瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

高木敏雄『日本傳説集』(03)

 私の持っている宝文館版『日本伝説集』は「昭和五十年六月二十五日 第二刷(修正版)」である。そこで「昭和四十八年六月十日 第一刷/定価千二百円」の初刷を探してみた。
 表紙カバーは同じ柄だが、裏表紙の右下に小さく横書きで

[(分)0−0−39(製)001048(出)7715]  ¥1,200

と銀文字で入る([ ]は文字囲いの代用)。
 第二刷のカバー裏表紙には文字はなく、このようなデータは帯に印刷されている。図書館の蔵書なので帯があったとしても外されているはずだが、この異同からして初刷には帯がなかったように思われる。
 本体は上製本でカーキ色、背にのみ、カバーと同じ文字が黒で入っている。これも第二刷は紺色だったから異なっている。
 扉はカバー表紙と同じ文字が黒で入るが、用紙の色が違っていて、初刷は黄土色、第二刷は灰色である。
 本文の頁数は296頁で同じである。
 問題の、どこが修正されているかだが、これは同じく山田野理夫の編集でまとめられた高木敏雄『人身御供論』(昭和四十八年九月十二日第一刷・定価千八百円・宝文館出版・246+21頁)の山田氏による解説「高木敏雄と人身御供論」が参考になる。『人身御供論』については別に書くつもりだが、山田氏の解説は本文とは別の頁付(21頁)になっている。山田氏は、『日本伝説集』の解説「資料 高木敏雄他」の「高木敏雄について」では、大阪外国語大学所蔵の履歴書2通によって記述していたのに対し、この『人身御供論』の解説中の「高木敏雄小伝」は履歴書に拠りながら、大阪外国語学校の校友会雑誌「咲耶」第二号に載る井狩英太郎「高木先生を憶う」を参照し、さらに「大阪の桝井寿郎氏に高木の遺族の調査を願った」(21頁)成果か、「高木敏雄の三男勇氏(熊本在)に問合せ」(18頁)、履歴書の空白についての証言を得たりしている。その21頁、末尾近くに、

 高木とアヤとの間に三男三女がいる。長男九一郎、次男又二郎、長女ミツ、次女ヨシ、三男勇(イサム)三女ムツと一・二・三・四・五・六の数字が頭(振仮名カシラ)となっている。「日本伝説集」のシゲ子はシズ子の間違いで、九一郎の妻女でフミはその後妻である。勇氏からご教示を得たので訂正しおわびする。

とある、この箇所であろう*1
 宝文館版『日本伝説集』「高木敏雄について」292頁の「高木氏略譜」なる家系図を見るに、初刷では敏雄・アヤ夫妻の子供として、左から「シゲ子・ミツ・ヨシ・勇・ムツ」が並び、その左にこの兄弟とは線で結ばれずに「九一郎」が並ぶ。296頁に「高木敏雄の長子九一郎」とあるから、この両親・兄弟と繋がっていないのは組版時のミスであろうか。第二刷では鍵括弧「 」を付け足して弟妹たちと繋げている。
 そして初刷では「ミツ」の姉の位置にあった「シゲ子」を第二刷では「シズ子*2」とし、その上にあった「|」を削除して(痕跡が残る)左の九一郎との間を「――」で繋いでいる。そして、初刷で九一郎の左に「――」で繋いで妻の位置にあった「フミ」はそのままだが、名前の下に新たに「(後妻)」の文字を加えている。
 ちくま学芸文庫版(298頁)では、この辺りはもっと上手く処理されていて、このような手作り感は全くない。但し宝文館版の第二刷(修正版)でなぜか追加されなかった「又二郎」の名は、ちくま学芸文庫版にももちろん入っていない。

*1:他にも本文中に誤植の修正などあるのかも知れないが、そこまで確認はしていない。【2月14日追記】山田氏解説「資料 高木敏雄」のうち、「「日本伝説集」について」286頁11行目の「項目索引などの本書に従って」を第二刷では「項目索引などの頁は本書に従って」としてあり、「郷土研究について」289頁1行目の「郷土研究」という誌名の「究」の字がひっくり返っていたのが、第二刷では修正されている。

*2:「シゲ子」と読み誤ったのだから「シヅ子」ではないかと思うのだが、電話で問い合わせたのだろうか。