「IIII 隨筆」は目次には「秋 思…………………(二四〇)/ 他三篇」とあり本文239頁(頁付なし)は中扉で「4 隨 筆」とあります。目次に挙がっている「秋思」240〜242頁3と次の「希望」242頁4〜244頁は「略歴」には記載がありません*1。
245〜247頁7「学生劇斷想」は「略歴」昭和10年7月条に「「阿房」七月號ニ評論「学生劇斷想」ヲ發表。」
247頁8〜253頁「横町隨筆」も「略歴」にはありません。これは「街で逢つた女」、248頁10「年のくれ」、249頁4「なみだ」、250頁9「夢」、252頁1「餅屋は餅屋」、252頁9「シラノの鼻」とから成っています。このうち「なみだ」に登場する「親友H」は北条氏でしょうか。「夢」には「知人M氏」が登場しますが、村松氏ではなさそうです(後述)。この他「シラノの鼻」に「友人の俳優C氏」が登場します。
頁付があるのはこの253頁までで、その裏の見開きから3頁分「白川喜代次略歴」があります。作品関連の箇条はここまで参照してきましたので、以下、学歴などの経歴について抄出してみましょう。
大正七年二月一日 東京市麻布區新廣尾町ニ白川彌助氏ノ二男トシテ生ル。
同 十三年四月 麻布區東町小學校ニ入學。
同 十五年二月 芝區金志田町*2ニ移ル。
昭和 五年三月 東町小學校ヲ卒業シ
同 四月 東京市立第一中學校ニ入ル。
同 九年三月 同校四年修了
四月 第一早稻田高等學院文科ニ入學。春九段座春季公演……ニ出演。六月……
秋 九段座秋季公演……ニ出演。
(十年)十一月 第一早高學藝大會ニ文學部ノ劇……ニ出演。
同 十一年 春 「中央演劇」ノ春季公演ニ出演。……
同 文藝部ノ演劇班ヲ擔當。
十月 芝區三光町五八番地(現住所)ニ移ル。
十二月 同人雜誌「新神話」ニ入リ戯曲「市井の塵」ヲ創刊號ニ發表。
(十二年)三月 第一早高文科ヲ卒業シ早稻田大學英文學科ニ入學。
四月 友人達と劇作家アイコノクラス集團(偶像破壞)ヲ作リ……*3
四月 新築地劇團四月公演……ニ客演。
十月 劇團演伎座十月公演「丸の内英雄傳」ニ出演。
そして、最後、昭和13年に入って既に紹介した2条があって、最後に、
同 一月廿一日 午前十一時永眠
享年廿一歳
戒 名 泰徳院英嚴自性居士
とあります。
続いて「跋」が3頁分あります。内容は収録作品のいつくかについての簡潔な解題です。演劇に関する部分だけを引いてみましょう。
彼は又役者であつた。中學時代からその方面に關係し、市立一中先輩有志でやつてゐる九段座にゐたことがあり、學院に入つてからは中央演劇及文藝部の演劇班の指導者として活躍し、舊さそり座が昨年十月演伎座として旗擧公演を持つたときその重要なメンバーとしてその姿を舞臺に現はした。ここに收められた寫眞は九段座十月公演(昭和九年)のときのオニール“鯨”と演伎座第一囘公演の“丸の内英雄傳(北条秀司作)の舞臺寫眞である。
目次の最後にも「序 白川一郎/跋 編纂委員/装幀 大澤 保」とありましたが、「跋」の末尾には「昭和十三年三月一日 弓削徳介識す」とあって、続いて「編纂委員」として「北條誠/國松藤一/平山信義/弓削徳介/山縣豐三/阿部毅/平松源麿/村松定孝/ (順序不同)」の連名があります。
この裏が奥付です(太字にした部分は文字囲い)。中央やや下に子持枠があって、「昭和十三年三月五日印刷/昭和十三年三月十日發行/白川喜代次遺作集/著者 白川喜代次/〈發行兼/編纂者〉白川一郎」住所・印刷人・印刷所等略、最後に「非賣品」とあります。四十九日に間に合わせて編集刊行されたことが分かります。