瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証(02)著者

 Googleで「わたしは幽霊を見た」を検索すると、関連動画として、本書に触れたネットラジオ放送がyoutubeに上がっていた。

 まさに、小学生時代に『わたしは幽霊を見た』の衝撃を受けた世代の証言である。ただ、原本を手許に置かずに話しているので中岡俊哉の同名の本と混同してしまったり、また細かい記憶違いがある。しかし、原本がなくともここまで内容について熱く語れる程に、印象が強烈に刻まれていることが却って、よく理解されよう。


・著者について
 著者の村松氏の経歴については、Wikipediaにも立項されていますが、ここではまず上智大学定年退職に際して編まれた「国文学論集」22(一九八九年一月十四日発行・上智大学国文学会・330頁)3〜10頁に掲載される「村松定孝先生・略歴・著作目録」の「略歴」(3〜4頁)を引いておきましょう(原文には和暦しか示されていないので、西暦を記入しておいた)。

略歴
 大正七年(1918)六月一七日 山梨県市川大門町に生まる。
 昭和 六年(1931)四月    第一東京市立中学校入学。
 昭和一〇年(1935)三月    同中学四年修了。
 昭和一〇年(1935)四月    早稲田大学附属第一高等学院入学。
 昭和一三年(1938)三月    同学院卒業。
 昭和一三年(1938)四月    早稲田大学文学部国文学科入学。
 昭和一六年(1941)三月    同大学同学部同学科卒業。
 昭和二二年(1947)四月    早稲田大学文学部旧制大学院入学。
 昭和二四年(1949)三月    同大学同学部同大学院修了。
 昭和二四年(1949)四月    独協高等学校教諭に就任。
 昭和三五年(1960)四月    昭和女子大学専任講師に就任。
 昭和三六年(1961)四月    同大学助教授に昇任。
 昭和四二年(1967)四月    同大学教授に昇任。
 昭和四三年(1968)四月    上智大学教授に就任。
 昭和六四年(1989)三月    同大学を定年退職。

  ○
 昭和二四年(1949)四月    季刊「明治大正文学研究」(本間久雄主宰・東京堂刊)全25巻の編纂担当。
 昭和三九年(1964)七月    スイス・フリブール開催の国際比較文学会に日本代表団として出席。私学協会海外研究/員として欧州に派遣。
 昭和五〇年(1975)一月    第一二期文部省国語審議会委員委嘱。第一八期に至る。
 昭和五三年(1978)八月    カナダ・ブリティッシュコロンビア大学招聘出講。
 昭和五六年(1981)九月    国際交流基金海外派遣講師として中国北京語言学院出講。
  ○
  〔学位〕
 文学博士(昭和六十三年十二月、関西学院大学
   論文題目「泉鏡花の基礎的研究」
  ○
  〔賞〕
 大衆文学研究賞(昭和六十三年十二月)
   対象「あぢさゐ供養頌――わが泉鏡花


 晩年のエッセイ集『言葉の影像 鏡花五十年』(平成六年四月十日初版第一刷発行・定価2,000円・東京布井出版・257頁)の巻末「村松定孝・やす子 紹介」には、幼少時と上智大学退職後の情報がありますので煩を厭わず引用しておきましょう(原文には和暦しか示されていないので、西暦を記入しておいた)。

村松定孝(むらまつ・さだたか)
大正七年(1918)六月一七日、山梨県西八代郡市川大門町生。
大正一四年(1925)四月、大分県中津町南部尋常小学校入学。
昭和三年(1928)四月、東京府北豊島郡西巣鴨第一尋常小学校へ転校。
昭和六年(1931)四月、第一東京市立中学校入学。
昭和一〇年(1935)四月、早稲田大学附属第一高等学院入学。
昭和一三年(1938)四月、早稲田大学文学部国文学科入学、一六年(1941)卒業。
昭和二四年(1949)三月、同大学大学院修了。
昭和三五年(1960)四月、昭和女子大学専任講師、三六年(1961)助教授、四二年(1967)教授。
昭和四三年(1968)四月、上智大学教授。
昭和六三年(1988)一二月、関西学院大学より文学博士号を受く。
同年同月、評伝「あぢさゐ供養頌―わが泉鏡花」大衆文学研究賞受賞。
平成元年(1989)四月、上智大学名誉教授。
平成五年(1993)五月、春の叙勲、勲四等瑞宝章拝受。


 これに併記されているやす子夫人の略歴から関係する部分を抜くと、

大正六年(1917)五月二八日、山梨県西八代郡市川大門町生。
昭和一八年(1943)五月、村松定孝と結婚。(二〇年、長女瑞枝、二二年、長男定史生)。
昭和二四年(1949)四月、文化学院デザイン科に学ぶ。*1
平成五年(1993)五月九日、金婚式を迎える。


 ちなみに本書『わたしは幽霊を見た』巻末には、温厚そうな写真を添えて、

著者紹介 大正七年、山梨県に生まれる。早稲田/大学国文学科卒業。現在、上智大学教授。日本児/童文学学会・日本児童文芸家協会常任理事。
 著書には「泉鏡花」「評伝樋口一葉」などの/ほか、児童図書として、「竹取物語」「源平盛衰記」/「雨月物語」などの古典現代語訳多数。
 現住所 東京都文京区大塚×―×―×


 住所の番地は省略、また、総ルビですがこれも省略しました。
 さて、他の著書をも細かく見ていくことで、もう少し詳しい経歴を書くことは出来るのですが、ここでは略歴にも出ている自伝小説『あぢさゐ供養頌―わが泉鏡花―』(昭和六十三年六月五日発行・定価1200円・新潮社・187頁)と、先に挙げた随筆集『言葉の影像 鏡花五十年』を主たる資料として参照していくこととします。
 私が何をしたいのか、ということですが、本書『わたしは幽霊を見た』は、あらかた村松氏やその身近な人の体験という設定になっています。しかしながら、村松氏の経歴と本書の内容が対照されたことは、これまでになかったようです。本書の内容を「実話」と捉える向きもあるようですが、先取りしてしまうと、ぶっちゃけ「嘘」いえ「フィクション」だというのが、村松氏の略歴及び著述と『わたしは幽霊を見た』を比較対照してみての、私の結論です。
 以下、しばらく本書の内容を見ながら、突っ込みを入れていきたいと思います。

*1:『あぢさゐ供養頌』114頁と齟齬。