瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(04)

 ここで、加門七海の指摘を確認しておこう。
『異妖の怪談集(岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二)』(1999年7月2日第1刷・定価1600円・原書房・249頁)の「解説」である。目次、本文(7〜242頁。「木曽の旅人」65〜83頁)加門七海「解説」(243〜249頁)そして「初出誌一覧」。この本、目次の次の中扉にのみ「異妖の怪談集v近代異妖編」とあるが、『近代異妖編』14編のうち6編を省き、『近代異妖編』刊行後に発表された同趣の短篇5編と差し替えている。なぜこのような編集をしたのか、その理由は全く示されていない。

異妖の怪談集 (岡本綺堂伝奇小説集)

異妖の怪談集 (岡本綺堂伝奇小説集)

 これはどうも、光文社文庫(カバーには光文社時代小説文庫)の『岡本綺堂怪談集 白髪鬼』(1989年7月20日初版1刷発行・定価388円・光文社・267頁。1990年11月15日2刷発行も確認)を襲ったものらしい。収録作品とその配列、そして巻末の「初出誌一覧」まで一致している。
 ちなみに、この光文社文庫は今は新装版『岡本綺堂【怪談コレクション】白髪鬼 新装版』(2006年6月20日初版1刷発行・定価533円・光文社・309頁)が出ている。
白髪鬼 新装版 (光文社文庫)

白髪鬼 新装版 (光文社文庫)

 旧版は目次、本文(7〜260頁。「木曽の旅人」69〜89頁)都筑道夫「解説」(261〜267頁)そして最後に「初出誌一覧」、カバーイラストは堂昌一で新装版とは異なる。新装版は目次、本文(7〜291頁。「木曽の旅人」76〜99頁)都筑道夫「解説」(292〜299頁)縄田一男「解題」(300〜309頁)そして最後に「初出誌一覧」。
 新装版に当たって追加された縄田氏の「解題」により、この光文社文庫版『白髪鬼』は旧版刊行に際し、「光文社文庫版の「近代異妖編」」として新たに編纂されたものであることが判明する*1。旧版にはこのような説明がない。
 さて、加門氏の「解説」に話を戻す。7頁のうち最後の2頁ほど、「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」との比較から「綺堂の名手」ぶりを鮮やかに印象づけている。

 私は今回改めて「木曽の旅人」を読み、あれっと思った。先日、古書店で入手した本に、作品の元になったと思われる話が載っていたからだ。
 昭和九年に発行された『信州百物語信濃怪奇傅説集』という小冊子の中、「蓮華温泉の怪話」というのが、それである。
 知人に照合したところ、蓮華温泉というのは信州に現存する温泉であり、記されている怪談は、登山家の中では実話として、今に語り継がれるものだと聞いた。
 古書の中、その怪異は明治三十年頃にあったとある。それが百年も経ったのちの登山家にまで膾炙している理由は――言うまでもない。聞くだにゾッとするような、恐ろしい話であるからだ。『信州百物語信濃怪奇傅説集』の中でも、蓮華温泉の話は白眉であった。綺堂がこの本を読んだのか、或いは人から聞いて小説にしようと考えたのかは不明だが、確かに「怪談心」を持つ者にとっては印象深い傑作である。
 話はこうだ。
 山深いところに住む父と子が、ある雪の晩、ひとりの訪問者を得る。訪問者は一晩の宿を乞うが、その訪問者を見た幼い子供は「怖い」と言って泣き続け、結局、父は訪問者が止宿することを断ってしまう、そしてのち……。
 最後まで記すのは控えるが、子供が何に怯えて泣いたのか、というのが、この怪談話の主軸だ。「木曽の旅人」でも「蓮華温泉の怪話」でも、怯える子供の様子を描く場面はゾクゾクと寒くなってくる。けれども両者には、徹底的に異なるところが存在している。
蓮華温泉の怪話」では、怪異の正体は断言され、その因果関係、果ては訪問者の述懐までがのちに添えられて記されている。しかし「木曽の旅人」では、最後まで子供が何に怯えたのか、明かされることなく話は終わる。
 宿を断られた男の態度も「蓮華温泉の怪話」では泊めてくれと頼み込むのに対し、綺堂の男は笑うのみである。
「そうですか。」と、旅人は嘲るように笑いながらうなずいた。
「そうですか。」と、旅人はまた笑った。
 これだけで、どれほど恐怖が増すか。秘された泣き声の原因に、どれほどの想像が付与されるか。
 綺堂は計算し尽くしている。そして氏は、事実の恐怖が因果すら見えない闇中にあることも、十分、知っている。
 いつも綺堂を読み直すたび、私は「手練れだな」と思う。そしてその思いは今回、ひとつのテキストを得たことでなお、深くなったと言っていい。


 加門氏の意見を聞くにはこの前から引くべきなのだが、それは所期の目的からは外れるので、ここでは「木曾の旅人」関係箇所のみを引いておいた。
 ところで、「傅説集」は「傳説集」の入力・校正ミスである。どの段階で間違ったか知らないが、字を知らない人がわざとこういうことをすると、往々にしてこういうことになる。「傅(ふ)」は「傅(かしづ)く」とか「傅(つ)く」と訓読し「守り役」という意味である。江戸時代の家老の略伝などを見ると「世子の傅」となる、などと見える。若君の教育係になったということである。もう10年くらい前のことになるが、ある30代の研究者が、ある大藩の家老の文藝活動について学会で発表して、発表資料に家老の略伝を載せて「世子の伝」となる、と書いていた。「傅」を「傳」と見誤ったのだろうが「伝」では意味を為さない(「傳」でも意味を為さないが)。家老の業績を調べて発表しようという専門家がこんなことも分からないのでは困るのだが、正字旧字体)をこなすのは今や大学の先生にも特殊技能なのである。もうこの断絶は如何ともし難い。わざわざ「傳」をなぞろうとせずとも、今や字を知らないのが普通なのだからあっさり「伝」にして置いた方が、誤りも少なくて良いのではなかろうか。
 さて、加門氏は右の一節を「やや、ネタばらしの感があるが、ひとつ例を挙げてみよう」として書き出しているが、『信州百物語信濃怪奇伝説集』の刊年(昭和9年1934)からしても、大正15年(1926)刊の『近代異妖篇』より先に「この本を読んだ」可能性はないので、「ネタばらし」とはおかしい。ただ、『信州百物語』には明治30年(1897)の話だとあるから、「この本」とは全く関係ないところで、「蓮華温泉」の話を聞いていた可能性は、考えられる訳である。

*1:詳細は縄田氏「解題」について見られたい。「木曾の旅人」についても、近年の東雅夫の研究成果を簡潔にまとめている