瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(39)

 前回7月15日付(38)に疑いとして示して置いた、著者が同時期を実際に生きた人間が書いた『楡家の人びと』のような同じ時期を扱った作品を全く読んでいないのかどうか、それから「都新聞」を調べなかったのか、については、そう感ぜられるというばかりで、――そんな気がする、というだけで確証はないし、別に作者が明かさなければいけないことでもない。

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・引用の用字・仮名遣い(1)
 昨日まで織田作之助「續夫婦善哉」を取り上げたのは、引用文の仮名遣いについて私の考えを表明して置きたかったからである。
 本書の主要部分であるタキのノートは、戦前に教育を受けた人物ではあるけれども、今世紀に入ってから回想したという設定なので当世風に書かれている。すなわち、年齢は満年齢だし、表記も健史が「読み易いとは言えな」いと「字」には文句を付けているが、仮名遣いや用字について特に何も触れていないから、新字・現代仮名遣いで書かれていたのであろう。
 特に本字の使われている箇所は、第四章9、単行本148頁16〜18行め・文庫版162頁11〜14行め、

 お花の絵のついた美しい和紙に、〈於東京歌舞伎座 紀元二千六百年奉祝樂曲發表演|奏會〉と/印刷されたプログラムは、応接間の飾り棚の、歌集と『みづゑ』の間にしまわ|れた。昭和十五年/十二月十四日、入場料は二・五円とスタンプを押した券もはさまって|いた。

 美術雑誌「みづゑ」は戦後も久しくこの誌名で刊行されていた。プログラムの文字は本字で「印刷され」ている通りを再現しようとしているようである。「祝」が本字でないのは現在でもワープロでは表示されない(私も表示出来ない)ので仕方がないであろう。
 それから第六章2、単行本198頁13〜14行め・文庫版214頁18行め〜215頁1行め、

 大東亜会館というのは、いまの東京會舘のことだ。じっさい、戦時中のほんの何年か|の間だけ、/大東亜会館と呼ばれたけれど、その前と後は変わらず、東京會舘である。

で、「大東亜会館」が本字でないのが少々気になる*1が「東京會舘」としているのは「みづゑ」と同様に、商号を尊重しているのである。東京會舘HP「会社案内/沿革」には「大東亜会館」のことは出ていない。ちなみに大正9年(1920)4月条に「(株)東京會館設立」とあり、昭和21年(1946)6月条に「(株)東京會舘と商号変更」とある。そうすると「その前と後」で「館」の本字である「邢」から俗字の「舘」に、変更されていることになるのだけれども。
 この他にもあるかも知れないが、現在のワープロでは戦前に使用されていた文字を完全に再現することが出来ないので*2、再現がある程度のところに止まってしまうのは、止むを得ないことと思う。――とにかく、商号や標題・引用で原文の用字をそのまま示そうという方針であることが確認される。
 次に、最終章での処理について確認して見たい。(以下続稿)

*1:「大東亞會邢」とあるべき。

*2:出来なくはないかも知れないが、文字化けの危険もあるので私も当ブログでは新字で示した場合が多い。――新字で、戦前に使用されたことのないものは、紛れる恐れがないから何の注記もなく新字で示すことにしている。