瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

柳田國男『遠野物語』(1)

 『もう一つの遠野物語』カバー及び扉にある山神碑は、遠野市綾織町の愛宕神社の入口のものであることが分かった。これまで殆ど関連本を読んだことがなく、特にビジュアル本には反撥も覚えていたため、こういったことはまるで分からなかった。最近、山田野理夫の本の写真を素直に眺められるようになって、その写真への興味から、菊池照雄/冨田文雄 写真『「遠野物語」を歩く 民話の舞台と背景講談社カルチャーブックス40)』(一九九二年二月一四日第一刷発行・定価1456円・講談社・143頁)や、石井正己/浦田穂一 写真『図説|遠野物語(ふくろうの本)』(二〇〇〇年八月一七日初版発行・定価1800円・河出書房新社・119頁)なぞを読んでみた。少々抵抗は感じるが、手に取るのも嫌だという程ではなくなっていた。正に四十にして惑わず、なのかも知れない。そういえば昔はチクチクして着られなかった毛糸のセーターが、いつの間にか平気になっていた。
 山神碑の写真は、前者の86〜87頁の見開きカラー写真にその左右にある「湯殿山」碑と「金毘羅大神」碑とともに写っており、117頁左上のモノクロ写真は小さいが遠景で、神社の石段脇の位置が良く分かる。後者では9頁にカラー写真で『もう一つの遠野物語』と同じ3つの山神碑が大きく写されている。
 前者は絶版になっているので、後者だけ書影を貼り付けて置く。

図説 遠野物語の世界 (ふくろうの本)

図説 遠野物語の世界 (ふくろうの本)

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 私は『遠野物語』は愛読したけれども、遠野という土地にはあまり興味がなかった。私が『遠野物語』を読んだのは小学校高学年の頃で、確か学級文庫に『遠野物語』から何話か選んで、原文ではなく現代語訳(さらに潤色が施してあったかどうかは不明)で、地元の小学生の版画による挿絵が入っていたような、気がするのだが、しかとは覚えていない。その頃から私は生意気なガキだったので、まずは子供向けに書かれたもので興味を惹かれながら、次第に子供向けにリライトされたものを読まされていることに不満を覚えて、書き直しでない、話の省略もない『遠野物語』を読みたくなったのである。この『遠野物語』を原文で読みたいという要求に、父が乗り気だったのを覚えている。そこで買っ(てもらっ)たのが『遠野物語新潮文庫2146)』であった。中学に入って、人にもこの本を薦めたくて学級文庫に置いたのだが、殆ど読まれることなく、なくなりもせずに今も私の手許にある。
 話には惹かれたが、遠野には惹かれなかった。むしろ、反撥を覚えていた。崇め奉るような態度に、私はなんだか違和感を覚えるのだ。だから、観光地が嫌いなのである。聖地のように言われているのを見ると、どうも、変だな、と思ってしまう。だから『遠野物語』は読んだけれども、遠野には入れ込まなかった。そして、『遠野物語』には殆ど収録されていない昔話に興味を持った。たぶん、もともと好きだったこともある。そして、自分でも聞き集めてみたいなぞと思ったのである。しかしながら、既に明治生まれの祖父母でも「みんな絵本になっている」話しか知らなかった。代わりに人魂だとか狐の嫁取りだとか、そんな類の話をしてくれた。それで、徐々に『遠野物語』の主流というべき、怪異談に戻って来たのだが、怪異談を聞き集めるようになった頃には『遠野物語』から気持ちは離れていた。そして、遠野を特別視する理由はいよいよ分からなくなって、興味も失せていた。
 岩本氏の『もう一つの遠野物語』や横山茂雄編『遠野物語の周辺』を読んだのはやっと平成19年(2007)10月なのである。それまで、『遠野物語』関係の本を遠避けていた。
 とにかく、昔話の本はかなり読んだ。追々記事に書こうと思っている。小学生のうちに『日本昔話集成』のような本を借りて読んでいた。佐々木喜善『聽耳草紙』の初版など、戦前の昔話集を借りて、拾い読みした。そんなことをすることにどんな意味があったのか、分からない。なぜか初版で読みたかった。そして、気に入った話を原稿用紙にせっせと写した。そのとき、本字を新字体に改め、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに書き改めた。それなら初めからそうなっている版(当時、既に戦前の主な昔話集は表記を改めた改版が出ていた)を読めば良さそうなものなのに、わざわざ原本を借り出して来ていた。お陰で漢字と仮名遣いには相当熟練した(はずである)。昭和40年頃に一部の文庫本が文語文の作品まで現代仮名遣いに書き換えるとともに、昭和20年代に本字で組んでいたのを一斉に改版して新字体に切り替える、ということを始めた訳だが、特に本字を習わず新字体にばかり親しんでいたら、変換のしようがないだろうから、そうなるのである。その点、妙なところで戦前の文献を苦もなく読める技術を身に付けたものだが、妙な偶然なのである。
 と、こんなことを書いていて、細かいところは違っているかも知れない。もう30年近く前の話だ。記憶は容易に書き換えられる。反撥を覚えた理由も、詳細は忘れている。当時図書館で見たような本は、今は閉架に仕舞い込まれて、書架には並んでいない。いい加減な記憶を手繰っているのだが、それでも、こんなことを書いているうちに何か思い出してくるかも知れない。