出した本、公立図書館が今更引き受けるとも思えませんから、それこそ私設図書館でも開設して公開にでもしない限り、ただ保管するだけになってしまうでしょう。どうするつもり、いや、今どうなっているのでしょうか。
ここまで、松谷みよ子民話研究室改め松谷みよ子事務所、及び「本と人形の家」の行末に少々拘泥ってみたのは、もう30年以上前になりますが、3~4度松谷氏に情報提供したことがあったからで、あれはどうなったのか、いえ、一応写しのある(はずの)私の資料なぞよりも、他の、厖大にあったはずの「現代民話考」のための自筆報告の行方が気になるのです。いっそ馘首されたスタッフが持ち出していてくれたら、とさえ思います。あかんことでしょうが。いや、廃棄されていなければ良いのです。ただ、捨てずに置いてあるだけでは、余り意味はありませんが。(以下続稿)