瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

岩本由輝『もう一つの遠野物語』(5)

 昨日は5月1日付(4)の続きで、「〔追補版〕あとがき」の前半について書くつもりで、まずマクラとして「山神」碑のことを書いているうち、そのままあらぬ方角へ流れてしまった。

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 “サムトの婆”は『遠野物語』の中でもよく知られた話()で、Wikipediaにも立項されている*1Wikipediaの注に挙がっている三浦佑之の文もネットで読むことが出来る*2
 これらの記事は菊池照雄『山深き遠野の里の物語せよ』(1989年6月20日第1刷発行・定価1680円・梟社・253頁)を参考文献として挙げている。これは7〜10頁「はじめに」にあるように、『遠野物語』の「原話の発掘と復元」すなわち「物語の……内幕を地元の目から提示すること」(10頁)を目的として書かれた本で、戸籍なども参照しつつ、登場する人物の実説を明らかにしている。

山深き遠野の里の物語せよ

山深き遠野の里の物語せよ

 このカバーは新しいものらしく、私が借りてきた発行直後に某市立図書館に収蔵された本のカバーは、Amazon詳細ページの「古書店ハマダさんからのカスタマーイメージ」である。
 その第一に扱われているのが「1 寒戸の婆の風」である(12〜17頁)。そこで菊池氏は、

 この話は「寒戸」となっているが、柳田の聞きちがいかミスプリントで、松崎村登戸*3というのが正しい。話者・佐々木喜善は、後年『東奥異聞』のなかで、この原話を次のように種明かししている。

として、『東奥異聞』の「ふしぎな縁女の話」の一節を引用する。『遠野物語』と同じ話が、『遠野物語』では「松崎村の寒戸*4と云ふ所の民家」だったのが、「松崎村字ノボトの茂助と云ふ家」となっている。
 菊池氏の目的はこの「ノボトの茂助と云ふ家」での実説を探ることにあったため、「寒戸」になっていることにはそれ以上突っ込んでいないが、岩本氏の『もう一つの遠野物語』では、小田富英・谷川健一・福田八郎の先行研究にも触れながら『農民俚譚』の「縁女綺聞」も引用して「これらのことからサムト=寒戸は柳田の誤記により生じたものであることは明らかである」とし、こうした「事実の誤りを……知っていて訂正しない」ところに後年の「佐々木と柳田の関係の象徴」を見たり、「『遠野物語』はもはや事実を集めたものではないことになり、一種の作品ということになる」という調子で疑念を表明し、さらに昭和50年(1975)刊『遠野の昔話』に佐々木氏の親戚を語り手とする「寒戸の婆」という昔話が記録されていることに触れて、『遠野物語』が地元の伝承にまで影響を及ぼしている「笑えない現実」を指摘していた(15、93〜100頁)。
 小田氏により『遠野物語』は刊行前の初稿本で「サムト(寒渡)」と表記されていたことが指摘されていた(94頁)。だから菊池氏のいうミスプリントは有り得ない。聞きちがいによる誤記の可能性はある。しかし「佐々木はみずからはこの話を記すときは、決してサムトとか寒戸とはしていない。あくまで登戸に起きた事実として綴っていることを忘れてはならない」(97頁)と書かれると、桑原武夫なども指摘している柳田氏による「文飾」が想起されて、岩本氏の「一種の作品」という意見に説得力を感じることになる。(以下続稿)

*1:「履歴表示」によると2010年1月16日。「伝説」と呼んでいることは良いとしても、『遠野物語』を「民話収集家の佐々木喜善の集めた話を柳田國男が編纂したもの」とするのは正しくない。佐々木氏が蒐集家となって話を集めるようになったのは後年のことで、当時は話をよく知っている地方出身の青年(作家)である。

*2:2020年3月11日追記】元のアドレス(koto-b-18.html)がリンク切れになっていたので貼り直した。

*3:ルビ「のぼと」。

*4:ルビ「サムト」。